「珠洲に行ってきた話⑤ 2日目・前編:備蓄品リストと防潮堤」

itokawa_noe
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公開:2024/12/29

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全6回中の第1回⬇︎


11月27日(水)

この日の概要: 2泊3日の2日目。終日あみだ湯で作業。5年ぶりの二三味コーヒー。毛蟹剥きでちょっと活躍する。

  

●ゆっくり起きる

朝6時。アラームの振動とともに起床する。4時間も寝ていないはずだけれど、すっきりと目が覚めた。布一枚へだてた隣の半個室にいる堀川さんから「おはようございます〜」とラインが届く。昨夜地震がくる前に、晴れていたら早起きして散歩しましょうと話していた。お天気アプリによると、今日は一日じゅう曇りか雨。だけどカーテン越しの光の感じからするに、今ならおそらく晴れている。空模様の変わりやすい珠洲では貴重な晴れ間だ、すぐに身支度をして出かけたい。けれど半個室を仕切る布の向こうの大部屋は、しんと静まり返っている。我々以外はまだ誰も起きていないらしい。ゆうべは寝たのが遅かったし、この土地がまた揺れたことで、地元のひとたちはよそから来ている私とは比べものにならないほど消耗したに違いない。物音を立てて起こすのははばかられ、しばらく布団のなかで様子をみることにする。二度寝し、三度寝を試みるももう眠れず、読みさしの本の続きを読んでいるうちに8時になった。辺りは依然として静かなままだが、作業は9時からと聞いている。さすがによかろう、と動きだすと、みなさんももそもそ起きてきた。

朝ごはんは、台所にあるもの(パックのお米、ふりかけ、インスタント味噌汁、お餅など)をおのおの自由に食べるスタイルだ。私がもたもた身支度をしているあいだに、堀川さんが「お餅を焼きます! 食べたいひと!」と聞いてまわっていた。堀川さんは軽やかで素早い。ちゃきちゃきしていてよく気がつく。私はのろまだ。ぼんやりしていて気も利かない。以前はこうした場面でのおのれのぽんこつっぷりを実感するたびに自己嫌悪におちいったものだけれど、気にしないようにしているうちに、あまり気にならなくなった。それに、堀川さんはたぶん動かないほうがストレスになるたちなんじゃないかと思うので(違っていたらごめんなさい)ここはもうありがたく甘えさせていただくことにして、トースターでお餅を焼いて磯部巻きにしてもらった。おいしかった。

 

●備蓄品リストを作る

10時少し前、作業のために1階に集合した。全員がそろったところで、本日予定されていた泥かきは昨夜の地震を受けて中止になりました、と告げられた。……ということは、私の泥かきは昨日のあの2時間だけで終わったのか。無念である。が、安全が優先されるのは当然だ。今朝のニュースでも、当面は地震に注意が必要だと言っていた。

代わりに今日はあみだ湯のメンテナンス日になった。具体的には防災対策の強化と掃除をしましょうということで、しんけんさんが仕事をいくつか挙げてくれた。ボイラーの掃除、避難マニュアル作り、備蓄品リストの作成、共用車の掃除……。私は、小説の種になりそうだからという不純な動機でボイラー掃除に惹かれたのだけれど、いやいやそれはどう考えても堀川さんの仕事だろうと思いなおし(堀川さんは銭湯が大大大好き)、備蓄品リスト作りに手をあげた。使うあてもなく、かといって置いてくるのも不安で無駄に持ってきたまま場所だけとっていたノートパソコンに、ようやく(そして唯一の)出番がきた。

2階の大部屋に、備蓄品の詰まった段ボール箱が積まれていた。それらをひとつひとつ開けて中身を検め、項目ごとにまとめてゆく。ここに来る前に漠然と思い描いていた”災害ボランティア”とはだいぶ異なる作業だけれど、こうした細々とした仕事だって、私がやらなければ他の誰かがやっていたはずだ。そのぶんの時間を別の仕事や息抜きにあててもらえたらいい、こうやって生活のなかの小さな何かをちょこっとだけ肩代わりするだけでもきっとお手伝いになっているはず。希望も込めてそんなことを考えながら、まずはレトルト食品の箱に着手する。

