これのつづき。
ここまで書いたことは私が講座で見て聞いて、知ったことだ。そしてこれから書くことは私が講座を通して考えた、そして今も現在進行形で考えていることだ。
講座が終わった後のことを書こうとして、文字数が足りなくなりそうになった。そもそもこんなに長い文章を読む人がいるのだろうかとか、長い1ページと中くらいの2ページだとどっちが読んでもらえるだろうかとか書きながら考えていたのだけれど、面倒になったので分けることにする。何事もないかのように前の話の続きをする。
そしてこれから
“とにかく「何かしたい」という気持ちでいっぱいになっている”、で締めたきっかけの話だけれど、結論から書くと私の行動は結果オーライだったのではないかと思っている。そして、私みたいに選挙結果を見ては思い詰めてしまう方がもしこの文章を読んでいる中にいるのなら、「“何かする”のも悪くない」ということを伝えれたら良いな、と思ってこれからのことを書こうとしている。
世界はインターネットの外にある
こう書くと初っ端から好感度を下げてしまいそうだが、事実として書いておきたい。インターネットやSNSから見えるものが世界の全てではない、というか、それを自分の世界の全てにしてはならない。
近年はSNS(主にx、threads、Bluesky、もう少し広義でInstagram、TikTok、YouTubeを想定している)に触れなくても、世界のニュースが嫌でも耳に入ってくる。特に選挙結果で思い詰めてしまうような真面目な左派のみなさん(私たち)であれば、いろんな新聞社のデジタルサイト、LINEやYahoo!などのニュース情報もフォローしてるんじゃなかろうか。であれば、あえてSNSで誰それがこんなことを言ってる、こんな発言が(予想外に)バズっている、世の中にはこんなに怒るべきことがあると確かめに行かなくても良い。もちろんやりたくてやっていることは止めないけれど、世界との向き合い方はそれだけじゃない。
私の「何かしたい」という思いは、「(インターネットの外で)何かしたい」という思いだった。これは現場主義的と思われてしまうかもしれないけれど、「社会運動はやはり現場で起きている」という思いは日に日に強くなっている。2010年代初頭、中東各地で起きた反政府革命運動(アラブの春)でSNSは大きな役割を担ったけれど、革命を起こしたのはSNSではなく、実際に革命運動に参加した人たちだ。2024年韓国で宣布された戒厳令を堰き止めたのは、真夜中にもかかわらず国会議事堂に駆けつけた議員たちと、彼らを守るためにバリケードを張った国民たちだ。石破元首相を「辞めるな」と指示していた人が4000人いたこと、高市政権に反対し「存立危機事案」撤回を求める人が1700人いたと証明したのは実際に官邸前に集まった人たちだ。
こんなことを偉そうに書いている私は、実はデモどころか街頭演説の応援にすら参加したことがない。だからダメとか私は情けない左派だとか言いたいのではない。インターネット投票が実現する目処が一向に立たず、未だ自分の足で投票所に向かわなければならない選挙制度が是とされる理由はもうないと思っている。ただ、そんなふうになかなか“現場”に参加できていない人でも参加できる“現場”がどこにあるんじゃないか、それはどこかという情報を探せる場所が、共有できる場がもっとあって良いんじゃないかと思っている。
“現場”のハードルを下げる方法や手段がもっとあって良いと思っている。
ボランティアは“余裕がある人”以外が参加しても良い
そんな私が探し出した現場が、選挙とこの日本語教室のボランティアだった。
私は友人たちと月に一回、本を読んで感想を述べ合う読書会に参加している。友人のツテを辿って集まったLINEグループの人数は最近二桁になったけれど、当日には半分集まったら良い方だ。本を読み終われずに集まることもあるし、幽霊部員みたいな人もいる。それでも、グループチャットの会話は定期的に盛り上がるし、読書会じゃないイベント事に興味を持って顔を出してくれる人もいる。それで良いと思っている。それぐらい、休日に時間を割くことは難しい。月に一冊本を読み終わることも、意外と難しい。
