エリート意識のなさ

tak428k
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変なことを言うと、僕は周囲からエリートと思われがちだなと思っている。

本当に変なことを言ったね。

上には上がいるので、自分の自認としても客観的にも、上位層のエリートではない。たとえば官僚ではないし、たとえば大企業で働いた経験がないし、たとえば起業をしてもない。

とはいえ、自分の履歴書を見てエリートだなと言う人がいるだろうなという感覚はある。というか、実際に言われたことがある。

でも、まったく僕にはエリート意識がない。

これは卑下しているわけではない。なんというか、そう分類されるような生き方をしていないし、思想も持っていない。経歴や僕の発言が(自分では自覚ないのでよくわかんないけど)エリートを連想させるものだとしても、僕はその意識からは程遠い。

そもそも僕は(僕が思う)エリートが好きじゃない。先日書いた本の感想記事も、著者がエリートだからムカついているんだと思う。

僕は愛知県の三河出身(知らん人が多いと思うけど名古屋ではないとだけ思っておいてくれればいい)で、そもそも都市生活とは基本無縁の暮らしをしていた。

父親は製造業関係の人間だが、別に多くの人が知っている会社で働いていたわけでもない(転職経験が多いところが僕と似ている、いや僕が似たのか)。母親は高卒でスーパーで働いている。

だからというか、僕は思想的にも別にリベラルでもない。リベラルだからエリートってわけでもないと思うけど、僕の理解ではリベラルな人はエリート層に多い。

たまにツイートしているけど、西海岸のイデオロギーをプロダクトを通して押し付けられるのが僕は嫌いだ。たとえば、Slackの絵文字で肌の色を選べるようになったときとか、あらゆるサービスがウクライナの国旗を模した色になったときとか。

あれは彼らのイデオロギーであり、ただのプロパガンダだ。素晴らしいもののように見せた、ただの彼らのイデオロギーである。

僕の"エリート意識のなさ"は、こういう(僕の思う)エリートが好きそうなものを、僕がわりと嫌っているところから来ているのだと思ったりする。

@tak428k
ソフトウェアエンジニア