■ グリム童話「白雪姫」
◉ 母、父と医師、そして王子
毒母と娘の殺し合いの話というのがストレートな印象。初版までの、毒母は実母バージョンの方が好きです。優れた娘の誕生を願うも娘が自分を超えることは容認できず娘の死を願う、そういう母親は存在するのだという話の方が、「実の母親があなたを妬み殺そうとするわけがない」としてしまう話より、私にとっては“救い”がありました。
エーレンベルク稿で印象的だったのは、死んだ姫を見つけ蘇らせるのが父王とその医者というところです。妻の“不手際”をフォローして子を育み、然るべき相手と娶せ、その席で妻を処罰する。父権社会における理想的父親像が描かれているように感じました。であればこの話は「いま母に虐げられている娘は父に救われるが、いつか長じて自分の娘を虐げ夫に罰せられる妻になるものだ」という女への警句が込められていたのかも。姫が小人という男に匿われるのも代理父(≒仮の夫)の庇護下に入ったとみなせそうです。
小人が白雪姫に「3度目はどうにもできない」と忠告するあたりは昔話らしいにしても、胸紐(ベルト)による窒息や櫛による外傷が死因の時は炭鉱労働者である小人が救えても毒は医者しか対処できないというのもリアルで良い。(その観点から言うと初版以降で櫛にも毒が盛られてしまうのは残念。)医者は父王の侍医だから父権の延長線上の存在で、夫より父を優位とする社会が反映されているのかもしれません。
医者と言っても「一本の綱を部屋の四隅に掛けて呪文を唱える」というバリバリの呪術だしグリムも理解しかねたようですが、私としては医術と謎の呪術が不可分に語られているからこそ、グリム兄弟が本来志向していた神話の残滓を感じられて好きです。部屋と綱なら、死者を埋葬した部屋に蛇が入ってきて何やかやで蘇生させる手立てになったとかそういう神話と繋がってそうな気配がする。
でも父親が家庭内で空気だったら、優秀な医者との伝手がないほどの無能だったら、あるいは父親も毒親だったらどうするんだという考え方だと、初版以降の王子の登場が救いになりますかね。あるいは社会が実父より夫を優先する形態に変化して王子が姫を救うようになったのかも。
お陰で王子は「顔と血筋さえ良ければ死体でもいいんですか」とか、「他領の女王を呼びつけて刑死させる(あるいはその許可を出している)のは頭おかしくないですか」とか、そういう誹りも免れなくなってしまっていますが。私はここに「いつでも姫の顔を見ていたいからって召使に棺を運ばせ続ける初版、いくらなんでもパワハラが過ぎる」を加えます。
◉ 白雪姫は「馬鹿」なのか
研究書を読んでると「3回も女王の罠にかかるとか馬鹿なの?」とか、「女王を刑死させてるの、あまりに残忍」とか、結構ひどい評価を時々見かけます。前者については「3回繰り返すのは昔話での“義務”だから……」とか「7歳児にそこまで期待しなくても……」とか思うところはあるのですが、先述した見方を踏まえてもう少し思索を進めてみます。つまり、毒母に育てられた人間にとって見知らぬ年上女性からの施しは、あるいは単純に自分だけの素敵な物は、抗いがたい甘露なんですよ。
不安と寂しさで依存的になっていれば優しく物をくれる年上の女性に理想の母親像を見出して従ってしまうのは仕方ない(実際変装した女王は胸紐を結び直してあげる、髪をとかしてあげると、幼子が求めるだろう“世話”を申し出ている)し、逆に人間不信になって回避的になっていると、もの言わぬ美しい物は心の家族として手元に置いておきたくなるものです。特に、家事をするという条件付きとはいえ、一応の庇護者である小人を得て気が緩んでる時でもあります。結局それで自分を追い詰めてしまうのは、毒親育ち、アダルトチルドレン、NPD被害者あるあるらしい。
