ベトナム奇行備忘録 [2] からの続き
●マザーテレサ2人と小学生
イスクラさんには去年同様、鉄道から宿、ツアー、旅の手配のほとんどをやってもらい、菊川さんにはフライト全行程を一任。そればかりか、お二方には日々計画・食事チョイス・車の手配・マップ確認、通訳、円換算、会計、オンラインチェックイン、座席指定までまるっと分単位で世話になった。

お母さんが骨折入院ということで途中帰国になった克子も、列車や宿など方々へのキャンセルかつ新規にフライトチケットまでぜんぶ手配してもらっていたうえに空港まで見送ってもらっていた(1人で残って迷子になってはたまりませんのでわたしもお供いたしました)。おまけに2人は「途中帰国で気の毒」と、時間をかけて彼女へのお土産を物色していた(わたしは買っておりません)。令和のマザーテレサと言って差し支えないと思う。
最初のうちは「わたしも何か……何かしないと……」などと多少は思っていたものの、途中からは開きなおり、家族旅行で親についていく小学低学年のようだった。彼女らが必死に検索やら地図の確認やらしている様子を、小学生のくせに煙草を吸いながら眺めたりそこらへんをフラフラして待っている体たらく。本当に頭が上がらない。足を向けて寝られない……。

入念なチェックに余念のない女神2人……。
こんなに世話になっているにも関わらず、寝相が悪いということを理由に毎回1番大きなベッドで寝かせてもらう。そして1番早く寝て、準備の整った2人に起こされる毎日だった。
ふだんは自宅と仕事場の往復だけの身の上なので、旅では散々歩き回って疲れ果て、宿に着いたらソファで寝落ちしたりトイレで爆睡してしまっていた。
あとでイスクラさんのベトナム記(近日発売)を読んだら、わたしが寝たあとでも2人はその日に買ったTシャツを着てご披露してみたり、明日の予定を練ったり、ツアー会社に連絡したりフライトチェックインしたり……と、とにかく忙しく過ごしていたようだ。ホント、サーセン……。早朝4時に起きて1人で海に行くために水着を着て寝たという菊川さんを目撃できなかったのだけが残念ではあるものの、睡魔には抗えない年齢だからしかたない。

そういえば、ダブルベッドにわたしと菊川さんが寝ることになった最後の夜のこと。先にベッドに入ったわたしは一応左の端で寝たのだけど、途中で目が覚めたらどういうわけか菊川さんが左側で寝ている。(あれ? わたし左で寝たよな……?)と思っていたら彼女と目が合い、「わたし、3分の1で大丈夫ですから……」と言われ、(何言っとるんじゃ……)と夢現のまま思ったら、自分がザ・ド真ん中で寝ていたことに気づいて慌てて右側に移動した。足を向けて寝られないと思っていたのにベッドのスペースまで奪っていたとは……。

寛大で親切極まりない2人、本当にありがとう。おかげで楽しい旅になったな〜。
とはいえ感謝とコレとは別。わたしによる菊川女子の警戒センサー暴露話はまだまだ続くのであった。
●菊川女史によるただならぬ警戒心 その5
宿の近所にある人気のフォーを食べに行こうとした時のこと。昼時ということもあり現地の人たちで道路の簡易イスやテーブルも溢れるほどいっぱいだった。
(イスクラ菊川両者が)「どうしよっか……」などと話していたら、原チャリに乗った若いお姉ちゃんが英語 → ベトナム語の通訳を買ってでてくれ、すぐ近くのドリンクカフェで座って食べていいよ、と話をつけてもらった。そこまで着いてきてくれたがあいにくここも満席。「他にも近所においしいフォーの店があるよ」と、少し離れた大通り沿いにある店までまた案内してくれた。

おかげさまでありつけたフォー。
原チャリをゆっくり走らせつつ、席があるか確認までしてくれたその親切きわまりないお姉ちゃんにも「なんでこのお姉ちゃんずっと着いてくんの……なぜ……? まさかマージンを!?」と2人が疑いの目を向けはじめた矢先に道先案内人ガールは「よかったね!」などと笑顔を見せ、原チャリにエンジンをかけ颯爽とどこかに消えていった。
どちらかといえば親切にしてくれるのは(よって必然的に菊川警戒センサーが発動するのは)おばちゃんやおじちゃんが多いのだが、この時ばかりは若いお姉ちゃんにその目は向けられた。
唯一センサーが発動しなかったのは、カフェで写真撮っていた時、「みなさんの写真撮りましょうか?」と話しかけてくれたフツーのソロ客で来ていたお姉ちゃんだった。その時の写真がこちら。

ベトナムは公道にがっつり簡易のイスやテーブルを置いているオープンな飲食店がとにかく多く、わたしはそのフリーダムさを心底愛しておりますが、ここではこのように率先してカメラマンになってくれたお姉ちゃんもいたし、隣席のお兄ちゃんとは灰皿を共有したりして街のワンシーンに溶け込んだようでなんだかうれしかったな。