私が日本語教室のボランティア講座に参加しようと思ったのは、「講座(座学)なら、ハードル低く参加できそう」と感じたからだ。平日の夜の講義だったら、始業時間を少し早めて早退すればいい。休日半日は割けなくても、これぐらいの時間なら割くことができる。座学だけだと思った講座は実際には見学もあって、ボランティアの登録窓口にすぐ辿り着いてしまったけれど、一度踏み出してみたら案外できないこともなさそう、というのが5回の講義に参加した私の感想だった。実際はそんなことなくて、急にどこかでガタが来るかもしれないけれど、その時はまたゆっくり振り返りながら休むことにする。それで良いと今は思っている。
「ボランティアなんて志の高いこと、責任の重いこと、私にはできない」と考える人もいるかもしれない。その考えを否定はしない。実際ボランティア参加のハードルは結構高い。
でも私は、前の段落で書いた通り予習も復習も当日過度に頑張ることもしなくて良いこの講座と、ボランティアの活動はハードルが低くて良いと感じたし、講座を受け始めて前よりも自分の調子が良くなったと感じている。それは、在宅で家に篭りきりな私が週一回の夜にでも外に出ることや、講座でいろんな人と対面で話すことが物理的に健康的だった可能性もあるし、こんなにも外国人向けの学習支援に協力したいと思って行動する人がいると体感できて精神的に健康的だった面もあったと思う。そしてそのおかげで「私って自分で思っているよりアクティブで、体力があったんだ」という自信にもつながっている。
講座の1回目で「無理してやらないでください」と言ってもらえたのも、できそうかも、と思った理由のひとつだ。これは5回目の講義の方も仰っていて「長く活動を続けるために、ぼちぼちやりましょ」とプリントにも書かれていた。「立ち入りすぎず、立ち去らない」。がんばりすぎない。しんどいときには休む。そんなふうに書かれた活動なら、私でも参加できるんじゃないかと思えた。
行政は意外といろいろやってる(やることはボランティアじゃなくていい)
「そうは言ってもボランティアはやっぱりハードルが高い」という人はいると思う。そんな人に無理にボランティアを勧めようとは思わない。
私がこの講座に参加して良かったと思ったもうひとつは「行政は意外といろんなことをやっている」と知れたことだった。①のブログにも書いた通り、そもそも私は自治体がこんなふうに日本語教室のボランティア活動を行って、多文化共生を推進しているなんて知らなかった。インターネットを開くと政治家が排外主義で注目を集めているけれど、現場レベルでは問題意識を抱えて活動している人がいると、それを知れただけでも私のメンタルにとっては良い影響があった。
講座を開いている学習センターには、他にもたくさんのチラシが山ほど掲載されていて、自由に持ち帰れるようになっていた。今回のような学習支援の募集、小説を書く/絵を描く教室の募集、外国語レッスンの募集、PC/スマホ/SNS勉強会の募集、福祉系の講演会の募集、…様々だ。
行政の活動の良いところは無料だったり、安価なものが多いところだと思う。でも別にボランティアじゃなくても良いように、行政のものじゃなくても良い。自分が興味のある分野に関して、リアルで会って話(作業)ができる場所があれば良いというのが私の伝えたいことなので、ボランティアも、行政のイベントに参加することも、ただその目的のための手段でしかない。
「それでも課外活動は私にとってハードルが高い。世の中にいるのは外に出て動ける人だけじゃない」──それもその通りだと思う。
ここまで長々と書いているのは、別にあなたにやるべきことをサジェストしたいわけではない。「何かやりたい」けど「何をすれば良いかわからない」人のために、あくまでも最近の私がやっていることを書いて、やれそうなら「一緒にやってみよう」と言おうとしているだけだ。やりたくなければやらなくて良いし、他の方法でやってくれても良い。ボランティアだけじゃない、寄附でも何でも、“できない”“やらない”ことに罪悪感を覚えなくて良い。
