前編はこちらから…………日記の前編???
【※注意】
ゲーム「Mouthwashing」のネタバレがあります。
今回は性暴力について多く触れているので苦手な方は回れ右してください。
【アーニャ】
1/6 アーニャという女性についての感想
ダイスケ以上に努力の方向音痴だと思う。(あまりにも医者に向いていないという、開発者インタビューでのファンの周知の事実)(嫌な周知の事実だ……)
けれど8回も医大を受け続ける努力と根気は只者じゃないと思う……思うけど……ポジティブシンキングすぎるかな……うーん、でも私は、思う、ます……。
まあ色んな意味で只者じゃないから、医療と全く関係のない分野で働いた方が本人のためじゃないかなと個人的には思う。だからポニー運送のクビ通知は、アーニャにとっては良い転機になった可能性はあるんじゃないだろうか。
スウォンジーがカウンセリングで書いた(のかな?)「俺に奇跡を期待するな!」という殴り書きを、カーリーに見せて「なんだか楽しそうですよ!」とのたまう場面は苦笑いするしかない……。守秘義務…………。
向き不向きで夢を諦められる人間ばかりなら、世の中の悲劇は少し減るのかもしれない。そんなことを思ってしまう。
アーニャの医師への適正に関して思考を巡らせる度に、「仮面ライダー555」に登場する海堂直也という人物のセリフが思い出される。彼は有望なギタリストとして期待されていたが、事故による後遺症で夢破れ自暴自棄になっているという設定だ。
「……お前、夢を持ったことがあるか?
俺に言わせればな、夢ってのは呪いと同じなんだ。
呪いを解くには、夢を叶えなきゃいけない。
……でも、途中で挫折した人間はずっと呪われたままなんだ。」
(「仮面ライダー555」 海堂直也のセリフより)
医師への適正だけで済む話なら、私はアーニャへの追慕をこれほど後回しにしない。
以下はアーニャが受けた性暴力について言及しているため、そういった話題が辛い人は飛ばしてほしい。
あとすごく長い。今更だが。
2/6 アーニャの苦しみ
ジミーからアーニャへの性暴力は、1回2回ではないんじゃないか……と個人的には思う。
身も蓋もない事を言うと、身籠ってしまったから……。ありえない話では決してないが、1回では……その……ね?
もしかしたら常態化していたのかもしれない。ジミーの言動や精神世界を見る限りアーニャへの罪悪感を全く感じていない様子だったことから、嫌よ嫌よも好きのうちとかいうケツの穴に中指立てたくなる考えだったのかもしれない。単にジミーが罪悪感を感じないクソサイコパス野郎、という可能性も十二分にありえるが……。
避妊はジミーについてはいわずもがなクソが。アーニャは金銭的な問題に加えて、宇宙船に持ち込める荷物には限りがあるだろう。だから避妊薬などを持っていけなかったのではなかろうか。危険物、不用品を持ち込んでいないか検査もありそうだ。
最終手段としてリングを装着する手術もなくはないが、被害者がそういう行為をされる前提で負担を負う必要があるなど理不尽極まりない。夜道ならまだしも職場やぞ?
