2024年3月31日でatama plusを退職します。
2月末で最終出社日を迎えて、1か月間お休みして4月からは転職先の会社で働き始めます。3月は筋トレをしたり本を読んだり生成AIを触ったり旅行するなりしてのんびり過ごします。
はじめてのスタートアップだったので、せっかくなら振り返っておきたくて書きます。しずインに限定公開機能がリリースされたら限定公開にしようかな。
長文ですが、キャリアの節目のタイミングなので、記録として振り返ることにします。いわゆる大企業→スタートアップ転職だったので学びばかりでしたが、時系列に沿ってゆるーーく振り返ります!
ありがとうございました!
在籍期間は1年9か月と比較的短めでしたが、Xにも投稿した通り、多くの方にランチや飲み会に誘っていただいて嬉しい限りです。送別もド派手に送り出していただいて感謝するばかりです。今日も飲み会に誘ってもらってます🍺
短い期間でしたが、本当にたくさんの学びを得ました。見渡せば尊敬できる同僚ばかりでまたいつか一緒に仕事ができたらいいなと思っています。そういう人ばかりに囲まれたのは幸運以外の何物でもありませんでした。
会社としては大きな目標に向かってこれからさらに進化していくフェーズだと思っているので、ひとりの応援団としてこれからも応援していきます!
入社の経緯
前職はグループ全体で数万人規模の大きな会社でした。サービス開発・運営にかかわったり、DX部門所属のデータアナリストとして複数サービスの分析・データ基盤整備をしていました。
データ分析をして示唆を出し、施策や機能開発の提案をしたとしても、施策の実現には数か月のリードタイムがかかるような環境でったので、「これで動きの速いソフトウェアやAIの世界で戦っていくのはかなり難しいのでは?」と考え、転職を決意しました(意訳)。
atama plusの「全社的に現場を重視しているカルチャーで顧客の近くでプロダクト作りをしていること」、「専任スクラムマスターを置くなどアジャイルをベースにした組織作り」を魅力に感じ、プロダクトマネージャーの求人に応募し、ご縁あって入社に至ります。
何をやっていたか
プロダクトマネージャーとして入社したのですが、Day1には担当する予定だった案件がクローズしていました。「これがスタートアップかぁ...!」となった記憶があります。
今思えば、内定承諾から入社まで3か月も期間を空けていたので、そうなっても不思議ではないなと思いますね。ダイナミック。(当時はさすがに困惑しましたが、そんなこともあるよねくらいに受け止められるようになりました笑)
組織的には1人月稼働を空けるほど余裕もないはずなので(さすがに居心地も悪い)、どうしようかと社内の人の話を聞いたりドキュメントを読み漁っていると、どうやら「プロダクト開発で現場の定性情報を扱うのは長けているが、定量情報はまだまだ白地がありそう。ここが伸びしろ、かつ自分の経験が活きるのでは?」と思い至ります。
データ戦士期
そこからは先輩データサイエンティストと地道にデータ整備・データを使う文化情勢をしていました。DWHやメタデータを整備し、非分析者向けにSQLハンズオントレーニングをしたり、BIを作ったり、ナレッジのドキュメンテーションをしたり。
のべ半年ほどはこの活動をメインにすることになり、最終的にはチームとして組織図に載るようになりました。
その他にも、開発チームが実施した機能開発の結果を定量的に振り返ったり、UXデザイナーが現場へリサーチへ行くときのターゲットユーザや現場の選定を支援していました。
N1のリサーチも重要ですが、一方でマクロに現状把握することも重要と捉え、ほぼ全ユーザー向けにアンケート配信・分析をして企画にフィードバックできるように仕組みや運用を整えたりもしていました。あらためて書いても地味ですね。
この辺りは先輩データサイエンティストとある程度戦略的に動けていた気がします。うまくいったこともあったし、今思えばもっといいやり方があったかもなーと思うこともあります。データインフォームドな文化が浸透したとは言い難いですし、道半ばではあります。これは別途振り返ってまとめたいですね。
この頃はほぼ毎日コードを書いてCommitしていました。なお、Githubは入社後初めて触りました。初PRはボコボコにしてもらったのを今でも覚えています(笑)
前職はAWSメインでしたが、atama plus入社後はGCPメインに変わりBigQuery、dataform、Looker Studioといった技術スタックの中で業務できたのはデータ戦士として非常に良い経験になりました。
BigQueryの名前はかろうじてわかる状態から、UDFも使うし、BigQuery Scriptingを使ってループ処理ができるようになったのは進歩といえる気がします。
📝思い返すとこの時期にやっていたことが後々の役割変更後の活動に活きた
プロダクトのデータモデル、用語や概念を理解できていたこと
開発中に「エンジニアに聞いて軽く調べなきゃー」というのが減らせた
分析観点で「こういうデータと組み合わせてこう使うため」と意図を明確にしてログ設計の依頼ができた
データという汎用的なツールを基点に社内のいろんな職種の人と話せていたこと
データという共通言語で社内のハブとして動きやすかった
