まほぴの友達

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突然なに⁈ 感に満ち満ちたタイトル。

当然だがわたしは、まほぴこと歌人の岡本真帆さんとは友達ではない。会ったこともない。一方的にSNSをフォローし歌集を買い追いかけている。それだけの関係だ。じゃあなぜこのタイトルなのか。ずいぶん前に木下龍也氏へのあふれる愛をしたためた「龍也の女」から引っ張っているのだけども(つまり〇〇の〇〇シリーズ。「百年の孤独」でも良いことになってしまうゆるゆるシリーズはこれにて完結だ。)、もうひとつ理由がある。まほぴさんの歌集って、友達に話しているような、気楽でほっこり、うふふと微笑んじゃうような距離感を出してくれていると思いませんか。思うんですよわたしは。だからタイトルが「まほぴの友達」。友達じゃないのに、だ。

さて、このエッセイは、まほぴさんの第二歌集「あかるい花束」の感想を、手紙をにしてご本人に送ろうと思い立ったことがきっかけで書かれることとなった。

「私、失敗しないので」とはかの有名なスタイル抜群お顔つよつよ天才かつ最強女医が言った言葉であるが、一般人のわたしの場合は、「私、失敗しかしないので」だ。(※ここでは感想を書くという行為に限らせていただく。)どうにも感想を書くという行為が苦手だ。夏休みの宿題筆頭の感想文なんて、感想の書き方がわからずに、毎年あらすじだけを書いていた。先生、ごめん。わたしの理解力はどこか遠くの小惑星へ旅立っていたのだろう。銀河鉄道にでも乗っていたのかしら。そんな女でも国語の成績はそれなりに良かったし、立派な文系人間として無事に成人したので、感想文の体を成していないものを錬成し続けたとしてもなんら恥じることはない(たぶん恥じた方がいい)。でもまあ、なんとかなる。

さてさて、話を戻そう。まだ「なぜわたしはこのエッセイを書くのか」の冒頭しか話していないのだ。毎度のことながら導入が長いぞ。

感想を書く。それができない。感想なんて「うわああああ」「すごい」「好き」ぐらいしか思い浮かばない。だってねえ、心が揺さぶられたらそんな言葉しか出てこないでしょう?? ね??? わかるよね???? あなたもそうでしょ!?!?!? と強気の圧をかけてみたが、そんなことはないんでしょうね。苦手意識はあっても、きちんと感想を書いた感想文を提出した経験のある人にはわからないでしょうね。ケッ!

あはは。あまりにも感想を書くことが苦手で情緒が乱れてしまったぜ。いかんいかん。ということで、わたしは感想が書けない。日記帳に、読んだ本の感想を書くぐらいならまだいい(それも箇条書きだが。)、わたししか見ないから。だが人に見せるようなものは無理だ。ましてやご本人にお届けするなんて、全身から滝のような汗が流れやがて水分が枯渇した体は干からびミイラとなり数百年後に発見され国立科学博物館に貴重な資料として収蔵され……的な結末を迎えるのだよ。なにせあらすじを書いてしまうぐらいだからな。がはは。

だからエッセイなのだ。わたしは気づいた。ほんの少しの「創作」を混ぜれば、感想はぐんと書きやすくなることを。

はい。なので書いてます、エッセイを。「あかるい花束」を手に取りまほぴさんの歌にふれた感想を、エッセイという枠にはめてお届けします。たとえご本人に届かなくとも、だれかには伝えたいのだ。岡本真帆という歌人の素晴らしさを。

ここでまたわたしの個人的な話をしよう。二月ごろから体調が悪かった。ヘルニア戦記を読めばわたしの苦しみがわかっていただけると思う。そしてこの不調の前兆を感じたのが、今年の二月だった。極度の腰痛で動きが制限され、かつ今このタイミングで??? と叫ばずにはいられないほどひどい、女性特有のホルモン事象の荒波にぐちゃぐちゃに揉まれ、この世のすべてが憎いと思うほど体も心も絶不調だった。その不調がやっと落ち着きを見せはじめた四月、やっとまほぴさんの歌集をひらいた。当時はまだ回復期で、相変わらずしんどい日々が続いていた。そんなわたしの疲れてぼろぼろになった心に、まほぴさんの歌はじんわり沁みた。おおげさに慰めることも励ますこともなく、ただそっと横に座って、同じ目線で寄り添ってくれたのだ。あったけえ……わたしはほっと息を吐いた。

まほぴさんの歌集には不思議な力がある。パラパラとめくっていると、たくさんある歌のなかから、「いま」にぴたりと当てはまるものが浮かびあがるのだ。何往復もして、すべての歌に目を通しているはずなのに、あれ? こんな歌あったっけ? と感じる歌が必ずある。そしてそれが、いま抱いている気持ちを肯定してくれるのだ。春ごろの不調期には「しんどいよね。わかる。辛いよね」と頷いてくれるような歌ばかりが目について、一緒に泣いてくれてありがとうと思えたし、ヘルニアから回復して絶好調になった晩夏には「やった! 楽しい! うれしい!」とぴょんぴょん跳ねてくれるような歌ばかり目について、一緒に喜んでくれてありがとうと思えた。まほぴさんの歌はいつもこうなのだ。悲しいときは寄り添ってくれるし、うれしいときには手をとって笑ってくれる。いつでも近くにいてくれるのが、まほぴさんの歌だ。抱えている感情の半分を受け取ってくれる。背中をやさしくなでてくれたり、ぼんやりしながら隣に座ってくれる。泣いて笑って食べて愛でて、まほぴさんの歌はいつもそこにいるのだ。

難しい言葉も表現も使わない、等身大の彼女の歌は、わたしたちの「いま」のなかにいる。彼女だからこそ詠める、だれに対しても平等にやさしい三十一文字で、わたしたちの「いま」を肯定してくれる。悲しみも喜びも怒りも、まほぴさんは否定しない。彼女の歌は、ありのままを受け入れてくれる器だ。ふかふかのラグと手触りのいいブランケットが用意された、とびきり居心地のいい場所。それが彼女の歌であり、彼女の言葉が詰まった歌集なのだ。まほぴのさんの歌にふれ、わかる! と思えるのは、彼女が他者に寄り添う歌を詠める人だからだ。

ね? わたしたちが求める、やさしくておもしろくてあたたかい、最高の友達でしょ? あなたも一度、まほぴさんの作り出す居心地のいい場所に来てみませんか? 彼女はきっと、ふらりと現れた友達のために、おいしい紅茶と焼きたてのクッキーを出してくれるはずだ。

@uzu_uzu
エッセイ書いてます。いかにくだらなく、いかにアホな内容を提供できるかをまじめに考えています。 ごくたまに創作もするよ。