ひぐらしの補遺として。
嗚呼、8月が終わる。
僕は元来、寒い方が好きで秋とか冬とかを至極真っ当に好む。おそらく人類の好きな季節ランキングで一位(僕調べ)であろう春でさえ、暑くなっていく鬱陶しさに加え燦爛たる花粉のためにもう好きじゃない。好きなのは深まった秋、そして葉が落ちた冬である。
ただ、「それでいいのだろうか」とは毎年思っていた。せっかく四季のある国に生まれ、時候を感じ生きているのに、「夏が暑いから嫌だ」という感情を後生大事に持っておく必要はないのではないだろうか。
これで全員が夏嫌いならまだ分かる。人類が夏を憎んでいるならまだ分かるのだが僕調べでいうと夏が好きという人もまぁまぁそれなりにいるのである。それであれば心ひとつで好ましく過ごすことができるのではなかろうか、そうすれば「嫌だ嫌だ」と思う時間が減るのではなかろうか。そんなことを考えた。
それにそもそもなんだが、何だかんだ言って、夏、いつもクソ遊んでる。「嫌いだー嫌だー」と言いながら、毎夏事実としてクソ遊んでる。で、あるならば、もはや好きだと言って遊ぶだけである。そう思って僕の価値観切り替えキャンペーンが始まった。名付けて「全部夏のせいだ」である。
なので今夏は相当積極的に、意識的に遊んだ。体力が尽きようが尽きまいが関係ない。元来それなりに丈夫に生まれた方だと思うが、父さん母さんありがとう、その体に物を言わせて、よく食べ、よく寝て、よく遊んだ。余談だがこの二ヶ月、仕事でも人生史上最高峰の佳境を迎えていたので、よく仕事もした。全部夏のせいである。
それでは僕の夏を見てくれ。

まずは登山。大菩薩嶺と富士山に今夏は登った。大菩薩嶺は二度目。やはりほどよい疲弊感と達成感と良い眺望をくれる山だった。富士山は10回目くらいだと思う。でも昼間登ったのは3回目くらいかな。

奥に太い虹。

立派な影富士が見えた。
降りる途中でフラフラして意識が混濁している人がいて、肩を貸して七合目から降りてきた。たぶん熱中症だったと思う。そんな状態でも歩けるとレスキューはなかなか来てくれない。
降りたあと救急車に運ばれていったようだ。皆もちゃんと無理をしないように登るようにしましょう。体力はすべてを解決すると、自分の体力に感謝した一件。

お伊勢さん。神社体系の最高峰へお参り。人が多くて日本の信仰も捨てたもんじゃない。

その近くの鳥羽水族館もラッコ様に拝観。もっと詳しくはこちら。

スカイツリーにも行ってきた。昔はこの近辺の仕事場だったし、千葉に住んでいたので何度も拝んだんだけれど、久々に訪れた。人間の作りしもののくせに高くて偉大だ。

上の大菩薩嶺登山に付随してなんだけど、そのまま山梨に一泊してほったらかし温泉やら武田神社、善光寺などに行ってきた。最近近場の山は登ってしまったので、友人と旅行を兼ねて遠出することも増えてきて、登山のあとに温泉と酒盛りができるのがThe大人な気がする。次は新潟の雨飾山に行きたいと思ってはいる。

夏を好きになるにあたってどうしても外せなかったのがマリンスポーツだった。もともと知人がサーフィンに誘ってくれていたので、これ幸いと声をかけて連れて行ってもらった。
詳しくはこちら。

知人に連れられてバーに行った。めちゃくちゃ落ち着いたバーで、そのご店主は世界で賞を取ってるようなバーテンダーだという。スイカと巨峰のカクテルを作ってもらった。
いやいや、言うてでしょって思ってた僕が愚かだった。ちょっと信じられないくらいに美味い酒でびっくりした。そこで得られるすべての感覚が最高という経験を得た。絶対近々また行く。

ビアガーデンとかバーベキューも夏には外せない。これも絶対行きたかったものの一つだった。友人、家族と何回か行ってきた。おかげで最近、苦手だったビールの美味さがちゃんと分かるようになってきたと思う。

夏に夏祭りいかなくて夏を語れるわけがない。夏祭りにもちゃんと行ってきましたよ。最近は歴史というか、つながっているものについてよく考える。
夏祭りは人が多くて、人によってつながっているものなので、何ていうか人のバイタリティってすごいなって思った。僕みたいな人間だけだったら、多くのコミュニティを形作るカルチャーが失われていたのだと思う。

プールにも行ってきた。実は二回かな。プールに今夏入ったのは。冷たくて気持ちがいい、と言えればよかったけれど、人が多すぎて生ぬるくて体温に近かった。それでも何ていうか根源的な気持ちよさと楽しさがある。プールは。
あと邪な意味じゃないんだけど、いや若干邪なんだけど、最近は日差しが強いこともあって全身を覆うような水着しかないといっても過言じゃない。ので、流れるプールは、肌色じゃなくて黒色に染まる。