●戦慄! 拷問タイマッサージ
滞在中は寝台車泊の時以外はほぼ毎日イスクラさんとマッサージ(スパ)に行った。ほとんどの店で、事前に問診票みたいなのを書くのだけど、その日のイスクラさんはタイ式マッサージで強度ストロング、わたしはオイルなしのボディマッサージ。強度はノーマルをチョイスした。
最初から様子がおかしかった。フツーにオイルを塗りたくられるし、アクロバティックな動きもある。暗いムーディーな部屋なので良くは見えないが、動作や音も隣のベッドで施術を受けているイスクラさんとどうやら同じようなのだ。わたしの担当の子は若く、隣のベテラン先輩を見ながら動きを合わせている気配さえあった。そしてめちゃくちゃ痛い。何か鋭利な硬い武器でもってグイグイ押されてるような痛みが次々に襲いかかる。小さめの砲丸を肩甲骨の下部分に押し込まれているのでは……? 筋肉が裂けそうだ。もうこれは、イスクラさんが希望したストロングなタイ式マッサージにちがいないと確信した。
新米の若い子が、全身全霊で力の限り『ストロング』なマッサージをやってくれている! 息子より10歳くらい若いだろう。親元を離れ住み込みで働いているのかもしれない。そう思うと、たまに耳元でささやくようなかわいらしい声で「Are you OK?」と訊かれても「もちょっと弱く……」とは言えず、つい「OK」と言ってしまう。そしたら『強さが足りない』と思うのだろうか、さらにハードモードになり『拷問』という2文字が頭をよぎった。(もしかしたらこれは挑戦かもしれない……わたしが根を上げるまでこれでもかと強くするつもりなのでは!)という疑念さえ湧いてくる。そしてまた(こんなに力を入れるなんて本人もさぞ疲れるだろうな……)という気持ちの次に(こりゃ背中と肩はもう完全に内出血してるぞ……もしかしたら日本人に恨みでもあるのでは!)となり、(こんなハードな仕事を遅くまでやるなんて大変だろう。チップなんてオーナーに搾取されてるかもしれない!)と心配になった次にはまた(わたしに挑戦してるにちがいない。負けられません! 勝つまでは! )という思いが次々に入れ替わり立ち替わり、悲鳴を上げられない苦痛のせいだろう、脳内はとても正常な精神とは思えぬ錯乱状態にあった。拷問時には精神崩壊が起こるらしいのであの類かもしれない。

↑これは別日のマッサージの受付 ここで問診票的なものを記入する
終わった時には安堵や開放感よりも、魂を抜かれたような状態ではなかったかと思う。「今、わたしに何が起こっていたのか……?」と放心して、正気に戻ったのはドアの外でニッコリ笑ってわたしを見送ろうとしている彼女の顔を見た時だった。「あ、こりゃ一生懸命にやってくれていたんだな」と瞬時に察知した。それにしても、こんな少女のような女の子のどこにあの鬼のような怪力が……。
発狂寸前だったことをイスクラさんに伝えると、彼女は途中で寝てしまったという。はああああああ? そんなはずなかろう。あの痛さで眠れるとは、全身麻酔をかけられた時しかあり得ない。きっと担当のベテランが手を抜いたのだ。
菊川さんと合流して、内出血してないか背中を2人に確認してもらったけど今のところは大丈夫だという。「今のところ?」翌日に内出血することはわりとよくあるらしい。なんとも恐ろしいことだ。
翌日は俗にいう「揉み返し」も内出血もなかった。しかもなんだか身体が軽快に近い。ベトナム入りしてから軽い熱中症なのかずっと頭痛がしていたのもキレイさっぱりなくなった。そして何より、羽田にいた時点からヒザの内側にあった紫色の大きな痣が一夜にして消えている。これってもしかしてあの拷問のおかげでは……。
菊川さん曰く、血行が良くなったのではないかという。続けて衝撃の告白を今更してきた。昔、タイ式マッサージの権威に「すごく上手い先生がいる。一度受けた方がいい」と紹介されたことがあるとのこと。その時の激痛たるや、「痛さで早く気絶したい!」と何度も思ったそうだ。これこそ真の錯乱。人は、苦痛の限界を超えると逃げるでも怒るでもなく失神を望むものなのか……。いや失神も現実逃避の一部か……ただのマッサージが、なんだか哲学的になってきた。しかしそのあとどうだったのか訊くのをすっかり忘れてしまっている。

今回の「感謝と暴露と拷問の巻」は終わりますが、まだまだベトナム備忘録&菊川女史によるただならぬ警戒心シリーズは続きます。

すてきな夜更けだろう。
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この日記の一部が日記本になりました。前書きは不穏なのでWEBには載せていませんし続編がかかっていますので全員買ってください! 2025.1 - 2025.6