「ストーリーテラー」としての私の性質についての考察

ひよこひよ
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 書き留めるという行為を行うようになってから、10日ほどが経った。しずかなインターネットに想いを綴るという行為が、結構楽しくなってきた。今の私はどちらかというと文字ではなくイラストで「好きなもの」を表現しているのだが、私は自分が思っていたより、1枚の絵で語り尽くせない想いを抱えていたらしい。

 語り尽くせない想いを綴ることを何日か続けて、見えてきたものがある。それは、私の語り口の癖(くせ)である。

 私は過去に夢小説なるものを書いてきた。小説というのは、そこにある空間や情景などの「目に見えるもの」を表現しつつ、読者に感情を想像させることも多い。しかし、私はそうではなかった。というより、背景を描けないのだ。私は絵を描くときも、状況の補足以外で用いる「背景」に、てんで興味がない。どうやら私は、紙の上における背景を重要視していなかったのである。

 物語を描くうえで、私は何を重要視しているのだろう。

 そんな疑問が、パソコンに向かう私の頭の中にふっと浮かんだ。すぐに答えは出た。

 天啓のように頭に浮かんだのは、「感情」と「リズム」だった。

 時折、私は自分の感情が分からなくなる。だからだろうか。夢小説を書いていたときの私は、主人公がキャラクターに向ける「感情」を無意識に重視して描写していた。私が何を感じ、何に価値を見出していたのか……それを物語の中に、キャラクターへの「好き」というきらきらした想いと共に、大切に仕舞っておきたかったのだろう。

 ところで、私はどちらかというと理系脳だ。高校生のときに得意だった科目は生物と英語であった。そのくせ、文系出身である。英作文は得意であったのに、現代文を始めとした国語は苦手で、小論文も得意ではなかった。しかし、本を読んだり、ネットで小説を読むことは好きだった。

 国語が苦手だと、小説を書くのに苦労する。しかし、私は何とかして、想いを書き留め、辺境の地を訪れた誰かに伝えようと、夢小説を書いていた。

 そんな国語が苦手な私が、文章を書くときに大切にしていたこと。それは、文章の「リズム」だ。

 私の句読点の打ち方に、妙なリズムを感じないだろうか。心の声に出して読んだ時、呼吸が出来るポイントに、句読点が置かれている。……ほら、このように。

 そして、私の文章には大きな特徴がある。一番伝えたいことが書かれている箇所や、筆が乗って興奮している箇所など、強めの感情が乗っているところでは、同じことが繰り返し綴られている。流し読みをしていたら気付かれないかもしれないが、文章を読むことに慣れている人には見抜かれてしまうだろう。

 その最たる例が、この3段落だ。

 今日の天気は雨。風が強く、雪が降るでしょう。

 実際の今日の天気はどうだったかというと、ものすごい悪天候だった。私の住んでいるところは最上階なのだが、若干家が揺れているのかと思うくらい、風が強かった。寝ている時間に吹雪かれるのも困るが、起きている、ましてや休みの日にこれなので、ちょっとビビっていた。

 ビビり散らかした私は、あることを思いついた。雨風の音を私の認識からかき消す方法だ。家で暇そうにしている弟を誘って、動画を視聴することにした。

日記「感じた想いを論ずるって、むずくね?」より

 「ちょっとビビっていた」の後に続く、「ビビり散らかした私は、あることを思いついた」という文で始まる段落。ここで、ハッとしたんだな、と思わせるような書き方をしている。こういった強調表現を高頻度で使ってしまうのが、私の悪い癖だ。

 あとは、この日記の最初の方にも、私の手癖が出ている。

 語り尽くせない想いを綴ることを何日か続けて、見えてきたものがある。それは、私の語り口の癖(くせ)である。

 「語り尽くせない想いを綴ること」という長ったらしい名詞。そして、長ったらしい名詞のせいで長くなった文章を一旦切り、指示語を用いて結論を述べる。分かりづらそうな文章は、できるだけだらだらと続けず、短く切ってしまう。この手法を「短文主義」と言う。大学時代に文章作成の講師から習ったことだ。あの頃の教えは、私の中で未だに息づいているようだ。

 私は頭の中に浮かんだ言葉を、その通りに綴っている。だから、文章の癖が出やすいようだ。このことに気づいて、笑いが込み上げてきた。いやあ、語るというのは、なかなか奥が深いな。

@trhnmkc
夢を見て絵を描く鳥。なりすましではなく本鳥です。嘘か本当か分からないことや、取り留めもないことばかりを書きます。