アーニャとしてもできる限り意識せず忘れていたかっただろう。
恐らくラウンジで夜を明かすことは、アーニャにとって精一杯の自衛の手段だったのではないか。いくらジミーでも公共のラウンジでは行為を迫らないと考えたのではないだろうか。(でもジミーならやりかねない気もする……と思ってしまう)
ウィンドウのドット抜けを見つけるほどに幾度の夜をあのソファで過ごし、どれほどの時間、どんな気持ちで、あのまやかしの夜空を見つめていたのだろう。
思いを馳せるだけで痛ましい。
そうして耐えて耐えて耐え続けて、クビを通告され、「もうなくなる会社、会わなくなる同僚なら思い切って」とカーリーに打ち明けた……私はそう考えている。
カーリーから語られた通告はジミーだけでなく、アーニャにとってもクビ以外の重要な意味を持っていたのではないだろうか。
無論、望まぬ妊娠が最も重大な契機だったとは思うが。
船の最高責任者である船長とはいえ、ジミーと昔馴染みであることには変わりない。長年耐え忍んできた末にどれほどの勇気を振り絞って、寝室のカギが無いことに言及したのだろう。
返ってきた答えは無情にも「安全のため」。
ワーカーホリックなカーリーは「船員に万一の事があった時にすぐ助けられるように」というつもりで言ったのかもしれない。テレビのドキュメンタリー番組でも、風呂場やトイレに閉じ込められ九死に一生を得た人の話を見た事がある。
責任者という立場上分からないでもないが、だからこそするべきであったSOSを読み取り手を差し伸べることをしなかった。「何故そんな質問をするのか」「何かあったのか」と聞かなかった。
その場しのぎの適当な答え、あるいは船員の身の安全よりも医薬品や機械の方が大事だと受け取られても仕方がない。事実、アーニャは妊娠に動揺するカーリーに対して「何をしてくれたっていうんですか」と吐き捨てた。
カーリーも悪魔のコンボでギリギリの状態であった事はプレイヤーの視点では理解できるが、アーニャにとっては知るべくもないし慰めにもならない。
アーニャはどれほど孤独で裏切られた気分になったことだろう。
銃を隠し、カーリーの鎮痛薬でODを行うには十分すぎるきっかけではないだろうか。そして私はなぜ自分で自分を痛めつけているのだろうか。たすけて。
上で述べた「8回医大を受けた」という話も、もしかしたらジミーの鼻を明かしたかったという理由もあるかもしれない。力で優位に立てない分、権威で身を守ろうとしたのかもしれない。
アーニャの被害に関しては表現規制の都合もあってか情報が少なく、どうしても推測が多くなってしまう。
けれども被害が1回だろうと100回だろうと、アーニャの苦しみは計り知れない。同性であっても、仮に同じ暴力を受けたとしても、彼女の苦しみを理解した気になってはいけない。アーニャの苦しみはアーニャだけのものだ。アーニャが自らの意思で、自らの最期を決断したように。
さらに言うならアーニャの問題は、タルパ号の惨劇の根底であり引き金でもあると私は考えている。
アーニャを軽んじる温床がなければ、カーリーはジミーの罪に気付けたかもしれない。カウンセリングによってジミーが危険な状態だと判明し、操縦桿を握らせずに済んだかもしれない。(クソポニー運送では怪しいところではあるが)
妊娠についてもう少しマシな形で、落ち着いて話せたかもしれない。そうすればジミーは、あのような凶行に走らずに済んだかもしれない。
タルパ号の惨劇は、起こらなかったかもしれない。
全てが仮定の、詮無いことではある。だがアーニャを一人の看護師として信じ、一人の人間として尊重した人間が居たならば、多くの悲劇がマシな方向に変わっていたのではないか。
考えすぎだろうが、私はこの可能性を一笑に伏すことはできない。
それほどにアーニャの苦しみは暗く根深い問題だと思っているからだ。
苦しみを祈る、という言葉はこのゲームの随所で用いられている。
この言葉は各々のキャラクター、あらゆるシチュエーションに当てはまる、多角的に捉えられる言葉だと思う。個人的には制作陣から登場人物とプレイヤーへの言葉と捉えるのが好きだ。祈れば許されると思うなよ作った人。
そして「苦しみを祈る」という言葉が最もシンプルかつ冷酷な意味合いになるのは、「アーニャから船員たちへ復讐を込めた呪詛」という解釈だと思う。