と同時に、どの部門・どの職種でどんなプロセスで仕事をしているのか、どんな課題感なのか少しずつ見えてきた
自分にとってもっとも解像度の高い領域なのでスモールウィンとissue raiseがしやすかった
UXデザイナー転身期
「リリース後にはじめて振り返りを考えている」というプロダクト開発あるあるな課題に気づき、それを後追いで分析してチームにフィードバックしていてもインパクトが小さいなーと思うようになりました。
当時の上司と「データの観点を持っている人が企画のタイミングにいた方がよくないですかね?」という話をして、UXデザイナーとしてスクラムチームに参加することになりました。ジョブチェンジですね(データチームと兼務してました)。コンテンツの保存機能や新規のプロジェクト立ち上げに参加していました。1年くらいしかたっていませんがもはや懐かしいですね。
atama plusのUXデザイナーは課題の探索から課題の言語化、体験設計からスクラムチームと接続してプロジェクトをリードすることが多いロールでした。(UXデザイン5段階モデルでいう戦略~構造までを担当するイメージ)
UXリサーチ、要求整理・仕様整理、UIデザイン、Figmaでのワイヤーフレーム作成やプロトタイピングと改めて学習し直すことが多く、3か月くらいヒイヒイ言っていて、正直かなり余裕がなく生活が荒れていた時期でした。特に、ユーザーインタビューは苦戦しており、そもそも言語化することに慣れていない学生さんと対峙するのは試行錯誤の繰り返しでした。
検証の後は同僚とご飯を食べに行って、ヒアリングのラップアップをしたり親睦を深めていました。業態の特徴として、現場が閉まる時間がやや遅いので飲み屋になることが多かったです。夜にご飯を食べるので余裕で太りました。
社内にデザイナーもエンジニアもいる開発チームで働くのは初めてだったので、会社のスクラムを理解することもUXデザインのキャッチアップと同時並行でした。いろいろ各所に迷惑をかけた気がしておりますが、当時のメンバーに恵まれました。本当にありがたかったです。
なお、atama plusではデュアルトラックアジャイルという戦術を採用していて、これも頭で理解するのと実際にやってみるのとでは、かなりのギャップがありました。やってみて初めてなるほどとなりました。
📝 まだまだ初級ですが、専門職として定性情報を扱う経験ができた
現場は課題発見の近道
ユーザが置かれている状況やその課題の発生する文脈を知らないといい打ち手はできない(あるいはそもそもプロダクトで解くべきかも分からない)
現場は発見の連続なので、行かずに開発していた前々職がいかに何も見えずに企画をやっていたのかを反省しました
実践に勝る学びはない
はじめはユーザと話すのも現場に行くのもおっかなびっくりでしたが、結局現場に行っているうちに慣れました(1年で50回くらいヒアリングさせていただきました)
上司から頻繁にフィードバックをもらうことで言語化を促してもらうのも有効な学びになった
日々インプット↔アウトプットできていたので血肉になっている実感があった
プロダクトマネージャー転生期
UXデザイナーとしての基本動作が身についてきたころ、前任者の退職を受けてtoB向け新機能群開発のプロジェクトに参加しました。ここがターニングポイントでした。
さらに2か月後くらいから、ロールをプロダクトマネージャーに変更して、入社1年後に採用時のJob Descriptionが追いつきました(笑)
※なお、タイトル(VPだとかリードだとか)へのこだわりはかなり薄いのですが、周囲の人と期待値をそろえるためにもロールは明確に周知されている方が望ましいと考えています
プロジェクトそのものは前任者から引き継いだ時点で、各所からの要望が膨らんでいてスケジュールに収まらなさそうな量の開発エピックを抱えていました(toBかつ顧客の業態が年度ビジネスだったので、大型リリースはある程度リリース時期を定める必要がありました)。
そのため、まずチームの認知負荷を下げるためにエピックの優先度を再評価し、スケジュールの再整理に取り組みました。はじめましてのチームでこれをやるのは心理的なハードルは高かったですが、チームに相談したらすぐに後押ししてくれてありがたかったです。
同時に、スクラムチームが十分に機能していない(そのポテンシャルがとてもあったのに!)と感じていたので、週1のレトロを中心に改善活動をしていた時期です。
あとはUXデザイナーも兼務していたので体験設計と検証計画を、データ文脈ではリリースした機能の利用状況がモニタリングできるようなログ設計とモニタリング用の書き捨てColabを作っていました。毎週インクリメントがあって楽しかったですね。
社外の検証パートナーや社内のビジネスチームなどステークホルダーも一気に広がりましたが、多くの方に助けていただきながらなんとか信頼を積み上げていました(多分)。最終的にはビジネスチームから顧客対応も任せていただいて、自走できていたんじゃないかなあと思います。
よく出張させてもらっていたので体力もパッキングスキルもつきました。北海道も何度も行かせてもらいました。検証もその後の飲み会も記憶に残っています。大阪・京都くらいであれば当日準備していけるレベルで仕上がっています(?)