当たり前なんだけど(どの世界の当たり前?)、昆虫採集もした。僕の居住区は田舎なので、少し走るとクワガタやカブトムシがくっついている森がまだある。そこの辺の樹を蹴るのだ。そうするとびっくりしてクワガタやカブトムシが落ちてくる。
クワガタ数匹を捕まえた。カブトムシも落ちてきたのだけれど、落下地点を見失って逃げてしまったようだ。残念。また来年。

だいたい週末ロードバイクに乗っているけれど、それなりに遠出もした。平均40キロ、長い時で70キロぐらいかな。今日(8/31)も40キロくらい走った。長袖は持っていないので、日焼け止めを塗りたくるために、それなりに時間をかけて出発する。
それで遠さや暑さや疲れや日差しはなんとかなることが多かったけれど、こうしてあとあとまで疲弊するのは目だと思う。この日差しのなかでたぶん目が焼ける。サイクリストたちがグラサンをかけている理由を最近強く理解した。あれはカッコつけてるわけではなかったのだな。

御朱印も順調に集まったし、前述のとおり伊勢神宮の御朱印もいただいたし、富士山頂の浅間大社もいただいたし、山梨の善光寺、武田神社もいただいた。
これで極まった、と言ってよい。よいのか。あと出雲大社とかもほしいけれれど、さすがに遠い。遠出をするときに「あ、神社がある」とそれとなく気にするポイントが増えたのがとても良い効果であると言える。
夏休みの宿題系。

全く上手くならないベース、そもそも練習できてないベースをなんとかしたいと思っていた矢先、友達に声をかけてもらって音合わせをした。ほぼ初めて人とベースを合わせることができたと思う。(ぼっちなの?)短い間だったけど感動した。
課題曲を決めてまた合わせよう、となった。10-FEETの「第ゼロ感」である。めちゃくちゃカッコイイ。10-FEETはずっとカッコイイから凄いよな。ベースもやるし、歌ってみれば? ということなので歌ってみることにもなった。楽しみ。練習せねば。

カラオケも朝活の一環として続けることができた。朝カラオケを歌うと、意外と声が出るのを知るんだけれど、それプラス、テンションが上がるってのもあるし、口がちゃんと回るようになるのが副次的効果。
なかなか上手くならないものの、自分の声を録音してNotionに保存している。これを聞いて毎日死にたくなってる、じゃなくて、歌い方を少し変えようと考えている。実際、声の出し方は変わっていってる。

また、人に聞いてもらうようにnanaを始めたのも大きい。改めて、「人に伝わるように歌おう」と考えたのがこの夏。

出社のたびに短歌を書いていたので、結構な量にもなってきたと思う。だいたい書くための思考の流れもつかんできてて、「こんな単語使いたいなー」から結構始まる。
もともと短歌を詠もうと思ったのは、季節のささいな気づきを大切にしようとか、その辺の感傷的なことなので、出社のときに自分の環境の「音」みたいなものに意識を巡らすのはとてもよい。

あとは詩を書いたり。

イラストも描いたりした。まだまだ何とも言えない気持ち、熟練度ではあるのは自覚しているけれど、これが今の最高到達点という事実は間違いない。遠近の感覚や、モノの大きさ、手の難しさなど、自分が全く世界を観察できていなかったと気づくのが楽しい。

その派生で手をいっぱい描いた季節でもあった。ちょっとずつうまくなったと思う。もともとモーニングページとかとやらを朝書こうとしてて、手帳をもっていたんだけど、最近はもっぱらボールペンでいたずら書きをするものに変わってる。

鉛筆を人生で初めて使い切った夏でもあった。
AIの台頭により、プログラムを書くのも簡単になった。ので、実はOSSを一つ世に出した。コマンドである。あと短歌のための画像生成サイトを地味にバージョンアップして、横書き対応したりした。
さらにSlackアプリとかGASとかをいたずらして、自分の情報収集のフローをNotion中心のものに変えた。Slackで絵文字をつけるとNotionにURLが保存され、AIでサマリが作られるようにした。快適である。
夏の終わり。
ざーっと並べてしまったけれど、割と色んなことを積極的にできたように思う。他には毎日散歩をしたり、新しく好きになれるVtuber探しをしたり、水瀬いのりさんのラジオを通しで聞いたり、水瀬いのりさんのライブに当選したりした。
これらのことは基本的にBlueskyで共有して「やったった!」と言ってきた。いまの自分のマーキングとして、行った場所とか、何やら片っ端から投げるけど、受け入れてくれるフォロワーの皆様には感謝であるし、実はミュートされているのかもしれない。しょうがない。
今なら言えるのではなかろうか。力いっぱい夏を遊んだ今なら言えそうである。夏って楽しいな! 比較的好き! 超楽しかった!
終わらなくてもいいかなーと思える夏は初めてであった。
バイバイ、8月。
全部夏のせいだった。