2020年 西日本原付旅 #4

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4日目はこの旅唯一、到着するべき時間が決まっていた日だ。折り返しの日であるこの日の目的地はもちろん福岡市だ。そして福岡の街で知り合いと会い、夕食を食べる予定になっていた。つまり、前日までのように日付を跨ぐくらいまで走るというのはできないということだ。

そのため前日は宇部まで走り抜いておいてよかった。ここまで進んでいたおかげで時間的な余裕はだいぶ確保できたのだ。

宇部の街を抜けようとした時に雨が降ってきた。たしか雨が降ったのはここだけだったはずだ。しかしながら、出発すぐの雨はテンションが落ちる。

雨宿り後に走るのは国道2号線。2日目の愛媛編を除いては基本的にこの2号線を走ってきた。宇部の隣の山口県・山陽小野田市は東西に長く、景色が一定でずいぶん眠かったことを覚えている。4日目ともなると疲れはかなり出てくるのだ。

そして本州最西端の街、下関に着いた。9時台に到着したのでいいペースである。

下関といえば色々と観光地はあるのだが、有名な唐戸市場に向かった。しかし、世はコロナ禍。お客さんは正直少なかった。曜日や時間帯の要因もあったのかもしれないのだが、観光シーズンにはびっしりと人がいるほどに盛況な市場も、この日は閑散していた。たしか食べるものもあまりなく、写真を撮るだけにとどまった記憶だ。

唐戸市場から次に向かうのは関門海峡だ。日本史でもお馴染みの壇ノ浦を目下にして、大阪から4日かけて走ってきた本州ともついにお別れである。

関門海峡はこの橋を渡って九州へと入るわけだが、それは高速道路が使える自動車などの話。歩行者、自転車、そして原付バイクは「人道トンネル」というものを使わなければならない。

下関側の人道トンネルは、まさに壇ノ浦の史跡の真ん前に存在する。長州藩と欧米列強が、源義経と平氏が戦っている真横で少し休憩をした後にトンネルに挑むこととなった。

エレベータで下に降りると薄暗いトンネルが続く。原付はもちろんここではエンジンをかけて行くことは許されない。エンジンを切ったまま延々と押して進むのだ。これがなかなか大変だ。さすがに真ん中くらいで息が切れてくるほどにハードだった。ちなみにこのトンネルも国道2号線の一部なのだそうだ。

トンネルの途中、ついに県境が現れる。感無量だ。50ccバイクでついに大阪から九州に着くことができた。

ゼェゼェハァハァ言いながらトンネルを進み切ると、そこはすでに福岡県の門司である。トンネル出口からすぐに門司港の景色が広がった。

お昼時ではあったが、門司港では昼食を取らなかった。前回旅行で訪れた時に堪能したからだ。ここでいう名物の焼きカレーとは、芸人ロバート秋山氏の父親が経営している海賊船での焼きカレーのことだ。(もちろん、焼きカレーは門司自体の名物である)

ちなみに、2018年には海賊船の焼きカレー(本当はハンバーグ店だったようだ)は閉店してしまっていたようである。旅行で訪れたときがもしかしたら最後くらいだったのかもしれない。そう思うとその時は貴重な体験をした。

前回旅行では工事中だった門司港駅もすっかり綺麗になっており、あらためて他の建物とともに写真に収めた。暑かったので、はちみつ専門店で昼飯前だというのにソフトクリームを買って食べた。生き返る。

さて、大阪から走り続けてきた国道2号線はこの門司で終わり、ここからは国道3号線にスイッチする。九州でしかお目にかかれない国道3号線を原付で走ってると思うとテンションが上がった。たしか海沿いの道だったとは思うが、まっすぐ進むと1時間程度で小倉に到着する。

「小倉といえばあれしかねぇ!」とは、鉄鍋餃子のことである。「日本三大餃子」といえば、栃木県の宇都宮餃子、静岡県の浜松餃子、そして福岡県の八幡餃子といわれている。八幡餃子は色んな餃子料理の総称とされ、その中でも小倉の鉄鍋餃子は最初に食べた時からの密かなファンである。鉄鍋でカリカリになった餃子に柚子胡椒を付けて食べるのが非常に美味い。原付バイクでなければビールを一緒に頼みたいところだ。

腹ごしらえを終えて、良き昼の時間帯になり、いよいよ目指すは福岡市だけとなった。小倉は餃子だけが目的だったので、お城などの観光はしていない。

ここからは国道3号線ではなく、宗像や福津の北側を走る国道495号線を通っていった。理由は海を眺めながら走りたかったことと、国道3号線は帰り道に取っておこうと思ったからだ。しかし、この道のチョイスはあまり良くなかった。結局あまり海が見えなかったためだ。ひたすら退屈な田舎の風景に、ジリジリと太陽が照りつけてきて、景色を楽しむというような道ではなかったことを覚えている。

このツイートをしたころは暑さのピークで、コンビニで水を買って頭からかぶるほどだった。

冒頭にも書いたが、この日は人会う予定があるので福岡市には早く入る必要があった。渋滞などにも巻き込まれ、時間との戦いとなってきたが、まだ明るい16時台には福岡市の北端に辿り着いた。

やがて、原付は福岡市の中心部へとたどり着いた。この旅の往路のフィナーレである。

4日目は疲れがピークであろうことを考え、これまでの出たとこ勝負の快活クラブ宿泊ではなく、事前に博多の街の中心でホテルを取っていた。夕方5時にはホテルの近くのバイク駐輪場に原付を置いて、チェックインした。泊まるところがあるというのは何と心強いことなのだろう。

あとは、博多のグルメを堪能するだけである。

ホテルは中洲だったか天神だったか忘れてしまったが、博多駅まで行くのにキャナルシティを抜けていけば近道だなと思って中に入っていったら迷子になって結局待ち合わせに遅刻した。博多に慣れてないやつはキャナルシティへ入るべきではない。方向感覚が狂わされる建物である。

待ち合わせ人には福岡の料理屋・華味鳥に招待いただいた。あとは、ホテルで寝るだけの男は無敵である。とことん福岡グルメを楽しんでこの日は終わることとなる。ただし、疲れはピークだったので、この会は疲れた声で会話していたと思う。

久々にベッドという安眠の地でこの日は眠ることとなった。次の日からは大阪に向けて帰る復路編となる。