チーム成果のために力を出し切る、でもなく、メンバー育成のために待ち、見守る、でもなく。生成規則を伝えながら(伝える機会を常にうかがい、実践を通じて少しずつ伝えながら)、成果も出し、周りの成長も促す。全部同時にやる。ということなんだよな。それに気づきつつある。
ずーーーっと(少なくとも10年以上)、「全力を出し切って(目の前の)成果を出したい」という気持ちと「周りの人たちの成長機会(→長期的な成果につながる)を損なってはいけない」という気持ちとの間に葛藤があった。たまたま「強い人」に囲まれる時期というのはときどきあって、そういう時はほとんど感じない。でも、ここ10年間、1年12ヶ月のうち、だいたい8〜9ヶ月くらいは多かれ少なかれこの葛藤のうちにいたと思う。
もちろん、手をこまねいていたわけではない。普通に葛藤は嫌なので、どうすればそこから抜け出せるか色々と考えてきた。ここ最近の(暫定的な)答えは、だいたいこのあたりだったのかな。
この記事にもなんだか立派なことが書いてあるが、それでも変わらず葛藤はあった。少しずつ減ってはきていたのかな。でもなんというか、10あったものが、ようやく8か7になったかな、程度の話だ。まだまだたっぷりある。
あと、こんなことも書いていて、
この記事の内容は、当記事の内容にも通じるところがある。ただ、読んでみても結構無理している感じがある。自信はないけど、そうしないとやっていられないのだ、みたいな切迫感というのか。
これらの記事から1年以上が経ち、このテーマについて僕の中で目立った進展はなかった。停滞感があった、と言ってもいいだろう。
そんな折、きょんさんというたいへんえらい人物とゆっくりお話しする機会があり(というか、その機会を作ってもらったのだが)、そこで聞いた色々な話に刺激されて、冒頭の考えに至ったのだ。
すべてを同時に満たせばいいのだ。いや、なんでしょうね、えらい簡単に言うやないの、という感じもあるが、実際そうなのだから仕方ない。すべてを同時に満たせばいいのだから。
もちろん、簡単ではないだろう。だけどやらないとできない。精神論でもなく、イチローさんが言うような「努力してもプロにはなれないけど、努力しないとプロにはなれない」的な話でもない(ちょっと似てはいるか?)。やりたいし、やらないとできないし、だからやったらええだけやん。なんというか、シンプルな話だ。
まあ、こう言えるようになったのは、なんかやれる感じがしてきている、というのも大きい。だから、人に「やれ」とは言いません。やることをおすすめしますよ、とは言いたいけれど。
冒頭でさらっと触れた「生成規則」というフレーズが役に立ちそうだなという感じがしている。「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という話にも構造的には似ているが、重要な違いもある。スキルを教えるという話ではない。どちらかというと、スキルが適切なタイミングで出てくる態度やコツを教える、みたいな話なのかな……。
それから「全体性」の概念も意識している。浅い理解かもしれないが、「チームに全体性がある状態」というものを短い言葉で定義すると、
チームの全員が、無理をしていない
チームの全員が、何かを犠牲にしていない
その場その場に、必要なものを、それぞれの人がしっかり出して(出せて)いる
結果、成果も出ている
みたいな状態なのかなと思っている。なので、これを、自分自身も、そしてチーム全体においてもできるように、そのために何をすべき(あるいは、せざるべき)かを考え、都度行動する、みたいなことを考えている。
ここで重要なのが、まず自分自身が無理せず、何かを犠牲にもせず、必要なものを出していることだ。まあ、この場合「必要なものを出す」ことの一部に「そういう(チーム)状態を作る」ことを含んでいるので、メタというか、自己言及的なところも少しあるのだが、まああまり難しく考えなくてもいいだろう。
今までは、自分に犠牲にすることを仕方ないこととして受け入れる場面が多かった。いや、嫌なんですよ。嫌なんだけど、プロとして、仕方ないときはそうしていたと思う。そんな大した犠牲でもないですしね。ちょっとだけモヤモヤするだけ。
でも、なんか、安易にそうしちゃダメだなって。ちゃんと、そうしない方法、全部同時に満たす方法をもっと考え続けなきゃダメだなって思ったのだ。ダメっていうと後ろ向きな感じがするので、考え続けたいし、その方が楽しいよな、と言い換えてもいい。ほぼ同義です。
できるだけ、犠牲にしない。自分の色々なニーズをどれも犠牲にしない。みんなの色々なニーズもできるだけ犠牲にしない。そのときどきで、色々なことをまとめていい感じにする。そのことを諦めない。
言うは易しだけど、がんばるぞーという気持ちです。