ただ、無力感を紛らわせたいと思っている人は、意外と多いのではないかと感じていて、そういう人の背中を押せたら良いと思いながら書いている。
私たちが社会と関わる方法は選挙だけじゃない
ちょうどこの記事を書いてる途中でこんな記事を読んだ。
また、Blueskyのフィードで以下の有料版の記事も目にした。
二つ目の記事が2024年のものであること、また有料記事のほうが情報量が多いことも考慮して、正直なところ、私は一つ目の記事より二つ目の内容の方が今の自分にしっくりくると思った。
というのも、これを書くのは少し恥ずかしいというか、勇気がいるのだけれど、今回の選挙に対して私は今までのような期待感も無ければ結果に対して強く失望や絶望することも無かった。
というか、もう正直、落ち込むことにも疲れてしまったのだ。
2023年、私はありえないくらい続けて起きた色々な理不尽に怒りまくって、怒るのに疲れてしまった。そして、2024年以前からずっと続いている選挙の度に、選挙結果を見る度に落ち込んでいる。こんな書き方をすると感情が麻痺してるのではと心配させてしまうかもしれないが、もう、落ち込むのに疲れたのだ。
二つ目の記事の内容について、特に「メンタルヘルスというよりソーシャルヘルス」「個人の問題ではなく構造的な社会の問題、社会が変えるべき問題です」という言葉が私にすごく響いた。我々は何度も繰り返される選挙にもう充分すぎるほど怒って、悲しんで、落ち込んできたと思う。それを「悲しみを受け入れて」「誰かと共有しよう」とまるで個人の問題のように丸め込まれるのはもううんざりだ。「気を紛らわそう」と肯定的な文脈と共に政治以外のことに目を逸らすのももうずっとやってる。私たちがこんなにも気を落としているのは私たち個人のせいではなく世界情勢が日に日に悪くなっていく社会のせいだ。
記事にはこうも書かれている。
同じ考えを持つ仲間と、自分たちのために政治に参加することは気持ちがよく、メンタルヘルスにもいい。自分ごとではないことに共感することが大切。
「選挙だけが政治(民主主義)ではない」と言われて数年は経っていると思う。ならば「社会と関わる方法も選挙だけじゃない」と言いたい気がする。私たち──というか、私は、選挙で世界がひっくり返るようなことが起きるのを期待していた。左派政党が議席を伸ばして、カマラ・ハリスが米大統領になって、同性婚や選択的夫婦別姓が実現することを期待していた。
でもそうはなっていないのなら、そうならなかった世界でどうにか生きるしかない。選挙の度に「世界の終わり」を嘆いても世界はそう簡単に終わってくれない。世界は悪い状態のまま続いていく。ならこの続いていく悪い状態の中で自分ができることを見つけていくしかない。
限られたリソースでもできることはある
②の最初の方にも書いたけど、平日は仕事に追われ、休日は趣味どころか連勤の疲れを癒すだけで精一杯という人もいるだろう。子供や一緒に暮らしている家族がいて、その人のケアや介護で終わってしまう人もいるかもしれない。そういう人には、今自分に用意されている以上の時間を確保するのは難しいかもしれない。
私が選挙や日本語教室のボランティアに参加する前に、「何かやりたい」と思って行動したのは会社内での(小さな)社会運動だった。
今日は国際男性デー
ちなみに女性は3月8日
プライド月間が終わってから見つけたけど面白い取り組み
パナソニックコネクト(グループ会社?)が協働で立ち上げ、参加企業はCISCO、NTT、MUFGなどなど
忘れてたけど朝日新聞の有料記事が半年間1000円で読めるメッチャお得キャンペーンが今日までなので気になる方はぜひ
従来だと月1980円💸
slackのtimes文化というのをご存知だろうか?
そもそも「slackって何?」という方もいるかもしれない。そういう方は「slack times」などで調べて雰囲気を掴んでほしい。投げやりでごめん。
slackのtimesチャネルは自由に投稿していい個人の場なのだけれども、まあ日々の業務について分報や日報的に投稿するのが主流である。
私はそんな場所で上に書いたような投稿(原文ママ)をしている。(੭ ᐕ))ハニャ?
