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2日目は、当初からまっすぐ福岡方面には走らないことを決めていた。「しまなみ街道」を走りたかったからだ。
しまなみ海道は、広島の尾道から愛媛の今治の間を橋で島同士を繋げた陸路だ。原付バイクで陸路で四国に入るには、このルートが日本で唯一となる。この旅でついにバイクで四国に入るという夢を叶えたかったのだ。
宿泊していた松永から尾道はそれほど距離もなく、朝っぱらからしまなみ海道の入り口付近に着いた。
おそらく、この投稿は朝マックをして地図を見ながら投稿したと思われる。
しまなみ海道は、自転車乗りの聖地ともいわれ、自動車は高速道路として大きな橋を渡っていくのに対して、原付や自転車は専用のクネクネした小径を走って橋まで行かなくてはならない。
(GoogleMapより)
これが最後にはなかなかの悲劇を生むのだが、それは後述。
とにもかくにも、このしまなみ海道は景色がたまらなく最高だ。島の周回する道を辿るため、常に海沿いの道を潮風に乗って走っていく。海を臨むといっても、だだっ広い景色ではなく、瀬戸内の他の島を借景する形でどんどんと景色が変わっていく。そして次の島へ続く大きな橋が見えてくるとテンションも上がってくる。天気も良かったので控えめに言って最高だった。
尾道から2つ目の島・因島は、バンドのポルノグラフィティの出身地などでも有名だが、『村上海賊の娘』の舞台としても有名だ。
『村上海賊の娘』は小説で有名だが、どこかで漫画を読んで面白かったので、そのうち全巻揃えたいと思っている。ここでいう村上海賊というのは、戦国時代に毛利家と手を組んで瀬戸内海の軍備に一役買っていた村上家・村上水軍のことだ。その本拠である村上水軍城にも訪れてきた。
因島の次の島、生口島から次の橋「多々羅大橋」を渡ると、ついに愛媛県に突入する。
陸路初の四国上陸にTwitterでもテンションがあがる
どうやらこの辺りから曇り出したようだ
伯方の塩で有名な伯方島を通り過ぎる頃には、Twitterでおなじみのフレーズを歌っていた。たぶんバイクに乗りながらリアルに歌っていたかもしれない。
先述した村上水軍のミュージアムは、伯方島の次である大島にある。まだ昼間で時間に余裕もあったので、ここも訪れることにした。
さて、しまなみ海道を渡りきり、四国本土へと上陸を果たした。朝から出発して正午頃のことである。
今治に着いてからは、海沿いを走って松山を目指すことにした。海の景色はいまひとつ思い出せないが、線路に沿ったいい道だったような気がする。それよりもなかなか松山に着かなくて、だだっ広い幹線道路をひたすら走り続けた記憶の方が残っている。
四国本土に着いてから2時間ほどで、松山に到着した。
知り合いから「松山に行ったらこれ食っとけ」と言われた駅前の『でゅえっと』という店の名物ミートソースのスパゲッティを昼食に選んだ。人気店のようで、そこそこ並んだことを覚えている。
愛媛に来るのも初めてなら、松山に訪れるのも当然初めてだったので、重点的に街を散歩した。松山城は中に入っていないが、その周りをウロウロと歩いた記憶だ。路面電車が街を張り巡るいい感じの地方都市だった。
松山といえば、道後温泉。道後温泉に着いたのは、4時半くらいのようだ。
せっかくなので、有名な道後温泉のこの建物でお風呂に入っていくことにした。たしか、コロナ禍ということで入場制限がかかっていたが、タイミングの妙だったのかすんなりと入れたような気がする。
中は、古い銭湯という感じで特別感慨深いものは正直なかった。道後温泉に入ったという実績が解除されただけである。それでも来た甲斐はあったが。
松山でゆっくりしすぎて、気づけば17時をまわっていた。
松山から今治に戻る道中のことは、実はあまり覚えていない。たぶん海側から来たので山側から帰ったと思う。
なにしろこの日の後半は、帰路のしまなみ海道のことしか覚えていない。
先ほども書いたように、原付や自転車はクネクネした小径を走らないと橋を渡れない。今治側から最初の島くらいで撮ったのが下の写真だ。
この橋を渡ったくらいにはとうとう日没。ここから闇夜との戦いになる。
しまなみ海道を通る島々は、あくまで地方の小島でしかない。つまりは、人がいないのだ。自転車ガチ勢の人も日没後には計画的に走らないのだろう。建物も街灯も少なく、道が見えづらい。そして、そこにきてのクネクネ小径である。橋の高さまで登るために山の中を自転車が行き違えるくらいの幅しかない小径。電灯もないのでカーブが見えない。夜なので大量の虫が自分に目掛けて飛んでくる。とんでもないデカさの蛾が飛んでくる。得体もしれない小さな虫も大量に飛んでくる。橋を渡って、またクネクネ小径をクネクネ走り、降りては次の島に渡るためのクネクネ小径をまた行くという繰り返し。
ひたすらに怖かった。孤独感もあるが、恐怖感の方が強かった。
実はこの旅では、アクションカメラを取り付けて動画撮影も試みていた。編集してYouTubeにでも上げようかと思っていたが、このしまなみ海道の帰りにそれもぶっ壊れてしまった。さんざんである。
しまなみ海道は夜に原付で通るべきではない。
しまなみ海道を抜けて尾道まで戻ってきたのが21時半頃。しかし、尾道で泊まると旅程的に少し遅れが発生すると思い、そこからまだ西に進むことを決意した。
尾道の隣の三原で遅ばせながら夕食をとった。チェーン店のやよい軒の冷や汁定食だ。しまなみ海道の恐怖で疲れ切った身体には非常に良い爽やかな食べ物だった。
食べ終わった頃には夜の10時を回っていた。
こんな時間から40キロ先の東広島市を目指して最後の一踏ん張りをした。初日に続いて国道2号ひたすら作戦。こんな時間は大型トラックがガンガンと走っていた。原付バイクがこんなところを走るなよとばかりに、スピード出して追い越してくるもんだからなかなか怖い。
そして、0時を回ることなく東広島に到着。
快活クラブも見つけて寝床をゲットした。
西条駅の近くのアローズというスーパーで缶チューハイあたりを買って、ぐびっと飲んで寝たと思う。
3日目へつづく。