アーニャほどに船員へ恨みを募らせ、機会を静かにしたたかに待ち望み、苦しむことを強く祈った者はいないだろう。
アーニャの情念は哀しくも恐ろしい。
(今回が初乗船であるダイスケについては巻き込まれただけで……本当に不運だったとしか言いようがない)
3/6 アーニャと現実の話
ここからはゲームの外の、現実の話になる。長いけどまだ続くんだ、本当にごめん。たすけて。
正直、アーニャと似たような設定のキャラクターは何人もいる。何人も知ってはいる。だというのに私がアーニャへの感傷をここまで拗らせた要因は、日本のファンによるアーニャの扱いだ。
私は文章を公開する時は読む人数に関係なく、できる限り人を傷つけないように注意を払っている。この話題に関しても同様に細心の注意を払うと共に、改めて他者を非難する意図はない事を記しておきたい。
言い訳がましくて「すまない! マジですまない、読んでくれてる人!」
「似たような設定のキャラ」は知っていると述べたばかりだが、それは設定資料集を買うような狂気的かつマゾヒストな精鋭のみが知るところであったり、エロゲという変態という名の紳士のみが生息する土壌の話だ。ギャグマンガ日和アニメ化おめでとう。
つまり30万もの(マゾヒストな)人間が購入し注目を浴びているゲームで、性暴力に晒されたとゲーム内で明示されたキャラクターを私は初めて目にした。
そのため大ヒットを飛ばし(いつの間にかちゃっかり観ていた)「ゲゲゲの謎」に登場する龍賀沙代にもかなり驚かされた。
他作品の話を持ち出してしまうが、龍賀沙代とアーニャには類似点が多いと個人的に思う。
一人の人間として尊重されず、女という性別のために深く傷つけられ、惨劇の根底に深く関わり、救われることなく命を落とす。
だが、違いもある。
龍賀沙代というキャラクターは、劇中ではっきりと被害者として描かれている。加害者のキャラクターにも我欲のために女性を蹂躙した、と明言させている。いささか日本アニメ的な演出だなと思ったが、実際日本アニメなのだからそれはいいだろう。
そしてゲ謎は女性ファンが多くを占めるという下地(あえて理由を深くは語らない┌(┌^o^)┐)もあってか、龍賀沙代という女性キャラクターの苦しみに真摯に寄り添い、救済を祈る人を多く目にした。
一方のアーニャはというと……。
アーニャはジミーに暴行を受けたにも関わらず、平然と接しているように作中で描写されている。シナリオ上の仕掛け、どんでん返しという狙いもあるのだとメタな推察は出来るが、被害者と加害者の線引きが非常にあいまいだ。気が塞ぐほど現実的ですらある。
それに実のところ、作中でアーニャは「性暴力を受けた」とは一言も言っていない。他の船員も言っていない。
確かに気安く口には出来ない、重い罪を表す言葉だ。
しかしアーニャの最期の選択から、すぐに察しはつくと私は思う。
仮に愛し合う相手と、愛情に基づいて合意し行為に及び、愛する相手の子を身ごもったとして、そこにあの結末を選ぶ理由が介在し得るだろうか。
私はファンによる多くの言葉を見てしまった。
「ジミーとアーニャは付き合っているのではないのか」
「アーニャのジミーへの接し方は、とても被害者のものと思えない」
「アーニャはカーリーに対して、はっきりとした言葉で性暴力の被害を訴えるべきだった」
「アーニャとカーリーは付き合っていたから、ジミーの被害を言いたくても言い出せなかったのだろう」
「ジミーはカーリーの女を取ることで優越感に浸ろうとしたんじゃないか」
個人の感想を否定はしない。非難もしない。その人はそう思った、それまでの話だ。ただ私の感想とあまりにもかけ離れており、身勝手と理解していても衝撃を受けた。
つい最近友人に教えてもらったばかりなのだが、「5Fの反応」という言葉があるそうだ。以下にカウンセリングルームのブログを引用させていただく。
目の前の脅威に対する人の反応は、闘うfight、逃げるflight、凍り付くfleeze、解離するdissoiate、従属するsubmission、というのが主に挙げられます。fight and flight は闘争・逃走反応として、一括りにしてよく言及されます。
これと似たようなもので、脅威に出くわした時の反応を「5F」という頭文字で表現する場合もあります。fight(闘う)、flight(逃げる)、fleeze(凍り付く)に、frendly(フレンドリーに) と flop (相手に迎合する)だそうです。
