真に楽しい野球を取り戻そう。『僕はまだ野球を知らない』の感想

tndr215
·
公開:2025/6/30

感想というよりプレゼンが正しいかも!読んでくれ、そして広めてくれ、という気持ちが強いのでこの作品は。

高校野球×セイバーメトリクス、だけじゃない漫画

モーニングツーの公式サイトには「今までにない」高校野球漫画と書かれている、『僕はまだ野球を知らない』、略して『ぼくまだ』。簡単に言うと「野球素人の新米監督が、セイバーメトリクス(野球の統計学)を使って弱小野球部を強くする!」という漫画。

2017年から連載が開始し、商業版は夏の予選を初戦突破したところで打ち切りになってしまった。その後、2020年から作者が個人配信としてnoteやpixivに単話を載せ、まとまったらKindleにて電子版のみ販売という形式で『Second』が始まり、今月最終巻6巻が出て完結となった。(6月22日の週刊ふらみんちゃんでふれました)

2017年時点では「高校野球でセイバーメトリクスを使う」ということはそこまでメジャーではなかったけど、ここ数年では高校野球でもアナリストが所属しているチームが取材されたり、トラッキング(選手の動作などを観測・数値化すること)することも一般的になってきている。作者の西餅先生は先見の明がある。

とはいえ、ぼくまだの本質はセイバーを使った「最新のデータ野球」で「昔からの根性野球」に勝つことではない。「データ」を使って、固定観念や先入観にとらわれず、その子が本来持っている力を見抜き、「正しい努力」でたくさん挑戦してたくさん失敗して「楽しい野球」を取り戻していくことだ。

誰にでも無限に可能性があって、目指したいものがあるならそこに手を伸ばしていくらでも挑戦していいし、失敗してもいいし、うまくできないことがあるからって、自分の価値がなくなることなんてないんだよ。ということを教えてくれる。

最初から最後まで、その理念が一貫していた。西餅先生はツイッターでは実録エッセイ漫画で何度もバズっているほど、ものすごくギャグが面白い。というか物事を面白く表現する視点がすごい。この漫画も数ページに1回はシュールなギャグが挟まる。でも、伝えたいことは一切ブレなかった。

しかし1話から、主人公の宇佐先生が「チームは新陳代謝があるけれど、監督は変わらないのでトラッキング対象になる。ということで各学校の監督をストーキングして性格の傾向を掴みました!」という犯罪行為宣言から始まるため、う〜〜〜〜んアウト………アウトかな〜〜〜〜?!?!前向き(?)に表現すると「尾行・追跡」なんだけど……。ストーカー行為は犯罪ですからね!!!

やばい、いい漫画っぽく紹介したかったけど試し読み1話の時点でめちゃくちゃなところもある漫画ということが隠せない。なんか様子はおかしい、ところどころ。いやでも、忘却バッテリーだって1話すぐでパイ毛でしょ??忘却バッテリーがいける人は絶対にぼくまだも読めるから!!怖くないから!!大丈夫だから!!!他に気になるところを言うとしたら、その、えーっと……失礼は承知で、画力という点では……そこまで、かな……??ダイヤのAに慣れてるので「寺嶋先生って本当に絵が上手くて迫力のある動作描写が神ってた(死語)んだな…」としみじみ感じるという話!!

商業版『僕はまだ野球を知らない』全5巻

全体のあらすじ。野球が大好きだけどプレーヤーとしては才能がなかった物理教師の宇佐先生が、弱小野球部浅草橋工業高校の監督に就任することになり、練習や試合にセイバーメトリクスやトラッキングを取り入れ、野球部を改革していく。

競技経験のない素人監督の言葉に、最初は懐疑的な部員たち。「野球部の常識」に一切とらわれない宇佐先生の指導方針、工業高校であることを存分に利用したいろんな練習マシン、それらに戸惑いながらも能力向上を実感するたび部員たちはついていくようになる。

「今後のためにデータを取りたい」ことを優先する宇佐先生と、「今の結果にもこだわりたい」部員たちの間にすれ違いが起きたり、部員同士でも練習の取り組み方などでぶつかり合うこともあるけれど、浅工野球部は何かあればみんなが対等に話し合い、結束を深めていく。

グラウンド上に怒鳴り声はない。下級生も上級生に率直な意見を言える。合理的で、挑戦や失敗を恐れない野球は、楽しい!そして浅工野球部は、夏の予選で14年ぶりに初戦を突破する!――というところで、終わってしまう!!!!

