朝から寒くて、悲しくなった。心が暗い。さらに、仕事でよく分からなくなり、むしゃくしゃした。「他の人から見れば、何も起きていないよ、些細なことでなんでそんなに気を張っていると、と思われる状態だろうな」とは思っていた。でも修正できなかった。心が鬱屈としていた。何か起きた訳でもないけど、寒さが作用して余計に、気分が沈んでいた。
僕は気温に対する対応がずっと杜撰だった。少し寒さを感じていても、「まあいけそうだからアウター羽織らなくていいや」って感じでそのまま外出してしまったり、「部屋の中だから半ズボンでいいや」と着替えなかったりと、いい加減だ。「心地良くなるように、温かくしよう」ではなく、「寒いけど耐えられるから大丈夫」にいつも標準を合わせていた。
僕はずっと半ズボンで小学校に通っていた。半ズボンで通っていることに誇りすら感じていた記憶がある。「元気だね〜」「寒くないの?」と聞かれ、全然大丈夫だ!と思っていた。その頃からの癖も多少あるのかもしれないけど、「寒さは確実に感じているけど、耐えられればいい」という考えで過ごしていた。
でも31歳になって、うつ病の丁寧な観察を始めてから初めて過ごす冬にようやく、「寒さって気分を大きく左右するのかもしれない、ケアしないと」と思い始めた。寒さで心が暗くなり、温かさで安心感が増す、という実体験がいくつかあったから。温かくすることの心への影響を、痛切に感じた。
お昼過ぎになって、薬を飲み忘れていることに気付く。そして、二つのことを思った。心が鬱屈としていたのは、別に自分のせいではなく、薬を飲んでなかっただけか、薬を飲めば解決するか、が一つ。もう一つは、いつまで薬に頼らないといけないんだろう、だった。 学生の頃、風邪などで学校を休み、薬を飲まないといけない時、不思議な特別感を覚えた。薬を飲むという非日常的な習慣が日常に組み込まれている事実から、奇妙な誇らしさ、優越感みたいなものを感じた。薬を飲むという健気な習慣を愚直にこなしている自分が、いつもとは違う時間の流れの中にいるみたいだった。それは、「いつもとは違う、非日常で、限定的なもの」だから生まれた感覚だった。
僕は精神疾患の薬を飲み始めて四年くらい経つ。非日常的な、特別感は失われた。僕にとって薬を飲む行為は、「歯磨きをする」「トイレに行く」と同じくらい、ごく普通の日常の行為だった。今朝薬を飲み忘れ、そして恐らく飲み忘れが原因で気分が落ち込み、ふと思った。
いつか薬に頼らなくていい日が来るのだろうか、いつか薬を飲まなくても気持ちが落ち着く日が来るのだろうか、と。薬に頼ることが悪いことではないと分かっているけど、薬を飲まず、心療内科に通わなくても、元気な僕でいられる日常が、将来待っているといいなと思った。