アーニャは作中でfrendly(フレンドリー)の反応をとっている。これが誤解に拍車をかけてしまっているのだろう。
もちろんアーニャの反応に理解を示している人もいる。5Fについて知らなくとも、「ジミーは危険な人間だから、表面上だけでも取り繕っておだてておくのが安全だと判断したのだろう」と的確な分析を述べた人もいた。
だがそれでも、とネガティブ思考の私は思ってしまう。
私は(アーニャに限った話ではなく)救いを求めて、日本語で書かれた感想・考察のまとめ記事に目を通してきた。マジクソ鬼ヤバ巡回しまくった。
その上で、これはあくまで私の印象だが。
「アーニャと彼女が抱えた問題について、短く薄っぺらい記述ばかりだ」と感じた。
アーニャというキャラクターに課せられた問題は非常にナイーブで、扱いに細心の注意を要する。だから賢明な人は気安くネットの海に流さない、という理由もあるのだと理解できる。また男性であるという理由で、アーニャについて深く掘り下げるのを避けていた書き手もいた。その辺りの理由もあってとは思うが「アーニャについては短くまとまる」と述べる書き手も見た。
アーニャが浮かばれない、と私は思った。
架空のキャラクターに対して何をそこまで本気になっているんだ、と眉をひそめる人も少なくはないだろう。その気持ちは分かる。私も声に出して長々とこんな事を言えない、言えば白い目で見られると理解しているからこそネットの海にひっそりと匿名で吐き出している。
性暴力という問題を、ゲーム内でこれほど生々しく現実的に描いた作品を私は今まで見たことがなかった。これほど現実を巻き込んで問題提起し、波紋を広げた作品を私は知らなかった。
重すぎる問題を背負わされたアーニャというキャラクターに、同性である私はつい肩入れしてしまう。
私にとって、アーニャは女という性に苦しむ女性のシンボルだ。
だからアーニャという一個人の存在、尊厳が軽んじられ、公言を避けられる。そんな日本社会に憤りや悲しみを抱いてしまう。
この辺りの部分は追慕とは言い難い。しいていうならば私の悲嘆だ。自分で書いていてかなり気持ち悪い自覚はある。いつかこの感傷が落ち着いてほしい。たすけて。
4/6 アーニャとスウォンジー
アーニャについて出力する上で、個人のブログにどうしても取り上げたい考察がある。実は作中で、アーニャが受けた性暴力に関して真摯に耳を傾けた可能性のある人物が一人だけいるという。
スウォンジーだ。
この話の詳細については、以下の考察ブログをご参照いただきたい。
mouthwashingプレイ記 感想+考察
確かにスウォンジーとコックピットで話し込む様子は、ジミー視点では何やら密談しているように見える。
主にラウンジで夜を過ごしていたはずのアーニャが男性と二人きりで、密室で話し込む。乱入してきたジミーに怯えるように顔を隠す。アーニャは泣いている様子。スウォンジーが話を逸らす。
私自身だいぶ忘れがちだがスウォンジーは船内で唯一の既婚者だ。女性の立場に理解を示せる、船内でたった一人の男性だったのかもしれない。
極め付けはダイスケの介錯を終えた後のジミーとの問答だ。スウォンジーはジミーにこう言っている。
「確かにアーニャと話したとも。だが何もかも、アーニャの方が俺に教えてくれたんだぞ?」
十中八九、ジミーとの事だろう。
ならばスウォンジーがアーニャの救いになり得たのかというと……恐らく答えはノーだ。今回はスウォンジーの株はプラマイ差し引きゼロで上げられない。残念。
スウォンジーは変わらず酔ってばかりで、アーニャからみれば何もしてくれなかった。時系列からするに、そのことがアーニャが自決する決定打になったのではないかと言われている。
これらの考察と結末を知っていると、アーニャがジミーに鎮痛薬を取りに行かせる直前、アーニャがマウスウォッシュを飲もうかと思案している様子も意味深に感じてしまう。
凍結ポッドの秘密を抱えているスウォンジーにとって、酔ってなければやっていられない精神状態だったと理解はする。ノアの箱舟ではないが、誰をどうやってポッドに入れるか迷っていたのだろう。だが……カーリー船長の時とは違い、理解を示した上で蔑ろにされたとアーニャが感じるのも無理からぬことだ。一度は救われただけに、裏切られた絶望は計り知れない。