担当していた新機能は紆余曲折ありつつ、無事期限内のリリースを迎え、さらに開発チームは機能するいいチームでいられました。年内にリリースの見通しが立って、チーム流の忘年会ができたのもよい思い出です。
退職を会社に伝えてからの1か月間は機能除却・負債解消を組織的なルーティンに組み込むことを考え、担当者に意志を引き継ぎました。
在籍期間は短いなーと自分でも思いますが、2年弱とは思えないほどいろんなロール・案件に関わらせてもらい、都度いろんな尊敬できる同僚のみなさんと仕事ができたのは、いち職業人として大変貴重な経験になりました。精神と時の部屋かと思うくらい濃密な2年弱でした。
📝プロダクトマネージャーを楽しいと思えた/ケイパビリティを感じられた
ユーザを共通言語にする
現場に行って共通言語を増やす・解像度を上げる
検証パートナー先へ初回の現場訪問をしてから、一気に解像度が上がり、社内のステークホルダーとも肌感を合わせてコミュニケーションが取れるようになった
引き継ぎドキュメントを読むだけでは完全にイメージできない
プロダクトマネージャーが開発速度向上に貢献できるポイントがあるとしたら「作らなくていいものを作らないようにする」こと
見通しと要求水準をチーム内外でそろえた上で、かなりドラスティックに優先度をつけた&「これ本当に要りますか?」と聞いて期待値を整理した
検証の結果、価値が小さいことが分かった機能についてはクローズも経験でき、やらなくていいことを決めるパワーを実感した
機能するチームをつくる
レトロは加速装置
これは違うかも?というものは臆せず伝える
目的を丁寧にすり合わせて、背中を預ける
他職種のシニアあるいはミドルの複数人から「全然PMやっていけると思いますよ」とポジティブなフィードバックをもらったのが自信につながった
一方で、課題は無数にあるのでどの課題を解きにいくか、自分が引き受けるべき課題か?は自問自答して選択していく必要がある
そうしないとキャパが足らない🤯
なぜ転職するか
プロダクトマネージャーとしてのキャリアを追求したくなったからです。
前述したとおり、とてもよいチーム、尊敬できる同僚の方々と仕事させてもらっていたのでとてもとても悩みました。実際、半年以上時間をかけて検討しています。(一緒に働く人に対する人間関係のストレスが皆無でした。こんな職場はなかなかないんじゃないかな・・・)
転職活動中はほんとうにいろんな業界の企業さんのお話を聞き、社内の機会も比較しながら検討を重ねた結果、今よりもフェーズが若く、プロダクトが事業に与える影響がより大きい会社で、自分の思い描くようなプロダクトマネージャーとしての職務が今以上に求められる環境でプロダクトづくりに向き合いたいと考えました。
また、年齢的にもまだまだプレイヤーとして試行錯誤していきたかったので、マネジメントロールの方がいる組織の方が専念できると考えました。よりチャレンジングに働くならば、同じ職能を持つ仲間が多く、打席にたくさん立てて、フィードバックが得やすい環境も重視したポイントでした。
前職でも当然打席に立つ機会はたくさんありましたし、せっかく機能するチームになれているのに...と後ろ髪をひかれる思いではありましたが夏油モードで進むと決めました。決めた道を正解にできるように頑張っていきます。
(この名言を全社MTGの退職あいさつに引用したら「闇落ちルートやんけ!」と言われましたが...)
4月から働きます
次の職場は、またどこかでアナウンスできればと思っています。とりあえずスタートアップです。
相変わらず外の人とお茶したい/飲みに行きたいと思っています。ぜひ横のつながり作らせてください!
次の会社の特徴をざっくり挙げると、以下のような感じです。
日本の社会課題解決にトライしていて、かつTAMが大きい
toBメイン
現場重視かつテクノロジーも活用していくと宣言している
プロダクトマネージャーが多数在籍している
シニアPMが複数人在籍している
組織的にプロダクトマネジメントに取り組もうとしている
100人前後の組織で一緒に働く人たちが素敵
基本フルリモートになり、働き方も少し変わるのでドキドキしています。
3月はゆっくり休んで、万全の体調で4月からやっていけるようにするぞー!