なんてこったい。これからじゃないか!!!しかも、宇佐先生の父親は全国優勝経験もある学校の監督で…?という情報開示で終わってしまう。そりゃないぜ。

商業版単行本の電子版だとカバー折り返しにあるキャラクター紹介が収録されていないため、↑のように作者がわざわざツイッターに載せてくれている。収録してくれよ講談社。わたしは商業版が打ち切りになったころ、「めちゃくちゃいい漫画なのに打ち切りになったしキャラの下の名前もほとんど知らん!!なんてこった!!!」と思っていた。(そしたらそのあとツイッターに載せてくれた。感謝)

わたしは特に、能力もプライドも高いけど小柄な体格で正当に評価されず自尊心がズタズタに傷つけられていた直井くん(1年)と、気が弱くて優しくて全く自分に自信がないエースの水巻くん(2年)が、好きで…。強いて言えば、商業版ではこの2人がキーパーソンだったと思う。エースと主砲だから。キャプテンの吾妻くんと、ムードメーカーの梶田くんもかな。直井&梶田は名前も大虎(たいが)と竜生(りゅうせい)だから、え…なんか…ニコイチじゃん…という、関係性の良さもある。なんでちっちゃくて生意気で態度がデカくて能力が高い後輩って、こんなにかわいいんでしょうね〜。

とはいえ直井くんはズケズケ言うところは変わらないけど、ズタズタだった自尊心の傷を塞いでいってからは超ストイックに部で1番練習して結果も残す最強打者になっていくんですがね…へへ…最高だぜ…。

水巻くんは、ビビリで自分に自信がなくてピッチャーなのに「投げたくない」エース。でも4巻で宇佐先生から「水巻くんが水巻くんであることが最大の武器になるんですよ!」って言葉をもらってね…。マウンドで怖がっている自分をただ受け入れて、ジャッジせず、目の前の自分がやるべきことに集中して、強豪との練習試合で快投するところはね…本当に泣く。

水巻くんのエピソードは、野球のみならず日常生活にも通ずる。「自信がない」自分に対して、「だからダメだ」とかジャッジして自分を責めたり、自分で自分の敵にならない。それが大事。

個人配信版『僕はまだ野球を知らない・Second』全6巻

Secondはどちらかといえば、宇佐先生よりも部員それぞれの群像劇的な側面が強く、水巻くん以外の投手の成長や変化もベースになる。そして浅工野球部VS野球部の悪しき伝統が、メイン。

「野球の楽しさ」「自信」を取り戻した浅工野球部は順調に勝ち上がり、ベスト16まで進む。4回戦の相手は全国制覇経験もある強豪、十条学院。このチームの冴島監督は、宇佐先生の実父だった。

昭和から変わらないスパルタ教育、罵声、懲罰、連帯責任。それらを全て引きずった十条学院に対し、新しい「楽しい野球」でのびのびとプレーする浅工野球部。試合を終える頃には、冴島監督にも変化が…?

子どもたちの「野球は楽しい」という気持ちを尊重した野球が行き着く先は――。

といった感じ。2〜5巻まで、まさに「厳しい強豪高校」の悪いところを濃縮還元したような十条学院との対戦が描かれる。『僕はまだ野球を知らない』という物語のキモは絶対にここだったので、作者が個人配信という形式をとってでも描き切ってくれたのは、本当にありがたいことですね。

十条学院戦、何が怖いって描かれた十条側のエピソードが「こんなことをしているなんて考えられない、信じられない、見たことない」とはならない行為ばかりなこと。罵声、懲罰、連帯責任。恐怖で支配して、ついてこられなかったものは振り落とし、弱者と切り捨てる。わたしのような競技経験のない素人でも、「運動部ってこういうとこあるよね」と感じる。プロ野球選手やOBからどこかで聞いたことがあるようなエピソードばかり。

もちろん、現実はそんなチームばかりではないということもわかっている。けれど野球部の不祥事はなくならない。一昨年に夏の甲子園を制した慶応高校の「髪型も自由で自主性を重んじる校風」が、かなり取り沙汰されたのも記憶に新しい。「坊主頭の部員が少ない」というだけで「今の高校球児は、こうなんですよ!」とわざわざ報道されるのが日本の高校野球の現状ということだ。

「厳しい高校野球」は過去の話なのか?

