前にも書いたが、僕は自分の嗜好をほとんど語れない。
しかし、全く語れないわけでもない。というわけで今回は、こと創作活動に重きを置いた上で、現時点で僕が「これは確実に好きだ」と言語化できているものを2つ、取り上げたい。
文脈
1つ目は、「文脈」だ。英語にするとコンテクスト。
より解像度の高い言葉を使うと「前後関係」や「背景情報」である。
この言葉を意識するようになったきっかけは、「インターステラー」や「ダークナイト」で知られる巨匠クリストファー・ノーラン監督の言葉だ。
彼はスマートフォンを持たないことで知られているが、その理由として「インターネットはコンテクストを損なうから」という端的な見解を述べていた。
そこで前後関係・背景情報としての「文脈」を意識するようになったところに、Automatonの記事が流れてきた。
もうあまりに的確な言語化に最大級の拍手を送りたい。
全て読むに値する貴重な記事だが、要点だけ引用させていただく。
ゲーム的とは、たとえばダンジョンの中に何故か誰が置いたとも知らぬ宝箱が点在しているという状況や、空中に大きな矢印アイコンが浮いているというような、「世界を物語る、表現する」という観点とは真逆の思想を指す。基本的に、世界の中に存在するものは、存在する具体的な理由を持っていると考えられている。生き物や人工物に限らず、事象や概念ですら生まれるための要因があり、そこに居るための理由がある。だが空中に浮かぶ矢印の存在理由を語るには、「これがゲームだから」以上の説明を行うことができない。『仁王』シリーズにおけるレベルも同様だ。崖や水際の一本道といった即死ギミックの設置理由はまだ察せられるが、敵の配置理由(ボス以外)に関して、多くの場合「本作が高難易度ゲームだから」以上の情報を読み取ることができない。烏天狗が何故全国各地の崖際に生息しているのか、なぜ山姥が家の中で包丁を研いでいることなく暴れまわっているのか、という疑問に対し、「ゲームだから」以外の答えを持ち出すことができないのである。これが意味するところは、ステージを攻略するという体験そのものの乏しさと、体験が乏しいことからくるゲームオーバーの際に湧く不快感の大きさである。
これ以上の解説が蛇足になるほど的確な文章である。
そして、「そうか、そんな見方があるのか!」と衝撃を受けた記事でもある。
僕が何気なく仁王シリーズに、いや、それに限らずあらゆるゲームに感じていた不満。
そして、何故かその不満を感じないごく一部のゲームたち。
それらの違いがずっと謎だったが、文脈の違いであったのだと。
ドラゴンズドグマ、バイオハザード、Bloodborne、SEKIRO、ワイルドアームズ、オーバーウォッチ、Apex Legends……そのどれもに、納得のいく文脈が細部まで作り込まれていた。
設定厨だと言いたいのではない。
例えば、ドラゴンズドグマで洞窟に入ったとする。サラサラと音がする。なんの音か見渡すと、足元に打ち付けられた木の板と、その下に僅かなせせらぎがある。
そうか、ここは水が流れる洞窟なのか。木の板が打ち付けられているということは、人の手で改修しようとした名残があるのだな。
水気があるということは、奥に進めばリザードマン(爬虫類のモンスター)がいるかもしれない。奴らは岩壁に卵を産みつける習性があったっけ。この辺りには大ネズミやコウモリがいるが、奴らはそれを食べているのかな。
人の手があったのに今は誰もいないということは、リザードマンに荒らされて利用できなくなったのかもしれない。この先はどこに繋がっているのだろう。
……といった妄想が、自然と頭の中で展開される。そこに明確な正解はなく、設定を突きつめたいわけではない。
しかし、その洞窟に魔法使いの敵や巨大なサイクロプスの群れ、果ては炎を纏う敵がいると「お前らはこんなところで何をしてるんだ、どうやって生活してるんだ」とメタなツッコミが起きてしまう。
リアリティを追求しろという話でもない。
よく言われる話だが、建物の中に置いてあるハーブで回復するバイオハザードなんてリアリティの欠片もない。
しかし、謎の緑のオーラに触れて回復するよりも説得力があり、ゲーム的な都合を感じない。
セーブ時にタイプライターを使うことからも、カプコンは昔からその手の説得力に病的なまでの労力を費やしてきていることが分かる。
フロムゲーに至ってはもはや説明不要で、色違いの敵やモーションの使い回しですら、そこから異なる派閥の意外な共通点を見出す考察材料にさせてしまうほどだ。
その敵が、アイテムが、なぜそこに存在するのか。
そのダンジョンは、なぜそのような地形・景観なのか。
時にゲーム的都合も必要になるし、カプコンもフロムも面白さや快適さを優先した都合はたくさんあるが、意識しておきたい大事な要素だと思っている。
カタルシス
2つ目は、「カタルシス」だ。直訳すると「浄化」で、分かりやすく言うなら「ストレスからの解放でスッキリすること」だ。
これも例によってカプコンとフロムのお家芸だが、特にカプコンは天才なのではないかと思うほどにこのカタルシスの扱いが上手い。
フロムの場合、過剰なまでの高難易度によるストレスと、それを乗り越えた達成感に集約されているが、カプコンのそれはより複雑に絡み合っており、僕も全てを理解できているわけではない。
カプコンいわく「アクションの肝は硬直である」そうだ。自身の攻撃の発生前後に硬直を設け、リスクを与える。そのストレスを突破し、上手くヒットした時にカタルシスが訪れる。
しかし、攻撃後の硬直で被弾するとさらにストレスになる。敵がダウンして大きな隙を晒した時、まるで水を得た魚のように死にものぐるいで大技をぶち込みまくるおしおきタイムが訪れる。
このように、カプコンは随所にプレイヤーにストレスを与え、その解放によるカタルシスをチラつかせて中毒状態に陥らせている。
このさじ加減が絶妙で、少しでも下手をこくとただの不愉快なストレス耐久ゲームになってしまう。
しかし、カプコンは(プレイヤーに気づかせないほど巧妙に)ストレスを与え続け、イライラして投げる前にスッキリさせている。
国内外を問わず、ここまでカタルシスの扱いが上手いゲームメーカーを僕は知らない。僕がカプコンのゲーム(のいくつか)に心酔する最大の理由だ。
安易に真似することはできないが、少しでも意識したい要素である。
まとめ
もっとこう、「ロリが好き」みたいな、視覚的に分かりやすい癖が必要だと思った。
今からでも少しずつ意識したい。