そう考えると「そんな言ってやるな」って真顔になってしまうんですよね。失敗を繰り返しても白雪姫は助けを得ながらよくがんばって生きましたってことにしませんか。します。
後者についてはこれが父権社会を反映された話なら母の刑死は白雪姫ではなく父王か王子の意思によるもののはずなので言いがかりも甚だしい可能性がある。
◉ リンゴの毒性は「悪」なのか
白雪姫の決定的な死の原因は毒リンゴを食べることでした。グリム童話より前の時代に書かれた「白雪姫」改変創作『リューベツァールの物語』「リヒルデ」でも引き合いに出されているとおり、リンゴといえば禁断の果実が想起されます。
天上の楽園でアダムとイヴは幸せに暮らしていましたが、ある日蛇に誘われ、神に禁じられていた知恵の樹の実を食べてしまいます。するとふたりは自分たちが裸であることに気づき、恥を覚え、そして神に様々な罰を与えられ楽園から追放されます。このアダムとイヴが人類の祖先だと旧約聖書では語られるのですが、蛇によると知恵の樹の実の効能はこういうものだそうです。
「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
──『新共同訳聖書』「創世記」3章5節
神も「これ以上楽園にいられると今度は命の樹の実まで食べてふたりが神と同じ存在になりかねない」とふたりを追放するので、蛇の言葉は真実なのでしょう。
白雪姫の食べた毒リンゴに知恵の樹の実が想定されるなら、白雪姫は本当に“馬鹿”だったのかもしれない。善悪の知恵が備わっていないなら、胸紐で一度死んでも、櫛で二度死んでも、懲りなくても仕方ない。けれどそれはそれで楽園で暮らしていたアダムとイヴのように幸せだったのではないでしょうか。
そして、リンゴを食べて死んだとしても、知恵を得て、これまでの無邪気な自分とは違うものに生まれ変わったのだとしたら。だからこそ母の己への所業を悪と理解できて、刑死に至らしめられたのなら。白雪姫のその後の人生が語られているわけではないので一概には言えませんが、リンゴの毒が“善”い効能をもたらしたと考えることも可能です。
ならば、白雪姫を妬み命を狙った女王──実母にしろ継母にしろ──が、本当に悪者かはわからなくなってきます。いや、妬み命を狙ったら根性は悪いし現行法では余裕でアウトだし、当時であっても裁定者が誰であれ女王が刑死するのは当然だろうと思うのですが。
グリム童話が採録された地からは遥か遠い我が国……の隣国には、「禍福は糾える縄の如し」という言葉があります。女王の真意はどうあれ、美しいからと言って着飾ることばかり考えては死ぬよ。美しいからと言って髪を整えることばかり考えては死ぬよ。美しく無邪気な姫にとって善悪の知恵を得るのは死ぬほど苦しいことかもしれないけれど、その苦しみを通り抜けたら、これまでとは違う世界が広がって、これまでとは違った生き方ができるようになるよ。そう身を以て理解させられたことは、白雪姫にとっては良かったのではないでしょうか。なんて考えるのは、河合隼雄によれば善悪ではなく美醜を重んじ龍蛇を神とみなす国で生まれ育ったからで、他人事だからかもしれない。ただ、受け入れるかはさておきそういう読み方もできるかなと、ふと思いついたので書き残しておきます。
ただ、知恵の樹の実を食べたイヴに神が与えた罰ってこうなんですよ。
神は女に向かって言われた。
「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
お前は、苦しんで子を産む。
お前は男を求め
彼はお前を支配する。」
──『新共同訳聖書』「創世記」3章16節
