2024年11月22日(金)

吉田卵白
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胸がキリキリする。退職してから一年以上経つのに、未だに前の職場のことを思い出して、胸の中を嫌な感覚が蠢く。悔恨か、鬱憤か、悲哀か、憎悪か、よく分からない。なぜ清算できていないのか、よく分からない。記憶をどう取り扱ったらいいか、よく分からない。

記憶が訪れ、胸を刺激する時、実は先に不快な感情が堆積しているみたいだ。避けたい記憶が訪れたから不快な思いをしている訳ではなく、不快な思いが知らぬ間に身体に溜まり、それがきっかけで厭悪する記憶を招き入れる。

悪い事が重なる時、悪い事が重なっていると認識する時、実は「悪い事だ」と強く認識・判断してしまう素地が先に出来上がっているのかもしれない。実は疲労や不快感がある一定の基準を先に超えていて、悪い事ばかりを拡大してしまうレンズを自覚なく装着してしまっているのかもしれない。

その状態に陥ってしまった時の引力は屈強だ。怪奇だが、自ら好んで不愉快な記憶や感情に執着しているようにさえ思える。しかしそんな時は特に、自分の心を丁寧に世話してあげた方がいい。不快な気持ちになるのは人間として仕方のない事で、心身の不調の予兆だと捉える。

「こんな事、思い出したくない、感じたくない」と抑制するのではなく、認多彩な感情を抱く自分を認めてあげる。「疲れてるんだな、困ってるんだな」と声を聴き、美味しいものを食べたり、ゆっくり休んだり、楽しい事をしたり、心地良さの中に置いてあげる。

そんな事を、うつ病になって学んだ。記憶に苦しむ時は多々ある。解放されたいと空気に向かって懇願する事もある。でも、傷は、ただ痛みを我慢し続けるだけで治癒するものでもないはずだ。痛みを感じるなら、消毒するなり安静にするなり、傷と向き合い、少しずつ回復に向かっていくのが良策だ。

強く感情を伴う辛い記憶に襲われても、「もう結構な時間が経っているのに、記憶に惑わされず前向きになりたいのに、なぜだ」と自分を追い詰めず、ケアしていこうと思う。アンテナを張って、心の嘆きを真摯に聴いてあげて、温和に自分と接してあげたいと思う。

#心情

@yoshidaranpaku
日記の練習。