たとえ貫き通せなくても

弓猫
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先日、腕時計を買いたいという記事を書いた。

ただ漠然と「いい腕時計がほしい」ではなく、どのブランドの、どのモデルがいいか見定める。

見定めるには、そのブランドやモデルの歴史を調べていくと面白い。

そうやって具体的な目標を立てると、着実に自分がその目標に向かって成長していく。

尊敬する方からそんな話を聞いた時は、自分を変えたいと思っているだけにとても興味が湧いた。

そして先日、さっそく銀座に行っていくつか試着してきた。

サイトで見るより、実物を前にしたほうが運命のモデルに出会えるだろうし、実感も湧くと思ったからだ。

そして、オメガ、IWC、パネライ、ゼニスを見て回った。

先述の記事にある通り、本命はオメガだったのだが、いろいろな店が立ち並んでいたこともあり、寡聞にして名前を存じ上げなかったIWCやゼニスも見てしまった。

オメガとパネライは、事前にブランドの歴史やヒット商品を調べていたこともあってスムーズに選べたが、残り2つは何も知らずに入ったため、帰ってから歴史を調べてみた。

その中でも、特に興味をそそられたのがゼニスだ。

パネライやオメガ、IWCは、創業以来一貫して腕時計を作り続けている老舗のメーカーだ。パネライはイタリアの軍用として用いられるほど頑強で、オメガもNASAが採用するほど耐久性が高く、IWCも永年保証を謳うなど、どれも信頼性に欠けては一歩も引かないブランドたちである。

先述した僕の師も「腕時計は時計屋から買いたい」という理由でパネライを選んでいる。

対して、ゼニスはやや複雑な経緯がある。

純粋な時計屋であるのは変わりないが、過去にクオーツショックによる経営危機によりアメリカ企業に買収されており、その際に機械式(電力を必要としないゼンマイ駆動の時計)の生産中止を余儀なくされている。

その後、ふたたびスイス企業によって買収され直され、機械式が復活した。

これだけ見ると、ブランドイメージの毀損である。他3社と比較して、機械式の生産から一度撤退しているわけだ。

しかし、ゼニスのストーリーにはまだ奥がある。

かつてゼニスには「シャルル・ベルモ」という名の技術士がいた。後にゼニスの英雄として語り継がれる人物であり、ゼニスの歴史を語る上で欠かせない存在だそうだ。

先述したアメリカ企業による買収の際、機械式の生産停止だけでなく、設計図や道具まで破棄しろと新オーナーからの命令があった。

しかし、シャルル・ベルモはこれに反対し、設計図や道具を密かに隠し続けていたのだ。

時計大国であるスイス企業による再度の買収があった際、機械式としてのゼニスはまた一からの再建になると思われていた。しかし、シャルル・ベルモの機転により、ゼニスは過去の様々な技術や発明を取り戻すことができ、見事に栄光を取り戻すことができた。

一度は輝きを失っても、野心を手放さず、再度復活を遂げる。

この「復活」こそが、ゼニスが持つ唯一無二のストーリーである。

……。

パネライやオメガの一貫した時計屋としての姿勢を知った時、正直なところ、僕にはピンとこなかった。

自分にふさわしいブランドに思えなかったのだ。

学生の頃の自分は、万能感に満ち溢れていた。専門学生になってからも、成績は常に上位だし、作るゲームも他の生徒より面白かった自覚がある。

しかし、いつからかその自信をなくし、長いスランプに陥り、今はなんとか取り戻そうとはしているものの、まだ完全に本調子に戻ったとは言い難い。

また、今現在僕が作ろうとしているのは成人向けだが、生涯に渡って成人向けだけを作るつもりもない。成人向けこそが自分の生業であり、家業であると胸を張ることはできない。

成人向けを手掛ける理由をいろいろ書いては来たが、結局のところ「生活のため」という理由は捨てきれないし、学生の頃から成人向けにあこがれていたわけでもない。

そんな自分が、はたして一貫性を大事にするブランドの時計を身に着けて、誇れるのだろうか。

そんな思いが、うっすらとこびりついて離れなかった。

それだけに、ゼニスの持つ復活のストーリーは、僕の心に深く刺さった。

ゼニスの時計がほしい。デザインを中心に悩んでいた中で、唯一ストーリーでビビッときたブランドだった。

ゼニスの時計は、決して安くない。

今の僕が復活したとは到底言えないが、ゼニスが買えるほどになっているなら、もう十分復活したと言って差し支えないだろう。

もう10年以上うだつの上がらない自分に届く夢なのか分からないし、今どきたかが腕時計にと鼻で笑われるかもしれない。

が、ブランド品というのは、他者から見てどうかではなく、自分とその商品との中にのみ生じる対話に思いを馳せるものだと僕は思っている。

ゼニスのブランドとしての格がどうとか、腕時計に高価な金を払う価値観を昭和的だと冷笑する人が多いとか、そんな話は至極どうでもいい。

僕は今の僕を気に入っておらず、大きく変わるための目標が欲しく、その目標を探した結果、復活のストーリーを持つゼニスに憧れた。

きっかけこそ師の助言だが、それ以外は他者の干渉は存在しない。

いつになるか分からないが、ゲームを完成させ、販売し、自分の中で復活を遂げたと感じられた時に、自分へのご褒美として買いたいなと、そんなことを思った一日だった。

@yumineko
個人ゲーム開発者。開発の進捗は ci-en.dlsite.com/creator/20437 にて