安心してください、してませんから。
シンエヴァ(を観て)一周年(の私)に寄せて
これまでの私とエヴァンゲリオン
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シン・エヴァンゲリオン劇場版公開から一年らしい。
それを、改めて実感した時私が感じたのは嬉しさではなく、よくわからない虚しさと、よくわからない申し訳なさだった。
この映画で、『エヴァ』と初めてしっかりと目を合わせた私はこの一年映画館で、配信で、ひたすらこの作品を鑑賞したり、所謂二次創作作品をインターネットの海に放流したりと、つまり”色々”していたが、結局何も残らないような変わらないようなそんな何かが足元を流れて行って、それはまるで波打ち際を裸足で歩いていて、波が私の足をすうっと冷やしていったような、そんな。
伝えたいことがあって、変えたいことがあって、それは他人に向けたものであったり、他でもない自分自身に向けたものであったりして、だからやはり私は、いつまでも主人公になりたいのだと、思う。
渚カヲルの生きざまの、虚しさとかやるせなさとか儚さとか、そういうものはやはり、というかそれでもというべきか、美しくて、それだけ考えていたら、見つめていられたら、どれだけ良かっただろうか。彼の生きる意味なんて、理由なんて、存在意義なんて、碇シンジに尽くす理由なんて、どこにも存在しなかったなら。
君をただの天使として扱えたら。どれだけ。
そんな、そんなのって、
なんかつまんないね。
ただ美しいだけなんて、純粋なだけなんて、嫌いだよ。
私を、ここまで搔き乱した君がそんな存在であるわけないだろう。舐めるなよ。
私は、君が意志持つ人として歩き出したことが、首元にナイフをあてられたようだったよ。渚カヲルのことが好きだとわかった途端、怖くてそこから逃げ出した。それと同時に、君の形をした幻が頭の中で、聞いて欲しくないことばっかり聞いてくるようになった。
やっていられるか、なんで君がそこに居る。私に背を向けて歩き出したお前が、シャッターの向こう側のお前がなんでここに居る。
仕方ないだろ、こっちは君のことが好きになれないんだ。好きになっちゃいけないんだ。君のこと好きな自分なんて大嫌いなんだよ。
僕が主人公になって、君のこと救えたらよかったんだ。
本当はずっと、君を救いたかったんだよ。他の誰よりも、僕は君に執着しているんだ。
だから、私に君のこと好きになれてよかったと言わせてくれ!
君の生も君の死も、好きだと言わせてくれ!私は君に会うために生まれてきたわけじゃないけど、君のこと好きになれたから君のことを好きな私が1年も生きたんだよ!
私も、君と同じなんだよ!絶対!恐らく!たぶん、きっと!
可哀想な君も、実は強い君も、美しさも醜さも、全部君なんだ。
正直に言おう。
碇シンジが渚カヲルに目を向けた時、「次は君の番だ」とスポットライトを当てた時、「やめてくれ」と私は少し思ったよ。
君はあちら側に居てくれと、傍観者で、悲しく虚しく寂しく、美しく居てくれと考えたよ。
”お前のような奴”はこっちに来ちゃいけないんだ。そこで、私と同じように観客でいてくれと叫ぶ、吐き気がするほどの傲慢さが私にはあったよ。
それでも、君がシャッターの向こう側に歩いていくのを見て確かに泣いてたんだよ。良かったって思ったんだよ。マスクベチャベチャにしてダサいくらいに泣いてたよ。
美しいだけの君じゃ、足りない。そんなんじゃ、まだまだ食い足りない。
私のぶしつけな視線も、渚カヲルを形作る一つなんだね。
比べることなんて無意味だけど、あえて言おう。
私は碇シンジよりも、渚カヲル、君のことが好きだ。
私は碇シンジになりたいし、渚カヲルにはなりたくないけど、渚カヲルのことが好きだ。
僕は今日も君と話をする。
「お前のことなんか大嫌いだ」と精いっぱいの強がりをしながら。