前回⬇
全6回中の第1回⬇︎
前回のあらすじ:11月27日(水)。2泊3日の2日目。泥かきが中止になり、終日あみだ湯のメンテナンス作業をすることになる。午前中は備蓄品リストを作り、海を見た。お昼ごはんにらーめんを食べ、食後のコーヒーを飲み、またちょこっと海を見て、これより午後の作業に入る。
●午後の作業
午後は、堀川さんとふたりで銭湯のタイルに付着した珪藻土をとる作業をした。タイル(にこびりついた珪藻土)をひたすらトンカチで叩き続ける地道な作業だ。おしゃべりタイムと没頭無言タイムを行ったり来たりしながら延々叩く。そうしているうちに青いタイルの上にかさねられた白い層がぼろぼろと剥がれてくる、らしいのだけれど、Bさんから「強く叩きすぎるとタイルまで砕けてしまうから、力加減は慎重に」と教わっているため、あんまり強くは叩けない。こんなに弱くていいの? これほんとに剥がれるの? と戸惑いながら、浴槽のなかにあぐらをかいてトントントントン。そういえば、と気がついた。腰の痛みがだいぶましになっている。これならば泥かきができたかも……と往生際の悪いことを思うも、あの重いバケツを上げ下げしたら昨日以上のダメージを負っていただろうから、これでよかった。

作業の途中でグラインダー*というやつがやってきた。Wikipediaいわく「研削砥石を使用し、その回転運動によって加工物の表面の研削または切断を行う機械」とのことで、これを使えば珪藻土を効率的に削ぎ落とすことができるらしい。が、こいつがとんでもない荒くれ者で、ちょっとでも力をゆるめた瞬間手から飛びだして破壊のかぎりを尽くすこと間違いなし、常に全力で握りしめていなければならない。ほんの数十秒使っただけで、びりびりじんじん手が痺れた。びびりかつそそっかしい私には使いこなせそうにない代物なので、これは危険なモーターの類に興奮するという堀川さんに譲ることにして(堀川さんはバイクが大好き)そのあとはひたすらトンカチをふるい続けた。

すべての珪藻土を剥がしきることは不可能なので、2時間ちょいで無理やり区切っておしまいにした。自分が叩いたタイルの枚数をざっくりと数えてみる。40枚。2時間で、これっぽっち。もちろんグラインダーを使えば業量は格段に増すし、(じっさい、堀川さんは広範囲をスピーディーに磨きあげていた)私がひとよりのろいせいもあるだろう。が、それにしたって、時間がかかる。銭湯のメンテナンスがこんなにも手間のかかることだったなんて、ここに来なければ一生知らなかっただろう。そしてもちろんこの珪藻土落としは、あみだ湯を運営・維持してゆくために必要な諸々の業務のなかにおいては、ほんの爪のさきひとつ分の仕事にすぎないのだった。


*【訂正】当初こちらの珪藻土を取る道具の名前を「ブレンダー」と記載しておりましたが、正しくは「グラインダー」でした。お詫びして訂正いたします。 (あれはたぶん「グラインダー」だったよ、ブレンダーはキッチンにあるやつ…と堀川さんがそっと教えてくれました。ありがとうございました)また、機械の説明にも不確かなところがあったため、改めて調べ直し、書き換えました。 申し訳ありませんでした。
作業を終えて休憩所にもどる。こえさんが番台に立っていたので、少し話した。昨日、進呈したIMAGINARCのアンソロジーをさっそく読んでくれたとのこと。それだけでもありがたいのに、「1/∞の猫」の感想を直々にいただき、とても嬉しかった。番台の前に、のと部で教えてもらった『ノトアリテ』が何冊か積まれていた。1冊いただく。
明日の朝は、こえさんが車でバス停まで送ってくれることになっている。何時にここを出ましょうか、という相談のなかで「1時間ぐらい早めに出て、車で街中を走るのはどうでしょう」というお申し出をいただいた。ありがたすぎる提案に、ぜひお願いします! と飛びついた。あみだ湯でのボランティア作業は強制でもなんでもないので、ちょっと街を歩いてきますね、とことわって外に出る機会ならばいくらでもあった。でも、雨が降ったりやんだり、暗くなるのが早かったり、せっかくならば作業がある時間帯は作業がしたかったりで、けっきょくあみだ湯からほぼ出ておらず、街の様子は移動中にしか見ていなかった。このまま帰ったら、それが心残りになっていただろう。
●蟹天国
今夜のごはんは蟹です、というのは、早い段階で聞いていた。でも、いざその蟹が、炊き出し用みたいなでっかい鍋にぎちぎちに詰まったやつが、目の前にどーんと現れると、ものすごくテンションがあった。

小ぶりなのが香箱蟹。でっかいのが毛蟹。香箱蟹というのは、北陸で獲れる雌のズワイガニのことだそうです。
手が空いているひとみんなで蟹を剥きましょう、ということになり、その場にいた6人でぐるりと鍋を囲んだ。蟹の産地から来たKさんがみんなの先生になって、剥き方を教えてくれる。まずは小さな香箱蟹から。脚をぱき、ぱき、と折って胴から離す。胴は真ん中に爪を立てて、内側に折りこむようにして割れ目を入れる。手を動かしているうちに、おのずと分担がわかれてゆく。脚を折ったり胴を割ったりは、主に先生役のKさんの役になる。生徒であるところの我々は、Kさんから脚や胴を受けとり、フォークや箸で身を掻きだしたり、こそげとったり。蟹トークがはずむ。蟹と関係のないトークもはずむ。自分で剥いたのをちょいちょいつまみ食いしてもかまわない。自由である。
ふいにKさんが悲鳴をあげた。毛蟹の脚を折ろうとしたものの、見た目がグロテスクで厳しい、という。「たしかに毛蟹はちょっと」「アレですね」などという声が生徒たちからもあがる。が、私はまったく抵抗がなかったので、じゃあ毛蟹やります、と手をあげた。毛蟹って、蜘蛛に似てますよね。タランチュラとか、毛深いやつを思いださせます。浮かびかけた言葉は、たぶん口にしないほうがよかろうと判断し、胸に秘めたままにした。