一応内容はギリギリ業務に関係がありそうなことを書いている、と思っている。弊社は男性社員の多い技術職なので「国際女性デー」より「国際男性デー」の方が関連が高いだろうし、プライドハウス東京のPride Action30は企業向けのイベントだ。実際にプライドハウス東京の代表の方が社内イベントで登壇してくださったことがあって、その時は社内報のリンクと共に「楽しみ〜🏳️🌈🏳️⚧️」と投稿した。ど こ か ら ど う み て も ド 左 派 の 社 員 で あ る 。でも仕事に影響は無い。なぜならtimesチャネルは自分の好きなことを投稿して良いからだ。私が映画好きということはまあまあな社員に知れ渡っているので、「教皇選挙」「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」「トワイライト・ウォリアーズ」「羅小黒戦記2」などの映画が面白かったと話したりなんかもしている。奈良公園に行った翌週には奈良の鹿に外国人が襲われていた話をした。この日本語講座のボランティアに参加したことも、フリートークの場で話してみた。
実は最近、日本語の学習支援を目的とする「識字・日本語教室」のボランティア講座に参加しており、もうすぐ本格的にボランティア登録するかもという段階なのだけれど職場の同僚や知人に「こういうことを始めていて」と話すようにもし始めました。
「ニュースで外国人が増えたと聞くけど実生活で関わる機会がなく、そういう人と交流してみたいと思った」と理由もセットで伝えるようにして、雨垂れのひとつになれば良いなと思っている。
何が書きたいかというと、「最近外国人が多くて怖いですよね〜」と言うのと真逆のことを、私たち左派もできるということだ。別に「あらゆる差別に反対します」とslackのプロフィールに書いたり、高市の発言を批判するニュース記事を同僚に送り付けなくても良い。「政治的なこと」と“大衆”に認知されないギリギリを狙って、自分の政治思想をアピールすればいいのだ。社内のLGBTQ支援(こんな施策がある会社はごくごく限られているという声も承知していますが)、に「イイね!」と言ったり、自社じゃない別会社(競合他社)の取り組みに「羨ましい〜弊社でもあれば良いのに」とか言う程度でいい。インドネパール料理、中華料理が好きな方は職場付近の美味しい料理屋さんの話をひたすらして「こういうお店がずっと続いてほしい」と言うだけでもいい。そういう「“リベラルな”人がいる」という空気は、決して我々に悪い方に作用しないと思っている。
もちろん、これができる人できない人はいると思う。やる場所は職場じゃなくても良い。私は読書会を中心に左派の友人に恵まれて、職場の環境がある程度整っているからこういうことを活動のつもりでしている。一緒にディズニー映画を見た友人が「ポリコレ」と言い出したら「これはクィア(/中米/アジア/イスラム)のレプリゼンテーションと言ってね…」と会話を広げても良いのだ。
私たちは“孤独”じゃない
ダラダラと書き続けた文章もまとまりがなくなってきたので、これで最後のつもりだ。こんなにたくさん偉そうに書いたけれど、私はまだ現在進行形でボランティアをしている人ではない。ボランティア登録をしたばっかりの人だ。でもそれでも良いと思っている。多分私が書きたかったのは、「日本語教室のボランティアを始めようとしてる話」と同時に「選挙結果を見て気を紛らわせたい時に何をしたかの話」だった気がしているから。
どんだけ情勢がゴミでも草の根の活動を続けていくしかないと最近は思っている。
もちろん選挙は左派に投票するし署名やパブコメをできる限り出すけど、それ以外で出来ることを模索し続けたい。
私が講座に参加して一番良かったと思えたのは、「問題意識を抱えている人が私だけじゃない」と目に見えて実感できたことだ。私が住んでいる市には50近くの日本語教室があって、それを自治体が運営していて、すでにそこでボランティアをしている人が何人もいる。そしてそれに参加したいと私と同じタイミングで考えて行動した人が30人近くもいるのだ。これはすごいことだと私は思ったし、同時に私はこの人数が信じられないと感じるほど、こんなにも“孤独”を感じていたのかというのも実感した。
もちろん、SNSを開けば私と同じ思想と価値観を持っているフォロイーもフォロワーも、そうでない人もたくさんいる。でも、インターネットの距離は近いようで遠い。それに、ここ数年(もうすぐ10年になる🫠)試行錯誤してようやくわかったけれど、私はインターネットで友達を作るのがすこぶる下手らしい。そうであれば、リアルで作れる友達の数とその方法を増やしてその人たちを大切にしていきたい。
講座の中では、グループワークを通して仲良くなって連絡先を交換している人がちらほらいた。かく言う私も、3回目の講義で一緒になった年の近い人と連絡先を交換した。実は3回目と、最後の5回目の講義の帰りに駅まで一緒に歩いて少しだけ話す機会があったのだ。今の日本の政治が怖くて「何かしたい」と思ってこの講座に参加したと言っていた。それ以外でも、グループワークや見学で一緒になって挨拶をするようになった人とか、見学先で一緒になった支援者や学習者の方とか、そういうひとつひとつの出会いに恵まれたことが、今までの選挙の時以上に私を「“孤独”じゃない」と感じさせてくれたし、そういう出会いをこれからも期待したり、大切にしたいと思っている。
選挙で私の民意は期待するように反映されなかった。それは今回だけではなくて、これまでもずっとそうだ。そして、日本は民主主義国家だけれども、意外と私の民意に関係無いと感じるところで社会が動いているようにも見える(未だに合憲判決が出る同性婚訴訟に却下され続ける夫婦別姓法案、自民党総裁選など)。だから今までの行動が無意味だと言いたいのではない。もし今までと同じことを続けながら、もっと「何かしたい」と思っているのなら、何でもいい。「一緒にはじめてみませんか?」