呼吸する場としてのBluesky

tarokappa
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息を吸うように、タイムラインを見ていた。

息を吐くように、ツイートをしていた。

ヒウィッヒヒーの頃からTwitterに“棲息して”いた私は、Twitterが拡大し、より大衆よりのきらびやかで雑多なSNSにつれて、息ができなくなった。

今のTwitterは私が求めている方向性とは違う。2020年頃からうすうす感じてはいたが、見て見ぬふりをしていた。Twitterユーザーであることが、私のアイデンティティの一部になっていたからだ。

イーロン・マスクによるTwitter社買収と、Xへの改名に関わる一連の騒動は、Twitterとの付き合い方を再考するきっかけになった。

スパムアカウントは問題ではない、ブリトニー・スピアーズアイコンのスパムなら昔からいた。広告もまあ、許容できる。ただ、何かがしっくりこない。

気が付くと、タイムラインにあふれているのは、拡散することが唯一無二の喜びな人たち、あるいは、拡散が金銭的収入に直結するような人たち。次々と流れてくる、目を驚かせるようなショート動画、トレンドにうずまく怒りの欧州、空リプで陰険なやり取りをする人たち。雑多で面白くはあるが、激しく疲れる場所になっていた。

それを勧めてくる「おすすめ」タイムラインも苦手だ。アプリを開くとデフォルトで表示されようになったタイムラインには、素朴な日常とは無縁な、きらきらとギラギラとギスギスがあふれていた。

この「おすすめ」は、Twitterへのエンゲージメント(つまり、ツイートやいいね)とかなりの割合で連動する。なんらかのニュースサイトの投稿をしたらその話題で埋まるし、社会課題に対する良心的な知見を述べている人にいいねをつけるとその課題に対する扇情的な意見が並ぶ。しかし、話題の選び方が優秀で、自分の興味関心に近いものばかり流れてくるため、ついつい見てしまう。

これは、まずいと感じた。

Twitterのアルゴリズムが提示する範囲内に、自分の考え方を留めてしまうことになる。主体性がなくなってしまう。

Twitterのアルゴリズムと、距離を置いて付き合いたい。そのために、Twitter依存を減らしたい。

Blueskyに依存してみる

とはいえ私は職業上もプライベートでもTwitterに依存している。最新の情報発信をタイムラインを通して得ていたし、Twitterにどっぷりつかることで隣接分野の人たちの空気感を疑似体験していた。スクロール型のSNSを生活から排除することは、ちょっと考えられない。

そこで、私はBlueskyを選んだ。

Twitterを相対化すれば、Twitterに割くスクリーンタイムが減らせる。そもそもSNSそのものに割く時間を減らして、他の情報源に依存先を移せるのではないか、と思った。

BlueskyはTwitterのサイドプロジェクトとして誕生した分散型SNSだ。イーロン・マスク体制のXの経営からは切り離され、独立したSNSとして運営されている。

私が登録したのは招待制が存在した2023年6月だった。たいていの人は、サブアカウントを開設し、2~3つほど投稿しては休止状態になり、Xに戻っていく。

この時のBlueskyに居ついた人は、Xですり減った人たちか、疎外感を感じた人たちが多いように感じた。日常生活の中で起きたちょっとしたことを共有して、楽しむような雰囲気があった。

Twitterと比較すると、Blueskyには

Blueskyには長所が2つある。

「細やかなコンテンツモデレーション」と、「自分で選べるアルゴリズム」だ。

コンテンツモデレーションとは、自分のタイムラインに表示するコンテンツの性質をある程度フィルターできることだ。ユーザーレベルでは、暴力的や扇情的なコンテンツの「非表示」が設定できる。安らかなタイムラインを得たい人にも、えちえちなコンテンツばかり流れしたい人も、ラベルを使って棲み分けられる仕組みだ。

視点の多様性

そして、「自分で選べるアルゴリズム」だ。この核にあるのは「フィード」という機能だ。

フィードにはざっくりいうと、「検索的なフィード」、「ギャラリー的なフィード」、「よりアルゴリズム的なフィード」があると思っている。

フィードについて、ここでは深くは立ち入らない。興味があったら下記を参照してほしい。

いずれのタイプのフィードも、Twitterの「おすすめ」タイムラインと比べるとシンプルた。求めている情報がズバッと入ってくると感じることは少ないかもしれない。

そもそもBluesky自体のユーザー層が薄く、専門家もマニアもニュースソースも少ない。少なくともTwitterのように「すべての話題が集まる場所」という感じではない。

しかしながら、多様である。アルゴリズムであるところのフィードを行き来することで、いろんな角度から発言を観察できるし、人を発見できる。

大都会にはなんでもあるが、たどり着かないと何も得られない。たどり着くまでに、たくさんの誘惑があり、気が休まることがない。

Blueskyには大都会ほど物量にあふれているわけではないが、少なからず人はいる。そして接点がある。大都会よりもゆったりと、呼吸ができる。