Oさんがこれまた巨大な鍋いっぱいに炊いてくれた酢飯のうえに、みんなで剥いた蟹を惜しみなくのせた。蟹ちらし、なのだけど、スケールが「散らす」の域を超えており、食べているあいだじゅう心のなかで「蟹もりもり」と呼んでいた。これだけでもじゅうぶん幸せだったのに、賄い係のSさんが、サゴシの煮つけまで用意してくれていた。さらに、段ボール2箱ぶんの柚子を見たボランティアのTさんが皮を刻んで焼酎に浮かべる飲み方を教えてくれたので、そのとおりにしてみたら、これまた大変おいしかった。蟹、サゴシ、柚子、どれも近所のひとが「あみだ湯さんに」と届けてくれたものだとのこと。土地とともに生きているからこそできる贈り物だな……とか、地域のひとたちにとってあみだ湯は本当に大切な場所なのだろうな……とか、こうやって贈ったり贈られたりを繋げながらみんなで今日までやってきたのかな……とか、いろんなことを考えながらいただいた。おのずと胸の内で手をあわせるような気持ちになった。


夕ごはん代は、おのおのが食後に300円を、番台に置かれた募金箱に入れるしくみになっている。「今日は原価ゼロ円だから入れなくていいよ」と言われたのだけれど、なにかお返しがしたくて(あと、私は昨日うっかり無銭入浴してしまっていたことに後から気づき、慌てて払おうとしたものの気にしないで、と言われて受けとってもらえなかったり、ノトアリテも無料でいただくのはなあと思ったりしていたので、そのぶんもふくめて)ちょこっとだけ入れておいた。
●心残り
食後、時間が経つにつれて、休憩室の空気は気心の知れた友人との宅飲みのそれへと変わっていった。翌朝になったらなにを話したのかあんまり覚えてなさそうで、でも楽しいし、ゆるい空気が心地いいし、なによりみんながいるし、なんかもうこれだけでいいや〜という、あの感じだ。

昨日の夜も地震がなければこうやってみんなでまったりしていたのだろうか。いや、今日が特別なのかな。そう思ったのは、長期にわたって滞在していたボランティアさんたちをふくむほぼ全員が明日とあさってで帰ってしまうと聞いていたからだ。地元のひとたちにとってもボランティアさんたちにとっても、今夜はみんなで過ごす最後の夜なのだった。通行人Aにすぎない自分がそのなかに混ざるのは違う気がして、ころあいを見て2階に引き上げた。
布団に入ってから、昨日よりも冷えることに気がついた。パジャマがわりのレギンスのうえにズボンを一枚かさね、毛布を寝袋みたいに巻きつけた。屋根を雨がたたく。その音を聞きながら、物思いにふけった。もう帰るのか。泥、重かったな。毛蟹剥きでは活躍できてよかった。でも、それ以外になにかできたかな。というか私、ここに来てからなにをした? 初日のバケツリレーのリズムを思い出し、頭のなかで再現してみる。うーん、10秒で2個ぐらいか? ということは、1時間で720個? いやいやぜったいそんなにたくさんは運んでいない。床下にもぐったひとが分厚く積もった泥を切り出してくれるのを待っていた時間も長かった。てきとうに、1時間に運んだ数を半分の360個と決める。作業時間が2時間だったので、360×で720個。その作業を10人ぐらいでやったわけだから、1人あたりの業量は72個。バケツ72個、これが私が滞在中に運んだバケツの数だ。それから、備蓄品リストひとつ。タイル40枚。ふうん、と思った。
「ふうん」の奥に、くすぶっているものがあった。なんだろう、このもやもやは。自分のささやかすぎる仕事量が不満なのだろうかと、はじめは思った。だけど考えるうちに、そうではないと気がついた。バケツ72個、リストひとつ、タイル40枚。ここには一番やりたかったはずのことがふくまれていない。それが心残りなのだ。
雨の音が強まる。静まり返った大部屋にやたらと響く。この音が、地元のひとたちに9月の豪雨を思いださせはしないだろうか。昨夜地震に怯えていたひとたちは、ちゃんと眠れているだろうか。
こえさんに、聞きたかったことがある。
8月に送ってくれた写真に写っていた散歩道。「”被災地“の外にいる私たちに見せたい風景はありますか」。そう尋ねたら届いた、日常の風景。あの場所は、9月の豪雨のあとどうなったのだろう。気がかりで、だけど当時は聞けなかった。ずっと、聞けないままになっている。
(「珠洲に行ってきた話⑦ 滞在3日目:帰路に着く前に」につづく)
次回でおしまいです。
あわせてお読みいただきたい文章です。9月の豪雨の直前にこえさんと交わしたメッセージと、こえさんが見せてくれた珠洲の風景。こえさんと相談しながらこの文章を書いたことが後押しのひとつとなり、今回の滞在に辿り着きました。