タイトルは、僕が好きな映画「アメリカン・サイコ」におけるセリフのひとつだ。
映画の詳細は、過去に記事を書いたのでそちらに譲る。要は、孤独感を謳った内容だ。
最近、創作関連で他の人と話が合わなくなった。
特定の誰かのことを指しているのではない。
強いて言うのなら、誰とも話が合わない。
あの映画が面白かった。このゲームが面白いかった。
それぐらいなら、意見が合う時もある。
しかし、「面白かった理由はこれこれこうだから」まで行き始めると、途端に話が通じなくなる。
他にも、創作で抱える僕個人の苦悩や嘆きを、ネット・現実問わず今まで何度も、形を変えて発信してきた。
しかし、部分的に興味を示す姿勢を見せる人はいても、その本質まで踏み込もうとする人間は皆無だった。生まれてこの方、そんな人間には出会ったことはないし、今後も恐らく現れないだろう。
面白い映画、ゲームにしても、オススメしても大抵は触れもせず、触れても冒頭だけだったり汎用的な感想以上は言えなかったりだ。
それが悪い、浅いという話ではない。僕と合う合わないの話である。僕には自分なりの、それぞれの作品に対する解釈があり、それが一致するしないはさておき語り明かしたいと今までは思っていたし、まあ部分的に実現したこともあった。
しかし、最近はそれすらもなくなった。
最初は嘆いた。孤独だと。
しかし、冷静に考えてみれば、共感や理解が得られたとてなんだというのだろうか。
オススメしたゲームを知人が遊び、熱狂し、僕と同じような感想を抱く。それは幸せなことかもしれないが、それだけの話だ。自分の価値観が間違っていたわけではなかったのだと、コンプレックスに塗れた傷を舐めて一時的に癒されているに過ぎない。それ自体に何ら生産性はなく、人生に抱いている無気力感と苦痛が和らぐというだけだ。
しかし、僕が真に求めているのは、そんなつまらないものではない。
一度、自分の人生の幸せについて真剣に考えたことがある。自分にとって、何が一番の幸せなのか。
家族を持つことではない。孤独を癒されることでもない。
色々考えた結果、クリエイターとして満足いく作品を世に出し、手に取った者を圧倒することが、僕にとって一番の幸せだと結論づけた。
認められる、ではない。
圧倒する、だ。
「なかなかやるじゃん」ではなく「なんなんだこれは!」と、理解の範疇を超えて殴りかかるようなものである。
無論、そんなものを生み出すのは容易ではないし、今それを目指しているわけでもない。
あくまで、人生における最大の幸せを考えた場合の話だ。
であるならば、だ。
周りから理解・共感されなくなった僕は、ひとまず一般人のフェーズから抜けたのかもしれない。
僕は、自分が殊に優れているとも、変わり種だとも思っていない。が、少しでも凡庸から抜け出す兆しが見えたと捉えれば、話が合わないという事実もむしろ幸せに思えてくるというものだ。
無論、ただ闇雲に大衆・一般からかけ離れて、理解されないデタラメな創作をする気はない。
しかし、創作において抱える苦悩というのは、創作している人間にしか分からないもので、すべからく孤独との戦いである。
その孤独を、理解されたいと文章にしてSNSに書き連ねたり、飲みの場で愚痴るのが普通の人間のやることで、それを作品として嗚咽するように吐き出すのが創作家のやることだ。
口数の多い僕も、やっと創作畑の人間に近づいたのかもしれない。
そのまま、僕を理解しないでほしい。