しんけんさんから、リストはざっくりとしたものでかまわないと言われていた。だけどいざ箱を開けてみると、食品系は賞味期限がまちまちで、期限ごとにまとめたほうが回転備蓄の管理がしやすいかと思い、そのようにリスト化した。かなり細かくなった。たぶん、細かすぎた。でもまあ、使いにくければ使いやすいように作り変えてもらえるだろうから、そのまま進めた。水や白米の入った箱はずっしりと重く、あげおろしのたびに腰が痛んだ。呻きながらがさごそする私の傍らで、猫が寝ていた。起こしてしまったら申し訳ないな、というこちらの遠慮をよそに寝入っており、目を開けて状況を確認することさえしなかった。日の光が淡くさしこむ布団のうえ、猫はときどき寝相を変えながら、私が作業をしていた2時間ほどのあいだずっと熟睡していた。

  

●海とビニールシート

少し時間を巻き戻す。リスト作りに入る前のことだ。ボイラー掃除担当の堀川さんにくっついて少しだけボイラー室を見学させてもらったあと、自分の作業場所に向かう途中で、足が止まった。洗濯機や乾燥機が置かれている棟とボイラーがある棟との隙間に、細く切り取られた空と海が見えた。5年前に輪島を訪れたときのことを思いだす。朝市通りを歩いていた。なんの気なしに路地のほうに目をやると、細い道のさきでちらちらと光がゆれていた。目の前の景色と記憶のなかの景色をかさねていると、ボランティアのNさんが通りかかった。おつかれさまです、の挨拶のあとで「ここから海が見えたんですね」と私は言った。建物と建物の隙間から、という意味だったのだけれど、Nさんは、ちょっと驚いたように目をぱちっとさせた。「あ、はい、そうなんですよ!」。 ”え、そんなことも知らなかったの?” ではなく ”あ、知らなかったんですね!” という、素朴なびっくりのトーンだった。おそらく、あみだ湯の裏が海であること自体を知らなかったと勘違いさせてしまったのだろう。「すぐそこが海で。ゆうべも津波の危険があったんですよ」。Nさんは言いながら、海のほうへと歩きだした。誤解を正す必要も感じなかったので、黙ってそのままついてゆく。

淡い銀色に輝く海が、視界いっぱいにひろがった。頭上は薄い雲で覆われているが、その切れ間に覗く空は、冬の日本海と言われて想像するような鈍色ではなく、高く遠く澄んだ青色をしている。昨日、大谷に向かう車の中から、この海の向こうにそびえる立山連峰を見た。雲が多いせいか、今日は見えない。「あの青いシートのところ、防潮堤になるそうです」。Nさんが指さしたさきに目をやる。堤防の先のほうがビニールシートで覆われていた。どのくらいの高さになるんですかね、と聞いてみる。「どうなんでしょう。地元のひとたちのあいだでは、揉めたりとかも、あったみたいですけど……」

防潮堤で海が見えなくなる。東日本大震災のあと、津波の被害の大きかった石巻や陸前高田などの地域で同じことが起きた。(*)まだ計画段階だったそれらの話をメディアを通じて知ったとき、当時の私の想像力は「ずっと見えていた海が見えなくなってしまったら、とても辛いだろうな……。でも命には変えられないよな……」というところで止まってしまった。土地そのものに対して強い思い入れを持ったことがなかったせいか、ふるさとを持つひとたちの気持ちを想像しきれなかった。今でも十分にできるとは言い難い。けれど、おとなになってから移り住んだ街で川に対して愛着を持つようになったことで、景色が変わるということの重さを、もう少しだけ感じとれるようになった。

生活の風景のなかに海がある。それは、ただ「眺めがいい」というだけの話ではない。海の見える場所で長いあいだ暮らしていれば、海は身体の一部になる。比喩じゃない。海が生活の糧を得るための場所になっているひとたちに限った話でもない。人は、自然を通じて土地と繋がる。自然を媒介にして、身体が土地に、土地が身体に馴染んでゆく。日常の風景として当たり前にそこにあった海が見えなくなれば、土地との繋がりを断たれ、身体の一部をもがれたような痛みを感じるひともいるだろう。だけど、どんな痛みも悲しみも「人命」という絶対的な優先事項には敵わない。