アーニャに対して強く同情はするが、この時点では既に状況が悲惨なだけにスウォンジーを責める気にもなれない。この事態を引き起こしたジミーだけは除くが。
5/6 アーニャの責任
私はアーニャに気持ち悪いほど感情移入し、アーニャへの庇い立てが多い自覚はある。それでも、アーニャが看護師としての責任を果たしたかと問われれば……首を横に振ることしかできない。
医師として適性がなかろうと、アーニャはジミーとカーリーの異常に気付き、上に報告し、乗船資格を取り上げなければならなかった立場だ。それが看護師という、人の命に関わる職業が背負うべき職責だと私は思う。
といっても……という前置きで、またもアーニャへ庇い立てしてしまう。
クソポニー運送という会社の中で、力で勝る屈強な成人男性達に対し、金も力もないアーニャ一人で責任を果たす事ができたのか。非常に怪しいところである。
まず看護師のカウンセリングによって乗船の可否が判断される、それ自体は問題ない。
問題があるのは、カウンセリングを務めるのは同僚の看護師であること。さらにはその看護士が1年以上の長期に渡り宇宙船に同乗するという仕組みだ。
いや、ダメだろう。カウンセリングで不適格を下そうものなら、仕事を失った逆恨みを買い報復される危険がある。カウンセリングは第三者にさせるべきだ。
悪い意味で信頼しているクソポニー運送なら働かせる可能性もあるが……中途半端な処分としてクレジットを減額しそうだ。火にガソリン。
これらの問題点を鑑みると、仮にアーニャがジミーとカーリーの異常に気付けたとして、果たして看護師としての責任が果たせる環境だったのか。そこに疑念を抱かずにはいられない。
結局のところ、非力で後ろ盾もない女性のアーニャが責任を果たすことができたのは、己の身体についてだけだったのだろう。自分で書いておきながら、あの結末を選択せざるをえない状況まで追い込まれてしまったアーニャを想うと、やりきれない気持ちになる。たすけて。
中絶や自死の是非について論じるつもりはない。とても一括りにできる話ではない。あくまでゲーム作品に登場する架空の人物についての話だ。
作中のアーニャは自分の意思で、カーリーの鎮痛薬をODすることによる死を選んだ。医務室の扉越しの言葉を信じるならば、自死を選べたことは彼女にとって最高の瞬間だったのだろう。
「誤解しないでください。これは私にとって最悪の瞬間じゃありません」
「全然違います。かつてないほど最高の瞬間です」
本当に、やり切れない。
たすけて…………。
アーニャは人としての尊厳を、多くの者たちに踏みにじられてきた。
それはアーニャのSOSに気づけなかったカーリーであり、アーニャに性暴力を振るったジミーであり、親身に接し信じさせておきながら酔ってばかりのスウォンジーであり……。(ダイスケは本当に不運としか言えない……)
だがアーニャはこの時、自分の意思で自分の結末を定義した。
ジミーを巧みに誘導してありったけの鎮痛薬を管理下に置き、手を差し伸べてくれなかった船長カーリーへの復讐を込めて鎮痛薬による自死を選び、酔ってばかりのスウォンジーに何も救われなかった事実を突きつけた。
アーニャの視点からすれば、「私を虐げてきた役に立たない男どもめ! ついに復讐してやった! ちぇっ、ちぇっ、クソが! ざまあみろ!」といったところだろうか。(少し東京タワーに刺さるゲームの女神がダブってしまう)
自死なんて馬鹿なことを、と思う人もいるだろう。否定はしない。
だが後に綴る愚かな男の末路を思えば、アーニャが自らの意思で自らの結末を定義したことは、十分に責任を果たしている。私はそう思う。
6/6 アーニャへの追慕
アーニャはジミーに体を自由にさせず、カーリーの苦しみを祈った。復讐を果たした勝利の酩酊感に酔いしれながら、最高の瞬間のままに息絶えた。そう願いたい。
でなければ、アーニャがあまりにも報われない。それが私から、アーニャというひとりの人間への追慕だ。
3万字くらいいった時点で嫌な予感はしていたのですが、またも文字数制限を超えてしまいました……。
最後を飾るのはもちろんあの登場人物です。こちらからどうぞ。
……無理して読まなくても大丈夫ですからね?