そこはとても退屈な場所らしいと話していたのは、私がこよなく愛する刀剣男士「鶴丸国永」である。原作ゲーム「刀剣乱舞」の、ではなく、「ミュージカル『刀剣乱舞』」の鶴丸国永の台詞に登場する言葉だ。演目の題名にも使われている。
こんなにも鶴丸国永らしいミュージカルの彼が好きなのに、あの話の記憶は私の中でぼんやりとしている。あの作品は、嫌いではない反面、辛くて見ていられないからだろう。しかし、さすがは「ミュージカル『刀剣乱舞』」。散りばめられた言葉に輝きがある。
……とまあ、あの作品についてはいろいろ話したいことはあるが、これについての話は今じゃない。今度に取っておこう。
さて、そろそろ本題に入ろうか。
私が「しずかなインターネット」に拠点を置いて、早5日程度となった。これを公開する頃には、もう少し時間が経っているかもしれない。(そして当初の予想通り、これを書いてから数日が経過してからの公開となった。)
どのSNSや日記アプリケーション、ブログ系ホームページと比べても、ここはすごく心地が良い。誰かに私の言の葉を公開しているはずなのに、誰も居ないところに話しかけている気持ちになる。
せっかくSNSをやっているのだから、オーディエンスはたくさん居る方が良い。その方が楽しい、と私は思っている。誰も彼もがアーティストで、オーディエンス。見向きもされない環境より、多少なりとも「誰かに見られている」と分かったほうが、私は楽しい。
しかし、ふと時折、独りになりたいときがある。人の多いところにいると、疲れてしまうことがよくある。
最初に公開した記事でも話した通り、私は無意識のアンテナにたくさんの取り出せない情報を取り込んでしまい、パンクしてしまうことがある。私はこれをよく「思考のゴミが溜まる」とか「アンテナが詰まる」とか言う。ちなまないが、私は数秘術(※)で言うと、ライフパスナンバーが「11」なのだが、ライフパスナンバーが11の人は「直感のアンテナに人の感情が溜まりやすく、そういうときは不調をきたしやすい」らしい。
(※数秘術∶誕生日などの数字で占う占術の方法)
とにかく、SNSで人の面白い話を見たり、いろんなことを発信したりすることが好きな私でも、独りになりたいときもあるのだ。
そういう意味で、しずかなインターネットは私にとってのパライソ(楽園)になり得るかもしれない。ブログのように堅苦しくなく、SNSのようには開かれていない。それでいて、誰かに私の日記を読んでもらえる。あるいは、私の日記を読みたい誰かが、いつでも私の日記を読める環境にある。でも、誰が読んでるかは分からないから、私はイマジナリー読者に日記を公開するような感覚で、日記を書けている。
ここでは、孤立した空間で「誰かが居るかもしれない」と想像を膨らませながら、思考整理をすることができる。まあ、あとはシンプルにUIが私の好みなのだ。読みやすく洗練されていて、無駄がない。秘密基地に居るような、自分だけの特別感がある。
このしずかなインターネットは、独りで抱えておくには勿体なく、けれども仕舞っておきたいことを仕舞っておくのが丁度よいのだろう。月の裏側を覗きたいと思うのは、相当な物好きだろうから。
「しずかなインターネット」は、私にとっての静かの海みたいなものかもしれない。何もなく一見退屈な楽園を、たくさんの小さな驚きで埋め尽くしてやろう。