バッシングは言いやすそうな人物に集中する (懺悔編)

蟒蛇
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前回の文章はあまりにも他人事のように書きすぎてしまったなと反省していたので、自分の経験としての「言いやすそうな人物にバッシングの矢印を向けすぎてしまった」話をしようと思います。

自分が旧Twitterからフェードアウトする少し前、とあるアクティビストのAさん(現在は肩書きを変更してます)が発した不用意な発言が非難の嵐にあっていた場面を目撃しました。その方は旧Twitter上で何年間もかなり酷い誹謗中傷や殺害予告などに晒されていて、裁判で争った経験もある方です。自分のマイノリティ性についての話ではすごく聡明な方なのですが、他の属性については時々危うい発言をしてしまう方で、たびたび反差別側の人たちにもバッシングされていました。

Aさんの性的マイノリティに対する無知な発言が問題になった時、自分もハッシュタグをつけてかなりキツめの言葉で批判投稿をしました。Aさんの発言は本当にただの無知から来る勘違いという感じで、明確な悪意を感じるものとはまた毛色の違う言葉でした。無知なままでも生きていられるという点で社会的な特権を持っていることは確かですが、酷い差別を何度言われてもやめないようなガチガチの差別主義者に向けるのと同じくらいのエネルギーをいきなり向けるべきではなかったなと思っています。

当時の自分が行ったバッシングは、社会から差別を減らしたりマイノリティ属性の知識を広めるためのものというよりは、己の知識や優位性を示して仲間意識を高めるためのものに近かったと今は思います。Aさんが日ごろ様々な層から非難にあっているという状況も、バッシングに参加する心理的ハードルを下げたのだと思います。すごくマッチョで狭量で持続可能性の低い、下手をすれば逆効果になってしまうような独善的な行動でした。

旧Twitterは、酷いヘイトに対抗するためにそういったメンタリティにならざるを得ないような場所でした。そして、あの時のようなバッシングの数々で心を閉ざしてしまったように見えたAさんもまた、度重なる嫌がらせや誹謗中傷のせいでこの場所で隙を見せてはならないというメンタリティに陥っていたように思います。自分が二度と旧Twitterに戻りたくない理由の一つです。もちろん、だからといって差別をしても許されるわけではありません。ですが、そういった追い込まれた立場にある相手だということを前提とした反論の仕方があったんじゃないかと思うんです。

あれ以降、懺悔の意味も込めて自分はAさんの配信コンテンツを追っているのですが、やはりあの時のことを含む旧Twitterでの批判のされ方については疑問を持っていたようで、率直な思いを書き綴っていました。その点については本当におっしゃる通りだなと反省しました。

去年の夏、トランスジェンダーに関する書籍を複数出版している倫理学者の高井ゆと里さんは、SNSにてこのような発言をしていました。

"いくら場が「荒れる」ことだろうと、正しいことを言っているのだから好きなだけ主張するというのは、確かに個人でやるぶんには結構なことだけれど、それが集団のうねりになった結果として「荒らされてしまった」場所で、誰がもっとも傷つくことになるのかとか、そうやって場所が「荒らされた」ことで生まれる傷をケアするためのコストが誰にしわ寄せとして向かうことになるのかとか、まったく想像しもしないのは一体どういうつもりなのか。そんなことは考えるつもりも考える責任もないと言うのなら、もうマイノリティの状況になんて関心がないとはっきり言えばいい。社会運動における「ケア」の問題がこれだけ認識されているのに、どうしてそんな非難の濁流のようなことを続けられるんだ。"

この投稿は、自分が本格的にこれまでの言動や行動を反省するキッカケとなりました。言っていることは正しいのだからと、相手の状況やコミュニティの様子などまったく顧みることをせず、ほとんど罵倒や嘲笑のようなマッチョでガサツな非難をする……加害側としても被害側としても身に覚えがありすぎて、高井さんのこの投稿は定期的に思い出すようにしています。

元アクティビストのAさんの件だけでなく、自分は反トランス差別の文脈でも大いにやらかした経験があります。そして、高井さんが仰っているのもまさに(主にアライによる)反トランス差別運動での話でしょう。

トランスジェンダーへの差別が問題になり始めたころ、深みにハマる前に当事者の言葉によって目を覚ますことができた自分は、無知な人たちやTERFを蔑んでバカにする気持ちがありました。少なくとも「女性」のフェミニストは例えシスジェンダーであろうとこの家父長制社会の中で被差別者でもあるにも関わらず、日本国籍日本人のシスヘテロ健常男性や公職の権力者に向けるのと同じような態度でバッシングをしていました。今タイムマシンで当時の自分に会いに行ってそのことを指摘してもきっと否定するでしょうけれど、その行動はトランスジェンダー当事者たちのことを第一に考えてのものではありませんでした。

自分と同じような行動をしていた反トランス差別の人が他にもたくさんいたのを覚えています。自分たちの行動がトランスジェンダー当事者のためにならないどころか、果てのない尻拭いを課してしまったことは、トランスヘイトが激化してしまっている今のこの状況が物語っています。

どんなやり方で伝えても反発して聞く耳を持たない人も中にはいるでしょう。でも、嘲笑したりすぐに他者化して敵認定しなければ、早くに戻ってこられた人も大勢いたのではないでしょうか。当事者たちに無限の寛容さを求めるのは酷ですが、少なくともアライである自分たちは戦い方を考えるべきだったのではないでしょうか。

言いやすそうな相手には、強気でマッチョで時に嘲笑的なバッシングをする……自分以外にも身に覚えのある方は多いと思います(ホモソーシャルの中でマッチョさが身につきやすいシス男性は特に)。己の優位性を示したり仲間意識を強めるためなどではなく社会と向き合うつもりであるのなら、自分の中のバイアスも常に確認し続ける作業は必須ですね。

@uwabami
オタクィアフェミニスト。社会やら趣味やら雑多に語ってます。 詳細なプロフィールや語りの傾向は固定記事にて。