アダムと蛇にも罰を与えられていますがここでは省略します。女への罰と、リンゴを食べた白雪姫が王子と出会い結婚する流れが対応するんですが、ならば白雪姫は後に苦しんで子を産み、王子に支配されるのでしょう。「やはり毒リンゴは食べるべきではなかった」と言うこともできそうです。
ところで『リューベツァールの物語』「リヒルデ」ではもうひとつ、不和のリンゴが引き合いに出されています。ギリシア神話において結婚の祝宴に呼ばれなかった戦いの女神エリスが宴席に押し入り「最も美しい女神へ」と記された黄金のリンゴを投げ入れたことで大戦争に発展するという話なのですが、ならば母が美しさを競って姫を殺そうとし、殺されるのも、運命なのかもしれません。
■ 『リューベツァールの物語』「リヒルデ」
13世紀ヨーロッパを舞台に継母リヒルデの生涯を描いた、グリム童話に1世紀ほど先立つ「白雪姫」改変創作物語。これがまぁ面白かった。リヒルデは若くして両親を失い修道院での慎ましい生活を余儀なくされていたものの、面会室にやってくる外の世界の男がことごとくリヒルデの美貌を褒めそやす。そうしてリヒルデは己の美貌と男たちからの称賛に執着し狂っていく姿は単なる「悪者」ではありませんでした。
グリム童話「白雪姫」の姫と王子は先述したとおり後世の一部研究者に「容姿しか眼中に入れられていない」とこき下ろされていますが、「リヒルデ」においては地の文で女とはそういうものだと断言されています。
リヒルデの時代から今日現代にいたるまでに流れ去った五百年このかた、人間の天性は毫末も変わらぬ。当代十八世紀の娘にでも十三世紀の乙女にでも、聡明で分別ある、有徳の男性、一言でいえばソクラテスみたいなのを求婚者としてあてがい、これにアドニスかガニメード、ないしはエンデュミオーンといった美男を並べて、選択を任せてごろうじろ、女の子が前者を冷然とうっちゃって後者の一人を選ぶことは、百対一で賭けてもよろしい。
──J・K・A・ムゼーウス 著 / 鈴木満 訳『リューベツァールの物語』P73
ただ作中では「リヒルデが最も美しい女性だ、異論のある者は私と一騎打ちして白黒つけよう」と公言し実際に一騎打ちするのがリヒルデへの愛情表現とする男が大量発生しているので、たとえ総じて女性にそういう面があると百歩譲ったとしても、「それに喜ぶリヒルデは性悪だ」という地の文の評価を受け入れたとしても、男も共犯です。男の庇護を得られない女性に修道院以外で生きる道がない社会だったならむしろ男側に原因の大半はあるとすら言える。現代でも見られる「女はイケメンにしか興味がないんだろ」という意見も、単に男側の価値観を女に投影しているだけの可能性すらある。修道院を訪れた男がリヒルデの美貌以外を褒めてくれたなら、こうはならなかったんじゃないか。
リヒルデが男からの称賛に執着したのも、早くに失われた両親からの愛情の代替物として必要だったとも考えられます。だから私はリヒルデの振る舞いを短絡的に断罪する気にはなれません。
「リヒルデ」は改変創作とはいえグリム童話における「白雪姫」の改稿にも影響を与えたと考えられている、のかな。ならばグリム童話以降私たちのよく知る女王の鏡への問いも、白雪姫への妬みも、美貌への執着の奥にはもっと根源的な、この世で己の生きる場所への渇望があるとみなすことはできるのかもしれません。
美貌を根拠に男からの寵愛を得て生きるよすがとする女性といえば、『平家物語』の祇王を思い出します。祇王は白拍子(≒遊女)で時の権力者・平清盛に寵愛されていましたが、やがてもっと年若の仏御前に清盛の関心は移ります。祇王は屈辱に苛まれますが、「白雪姫」の女王とは違い殺意は仏御前ではなく自分に向けられ、つまり自害を図りますが母親に止められて出家。仏御前も祇王の顛末は未来の自分だと気づいて清盛からの寵愛を振り切り出家して、人里離れた山の中で祇王とその家族と慎ましく暮らすという話で、私としてはこちらの方が「白雪姫」より心に馴染む思いがしました。隠棲したい。