年末からわたしが急速にハマっているエバースの佐々木さん。(ABC優勝おめでとう!)佐々木さんは野球だけで大学まで進学し、まさに「厳しい強豪野球部」で高校時代を過ごしている。↑のコラムはその一部が書かれたもの。エラーや凡退でみんなに謝り、みんなはそれを責めなければならない。そうしなければ全員が監督から怒られる。これは昭和ではなく、2000年代の野球部の話なのだから胸が痛む。

もちろん彼は「お笑い芸人」という立場でこれを書いているので、深刻にとらえすぎるのは本意ではないと思う。というか出身高校も年代も公表しているのに、こうして「歪んだ閉鎖的空間」の「もう全員何が正義なのかわからない」状態のことを皮肉ユーモア的に書く佐々木さんのバランス感覚よ…。

ぼくまだの話に戻る。十条のような環境を「野球部の悪しき伝統」として描きつつも、どうしてそういう状態になってしまっているのかということもきちんと書いているのが、この漫画の誠実なところ。不祥事が起き、世間の目が厳しくなっても、どうして続いてしまうのか。理由はある。学校側の思惑や、後援会など周りの影響も無視できない。指導者1人2人が変わっただけではどうしようもできないほど大きなものが背景に潜んでいる場合も多い。

だけど、そんな大人たちの都合で、子どもたちの「野球が楽しい」というシンプルな感情を奪っていいわけがない。「真に楽しい野球」のために、いっぱい挑戦して、いっぱい失敗しよう。それが宇佐先生の方針で、西餅先生が描きたかったことだと思う。

というか「個人配信」という茨の道を選んでもこの話を描き切ったというのに、あとがきもシンプルに終わらせてしまったのが、結構びっくりした。語りたいことなんてごまんとあるだろうに…。

スポーツに厳しさは必要だ。けれどそれは、明確な目的に向かってきつい練習をこなすため、自分を律するための厳しさであるべき。自分の「怠けたい」という心に打ち克つための、厳しさ。「指導者の言うことに従わなければ、ネガティブに罰せられる」ような、理不尽な厳しさでは真の自主性は育たない。時間もかかるしコストもかかる。でも怒鳴りつけて従わせるのではなく、子どもたちひとりひとりを尊重してサポートすることこそが、指導者の役目。

野球だけでなく、なんだって小さな成功体験を積み重ねて、成長を体感できれば楽しさが生まれて自力でノルマを達成しようとするようになる。それが「楽しさ」による力。楽しいからこそ、目の前のことに集中できる。縮こまらずに、真の実力を発揮できる。

理想論で楽観的かもしれないし、フィクションだから上手くいったのかもしれない。でも、この考え方自体はフィクションではないはず。こうした考え方が子どものときから身につけば、大人になってもしなやかに生きられる(レジリエンス)だろうなと思った。そういうことを教えてくれるのが、この『僕はまだ野球を知らない』という漫画だった。

できるだけこの考え方が広まってほしいと願っているので、こうして書いた次第です。

以下余談。

「厳しかった学生野球時代」の話をする人たちは多いし、それ自体がプロ野球OB YouTuberのキラーコンテンツになってる。昔はわたしもそれを「うわぁ、大変だ…」という感情でしか受け止めていなかった。けど、ぼくまだを読んだことで「この人たちはものすごく傷つけられて生きてきたんだな」と思うようになり、笑えなくなった。

重くなりすぎないよう、角が立たないよう、「ここがヘンだよ!」という笑い話のパッケージングにして、「今は違うよ、昔の話だよ」と強調して、上手いこと話を組み立てている人が多いのもわかる。

でも、昔だろうが確実にそのころ無意味に傷つけられていた自分を認めている人は、極端に少ない。コメント欄での「この人たち自分が上級生になったときの話はしないよな」という批判もすでにお決まりになってきたけど、それに対して「この時代の野球部はどこだってこんな感じ」という擁護のような意見さえ出てくる。

男性(あえて大きな括りにする)は特に、強さ=耐えること、黙ること、反論しないことみたいな暗黙の縛りがある。「あれは絶対におかしかった」とマジトーンで批判するとなると、いろんなしがらみがあるのも想像はつく。「あんなの意味ないよ」と批判するスタンスを取ったとしても、「でもああいう理不尽を乗り越えたから、いま耐性がある」という「意味あること」に繋げられてしまったりする。そうしないと、自分が不条理に耐えてきた事実そのものが無意味になるから。それは怖いよね、人生が否定される感じがするもん。

でも「昔のほうがキツかったから」って、今の異常を見逃す免罪符みたいに使ってしまうのは、結果的に次の世代に苦しみを残すだけだと思う。耐えるのがえらいんじゃなくて、理不尽を減らすことのほうが、難しいけど意義があることのはず。

もちろん変えようと働きかけている人もいるのはわかっているから、それがもっともっと大きな動きになってほしい。そして、野球経験者だけでなくそういった部活の場で理不尽に傷つけられた人たちがの傷が、少しでも多く癒されてほしい。

わたしのような一般人がこうした場で何か書いたところで大きな意味はないと思うけど、インターネットの片隅に残しておきたいなと思います。

@tndr215
なまえ・ジャンル:ふらみんちゃん(17)ところにより天瀬ちゃん おしゃべり大好きオタクです Amazonのリンクはアフィリエイト! bento.me/tndr215