本来ならば天秤にかけようがないものを天秤にかけなければならない。その痛みを思うと、言葉を失う。だが、相手が自然である以上、これは仕方がないことでもある。(**)人間の身にできることがあるとすれば、弁えることだろう。この件について判断を下すのは、議論するのも、その土地に暮らすひとたちだ。外野が口を出す問題ではない。たかが景色じゃないか、なにを大袈裟な、津波が来て人命が奪われるリスクがあるのならば防潮堤を作るしかないだろう。そんな声もあるかもしれない。だけど、そうやって第三者が軽々しく意見することは、「危ない土地ならさっさと捨てて他に移り住めばいい」という暴論を吐くことと何も変わらない。元日の地震からまだいくらも経たないころ、奥能登を過疎地と呼び、切り捨てればいいと言ったひとたちがいた。あのひとたちに、ここに来てほしいと強く思う。ここに来て。土地に根ざした生活を、その重みを、あなたの身体で感じに来て。今ここで生きているひとたちは、数日単位で入れ替わる流行りのトピックでもなければ、議論の題材でもない。そのぐらい来るまでもなくわかれよ。わかるだろうがよ。そう言いたいけれど、言うけれど、わからないのだったら、来てみなよ。

 

●昼休憩

昼ごはんは、みんなで「8番らーめん」に行った。地元のラーメン店と聞いたときはカウンター席がメインのこぢんまりとしたお店を想像したが、じっさいは広さも明るさもファミレスみたいな、開放的なお店だった。10人以上でぞろぞろ行ったので席がわかれるかと思いきや、みんな一緒に奥の小上がりに通してもらえて、ありがたかった。

8番らーめんって、どんなお店ですか? 事前にそう尋ねると、地元のひとたちが口々に教えてくれた。「北陸のチェーン店です」「どこにでもあります」「おいしくもなければまずくもない」。そっかー、と思い、味にはあまり期待しないようにしていたのだけれど、私の注文したちゃんぽんらーめんはちゃんとおいしかった。同じものを食べていたこえさんが「……8番らーめんらしくない。おいしい」と神妙な顔で言っていたのが可笑しかった。

こえさんといえば、もうひとつ心に残っていることがある。我々の席のすぐ近くの壁に、8番らーめんの営業日を書いたポスターが貼られていた。それを見た誰かが「へー、火・水・木の週3日しかやってないんだ」とつぶやき、それを聞いた別の誰かがこう言った。「珠洲はどこもこんな感じですよ」。これに対してこえさんが、そっと付け足したのだった。「……震災後は、ですね」。小さくて、だけど、毅然とした声だった。

食後、8番ラーメンのすぐ近くにある二三味珈琲につれていってもらった。5年前に旅行で来たときのようにコーヒーとケーキをいただけたらよかったのだけれど、今日はテイクアウトのみの営業とのこと。自分用に船小屋ブレンドを一杯と、つれあいへのお土産用に私たちの好きな酸味より甘味の強い豆を購入した。レジの向こうに、以前来たときはお会いできなかった店主さんがいた。お店のこと、昔からずっと見てました。ご無事でよかったです。地震のあと、早い段階で営業を再開した様子にこちらが勇気づけられていました。そんな言葉がぐるぐるしたけれど、口に出したら気持ち悪い感じになりそうだったので、気持ち深めに頭をさげるにとどめた。

あみだ湯に戻ってから午後の作業が始まるまでのあいだに、堀川さんと短い散歩をした。ボイラー室からもいできた干し柿と珈琲をおともに、防波堤の上からしばらく日本海を眺めた。浜におりて拾いものをしたかったけれど、潮が満ちてきてむりだった。

 (「珠洲に行ってきた話⑥ 2日目・後編:珪藻土削り・蟹・心残り」へつづく)


*防潮堤の話に関連して:石巻の防潮堤についての記事。(有料)

**「相手が自然である以上、これは仕方がないことでもある。」と書いた。地震によって引き起こされる津波については、現状、そう言うしかないだろう。しかし、近年各地で頻発する豪雨は、温暖化の影響を受けていると考えられている。したがって、すべての自然災害が「仕方がない」ことだとは限らない。


あわせてお読みいただきたい文章です。9月の豪雨の直前にこえさんと交わしたメッセージと、こえさんが見せてくれた珠洲の風景。こえさんと相談しながらこの文章を書いたことが後押しのひとつとなり、今回の滞在に辿り着きました。

@itokawa_noe
ぐるぐるぐだぐだな人間のぐるぐるぐだぐだが、140字のSNSだと見えなくなってしまうので。