頭の中をやかましく言葉が行き交うタイプの人間で、昔はTwitterに1日200postとか平気でしていた。暇だからというより、それくらい「言葉」に落とし込んで外に出してやらなければ、頭の中がいっぱいになりすぎてしまう。というか、頭の中をぽわぽわと浮かび回っている思考を捕まえて、言葉にすることで大人しくさせておくイメージかもしれない。
これはTwitterと非常に相性が良かった。わたしは「自分のツイログを眺めて時間が溶ける」タイプのオタクである。普段、日常過ごしていたら「この時にこんなことを思った、考えた」だなんてするすると流れて消えてしまう。しかしTwitterに書けば、それがせき止められ、言葉として記録されていく。自分の思考履歴が残っているのはとてもおもしろい。
それは、他人から見ればどうでもいいことばかりだ。暑い。寒い。眠い。お腹すいた。特にそういう生理的なことは、無用である。くらりょって○○で☆☆だから本当に最高のカプなんだよね!!という主張は、たまに他人にとって有用になったりしているのかもしれない。
人がよく言う「自分の中にあったもの(考えていたこと)を言語化してもらえた」という表現が嫌いだったりする。自分だってそう感じることはあるが、臆面もなくそう書いている人を見ると「は?うるせえな、勝手にただ乗りしてんじゃねえ」と斜に構えてしまう。
小説家の思考を書き連ねた本を読んだ。いい文章(小説)とは、人に「これはわたしのことだ、わたしが考えていたことだ」と思われる文章のことをいうのだという結論だった。いや、マジでそれ。でも人にそうやって思ってもらえるように書くって、めっちゃサービス精神だよなと思った。
サービス精神。わたしには欠如しているなと思う。わたしはただ、動き回る思考を「オラッ!!大人しくせいっ!!」と手づかみし、こうして「文章」「言葉」として切り開き、外に出すために文章を書いているから。目に見える形になったことで、わたしの頭の中を暴れ回っていたのは、こういう言葉たちだったのか。とふむふむ眺めては、なるほどなぁ。と納得したり、めっちゃわかる!!と共感したり、何?と謎になったりもしている。
それは素材のまま、ただ切り開いて内臓を見せているだけの状態になる。知り合いならそれを見て「見事な包丁さばきだね〜!」になることもあるかもしれないけど、わたしを知らない人が切り開かれた素材を見ても「怖…」としかならないだろう。これを綺麗に切って盛り付けすれば、ようやく他人が「これはいい刺身ですね!」と受け取れる。それがサービス精神だと思う。(そうか?)
わたしがわたしの文章、思考の履歴を見て「いや〜おもろいっすわ!」と思うのは、「そうそう、わたしはこんなことを考えていたんだよね〜」と感じるから。つまりこれは…究極の自己対話であり、他人へのサービス精神はない。
去年の夏からTwitterの代わりにジャーナリングをするようになって、自己内省、自分がその時どう思ったのかを掬い取るのがやたら上手い気がしていた。「わたしはこのときどう思ったのだろう…」ではなく「わたしがこのとき○○と思ったのはなぜだろう…」ということを考えている。なんか世の中のジャーナリングについての本やら記事やらがしっくりこなかったのは、どうやらここが違ったらしい。
「自分大好き」と言われても別にいいけれど、とにかく「自分」という存在が「今、こう感じる」のはなぜなのか?がめちゃくちゃ気になる。「こうされると、こう思う」「他人はここを気にするけど、気にならない」なぜ…?と思い、頭の中は「あれかも?これかも?こういうことかも?」と思考が元気よく駆け巡ってしまう。
自分自身のことのみならず、自カプやキャラクターの解釈でもよくある、そういうのが。なので過去、夜中に延々と自己解釈語りをしていた。友達に「ふらみんちゃんはいつ寝てるの?」とよく聞かれていたが、言葉にしないことには寝られないので、postしていた。
思えばずっと自分の感情、思考を掘り出して文字にして観察している人生だった。Twitter、ブログ、個人のテキストサイト。インターネットを始めたころにはすでに「自分」が考えていることを言葉にしていた。人のものを読んで「おもしろい」と思う。そうすると自動的に「わたしはこういうことを考えてて…」と考え始め、頭の中を動き回る。そいつを捕まえ、外に切り開く。特に他人から反響はないが、わたしにはよくわかる文章が生まれる。
結果、サービス精神のない自己内省力に特化したフラミンゴが爆誕してしまった\\✨🦩✨//
そもそもこの文章も、特にサービス精神がない。わたしにはなぜサービス精神がないのか、自己内省力・自己対話力だけやたら高いのはなぜなのか、を考え、書いているだけだから。
本来は「さけるチーズって、糸レベルまで割かないとめちゃくちゃ筋を感じて違和感ない?」「しずかなインターネットのこと、略称としてしずみー、しずインは知ってたけどしずネって書いてる人を見て"そんな略し方が?!"ってびっくりした」「ダイヤのA19巻164話を久しぶりに読み返したらいまだに泣けた。てかダイヤって、全然セリフで語らない漫画だよね」「とかを前回の週刊ふらみんちゃんに書きたかったのに、前年の17歳を振り返っていろいろ考えてたらすっかり忘れてた。てへぺろ」ってことを記録するため、書き始めたのに…。