五味太郎「正しい暮し方読本」という絵本のことを覚えている。
だいたいの本のことを忘れている話を書いたが、この絵本のことを覚えている理由を書きたいと思う。
この本を最初に読んだのはたしか、10歳かそこらの時だった。
じつは、昔読んだ物理本があまり手元に残っていない。
一人暮らしを始めてから精神面でのアップダウンや信ずる指針の様変わりなどが何回かあった。それで、長く大切にしていた物理本はおおかた売りに出してしまった(悲しい話ですね)。
しかし「正しい暮し方読本」は実両親が住む家に残されていたため、私という災厄を逃れた。
そういうわけで今も持っていて、たまに眺めている。
この本はその名の通り、正しい暮らし方について微に入り細を穿って解説してくれる本だ。
曰く、「正しい買物のしかた」「正しいお箸のもち方」「正しいねむりのあり方」「正しいホームランの打ち方」「正しい変身の方法」「正しい怪獣とのつきあい方」……。
目次を読めばわかるが、この本は全体的にふざけている。一般的な、”正しい◯◯の方法”というものが(おそらくは)大嫌いな著者が書いた本なのだと思う。
しかしハウツー本の体を取っているためか、ふと「本当の正しい方法」を書いてしまっているような部分がある。
客観的な真実ではないところにある「本当」についてだ。
たとえば私はこの本の「正しい靴のはき方」というページが大好きだ。
なにしろ靴の中というものには、知らないうちにいろんなものが入りこむものです。時には画ビョウが入っていたり、…(中略)…かえるがぼんやりとものおもいにふけっていたり、きゅうに季節がかわって冬になっていたり、…(中略)…いつのまにか立派な街ができているというようなことがよくあります。気をつけなくてはなりません。
五味太郎「正しい暮らし方読本」p.20
であるからして、正しい靴のはき方というのは靴をさかさまにふることである、と続く。「そうむずかしく考える必要はありません。」
ここには本当に「正しい靴のはき方」が書いてあると思った。
自分の靴の中にあるかえる、冬、街の数々。そういったものは本当にいる。私の知らないところで生活している。靴に籠城している。この人はたぶんそれを知っている。
……何玄関でぼんやりしてるの。早く靴をはきなさい。
私は、この本を読んだことがあるので、靴を履くのにすこしだけ時間がかかる。
履く前に靴をふらずに、足先に街を感じるか確かめる。あるいはすこし念入りに、よくふる。
だからこの本を覚えている。