リヒルデが刑に処される流れもまた興味深い。白雪姫ポジションのブランカに経緯を聞いた王子ポジションのゴットフリートが一計を案じ、リヒルデに気がある素振りをして自分の城に呼びつけ、「結婚式を目前にした女性を妬み殺した女がいる。どんな処罰が妥当か」と尋ねリヒルデが答えた通りに処すというもので、これはこれで昔話にありがちなパターンだろうし、創作物らしい手の込みようで読み応えもありました。リヒルデも死には至らず治療が施されていることに温情を感じる。でも寿命を全うするまで生き恥をさらし己の罪に苛まれ続ける人生が確約されたと考えると逆に厳罰なのかもしれない。ってこれも前近代日本的な発想か。
■ 『ペンタメローネ』「奴隷娘」
「リヒルデ」よりさらに1世紀遡った、ドイツではなく南イタリアで書かれた、やはり「白雪姫」改変創作物語。「白雪姫」の原話と目されているようですが、詳細は不明。今のところ見た中での「白雪姫」系の話だと一番好きです。
バラの花びらを食べたら妊娠して生まれたという異常出生譚なので、そりゃリーザ(白雪姫)は美しいだろうよと問答無用で納得させられるし、密通を疑われることを恐れた実母が隠し育てたから家族に存在を認識されておらず、そのせいで実母の死後に兄嫁から夫の愛人と勘違いされ奴隷として日々折檻されるとか流れがわかりやすいし、奴隷身分に落とすためリーザの髪を短く切ったという描写があってディズニーの白雪姫が短髪の理由もこれかと察せられて気持ち良かったです。
「白雪姫」と言えば雪の白、血の赤、黒檀の黒ですが、「奴隷娘」では折檻されていたから目元はアザで黒く、口元は血で赤くなってたよとかさらりと書いてあったことには仰天しました。なお白への言及はゼロ。さらにリーザが伯父にねだった人形に心情を吐露しながらナイフを砥石で研いで自殺を図る鮮烈さ、訳を知った伯父がリーザをまずは親戚の家で療養させ、元気になったら呼び戻して姪だと宣言することで受け入れ、リーザを虐げていた妻は実家に帰らせるという流れはあまりにリアル。こちらも家父長たる伯父が良縁を結んでくれるので「めでたしめでたし」で良いのだと思いますが、父権社会云々はさておいてもリーザを心から祝福したくなりました。
話の趣旨は「嫉妬はよくない」だそうで、「白雪姫」系列に一貫してあるテーマは美貌と嫉妬、つまり男からの愛(≒己の生きるよすが)の奪い合いなのかもしれない。
余談ながらリーザ誕生時に妖精に祝福されるも最後の妖精がカッとなって「年頃になったらこういう経緯で死ぬ」と呪ってしまうところはいばら姫、家父長に土産は何が良いか聞かれて答えるところはシンデレラと通じていたのが面白かったです。作者が改変時に挿入したのか、元々こういう形で語られていたのか気になる。
■ 参考文献
ジャンバティスタ・バジーレ 著 / 杉山洋子・三宅忠明 訳『ペンタメローネ上』
J・K・A・ムゼーウス 著 / 鈴木滿 訳『リューベツァールの物語』
フローチャー美和子 訳『初版以前 グリム・メルヘン集』
間宮史子『白雪姫はなぐられて生き返った─グリム童話初版と第二版の比較─』
野村泫『決定版 完訳グリム童話集 3』
ハンス=イェルク・ウター 著 / 加藤耕義 訳『国際昔話話型カタログ 分類と文献目録』
小澤俊夫『素顔の白雪姫:グリム童話の成り立ちをさぐる』
金成陽一『誰が「白雪姫」を誘惑したか』
金成陽一『誰が「ねむり姫」を救ったか』
石塚正英『「白雪姫」のフェティシュ信仰』
河合隼雄『昔話の世界』