前編はこちら。
中編はこちら。
後編はここですがなんかもう日記とは言えない気がする。
【※注意】
ゲーム「Mouthwashing」のネタバレがあります。
【ジミー】
1/9 ジミーという男への感想
感想がこんなに長くなったのはほぼお前のせいだ。
私がここまで情緒をやられたのもほぼお前のせいだ。
日記が三分割になったのもほぼお前のせいだ。
責任を果たせ。
責任を果たせ。
責任を果たせ。
それができる人ならあんな惨劇にはならなかったよねえ。
ジミーというキャラクターは語るのが難しい。
ほんとこいつ……こいつはなあっ……ほんと……うぅ…………(泣きそうな目で言葉に詰まる)
少し話が逸れるが、カーリーの口を開け閉めすると「靴下人形」という実績が取得できる。なんつーゲームだ(取ったけど)。靴下人形というのは、おままごとなどに使う人形のことらしい。パペ○トマペ○ト!
終盤でジミーが謎のヒロイズムに浸り燃えるカーリーの幻想に謝罪するが、「カーリーはジミーのままごと人形になっているよー^^」というのがファンの間での通説である。なんつーゲームだ。
あと「プレイヤーのままごと人形にもなっているねー^^」というのがファンの間でry。なんつーゲry。
さて、ジミーに話を戻す。
私はジミーというキャラクターも、プレイヤーにとってのままごと人形になっていると思っている。
ジミーを「クズでカスの許容できない悪役」として見るか、あるいは「ありえたかもしれない自分」を投影して見るか。そのどちらであるかによって、抱く感情がかなり異なってくると考えているためだ。
前置きが長くなったが、私はジミーというキャラクターに「ありえたかもしれない自分」を投影している。だから彼の罪は許せないが、彼自身は憎みきれない。
何かのきっかけが重なれば、私自身も彼と同じような過ちを犯す可能性を否定できないからだ。
つまり「ジミーに自分を投影している人間による、ジミーへの追慕」という前提で読み進めてほしい。
というか無理して読まなくていいですよ……? 疲れ目とか大丈夫ですか……?
2/9 ジミーことジミ坊
のっけから飛ばしていくと、「ジミーを悪し様に言える人はたぶん幸福な人なんだろうなあ」と私は勝手に思っている。幸福などというものは個人の価値観に依存する、あいまいなパラメータだが。
「幸福な人」と言うよりは「与えられたものが、自分よりも多そうな人」と表した方が伝わりやすいだろうか。隣の芝生は青く見える。
よそ様の実情は置いておくとして、「明らかに自分より満ち足りているのに、そのことに無自覚な人」に傷つけられた経験はないだろうか。
無自覚だからこそ悪意のない振る舞いに、私は「ああ、私は欠落した側の人間なのだな」と身勝手に思い知らされる経験だ。
例えば「母の日にどんなプレゼントを渡そうかな」という話を、なんでもない事のように笑顔で話されたとする。すると「そうか。この人は母親に小遣いをためて贈り物をしたら、要らないものを買うなと怒鳴られて叩かれたことがないのか」と勝手に落ち込む。
そんな苦い経験は、ないだろうか。
幸福であることは断じて罪ではない。ただ、自分が幸福ではないと思っている人間にとって、幸福そうに振る舞える人間は恐ろしくて仕方がない。いつ自分が傷つくか分からないからだ。少なくとも私はそういう人間で、そう思っている。
そして私の場合は「落ち込む、恐ろしい」といった内罰的に働く思考が、「攻撃する、奪い取る」といった外部への衝動に働いてしまう人間。欠落した側の人間。それがジミーなのではないかと思う。
一言で表すなら幼い。幼児が面白そうな玩具を奪い取るのと同じだ。
バースデーパーティーでのクソポニー運送の通告も、インターンのダイスケは除くとして皆が、特にスウォンジーは察していた様子で「あーあ……そんな気はしてたけどさあ……」という空気感だった。
その中でジミーだけが大人気なくブチ切れて空気を最悪にした。積み重ねによるキャラ描写が上手い……クソ上手いから苦しい……。たすけて。
スウォンジーが「ジミ坊」と呼んでいたのも納得である。銃口を突きつけられた場面でも、彼はジミーという人間の本質を見抜いていた。ジミーの項なのにスウォンジーの株が上がってしまう。
3/9 ジミーとカーリー
先も述べた通り、幸福はあいまいなパラメータだ。だから「隣の芝生は青く見える」という、冷静に立ち止まって客観視することができた先人の言葉もある。
だがもしも身近に、似通った欠落を抱えた人間が居たら? 同じような不幸の中で育った筈なのに、その人ばかりが同僚に慕われ、会社から重用され、自分はクビになった一方で他の会社への推薦状をもらっていたら? 人は果たして冷静になれるだろうか。
少なくとも、ジミーはなれなかった。カーリーが隣にいたせいで。
カーリーの視点では、ジミーは昔馴染みの気の置けない仲であることが分かる。ジミーのカウンセリングへの不真面目な姿勢をアーニャが相談した際に「俺相手にふざけはしないだろう」と言うくらいには(しかしカーリーさんよぉ、何度も言うが無自覚パワハラだぞそれ……アーニャもこれが日常なら力なく流すしかねぇよなぁ……)。
無限階段編な幻覚を経た後、コックピットでカーリーとジミーが雑談をする場面がある。ここでの「お互い、こうして操縦士として働くなんて昔は想像もできなかった(要約)」という会話から彼らは荒んだ環境に身を置いており、苦しい時代の頃からの仲である事が推察できる。
共に荒れた環境で育った友人だからこそ、カーリーはジミーを頼りにしていた。
ジミーが副操縦士に就いた事も、カーリーの意思が働いていたのかもしれない。カーリーが痛々しい幻覚の中を歩き続けると微かに光が差し、光を目指して歩いた先にはジミーの居るコックピットがあった……という演出も、カーリーにとってジミーは精神的な拠り所だったことを表しているのではないかと私は思っている。
しかしジミーは共に荒れた環境で育った人間だからこそ、カーリーばかりがもてはやされ、成功し続け、満たされているように見える現状に苛立ちを抱えていた。カーリーのコネで入社した時点で、勝手に引け目も感じていたことだろう。決定打となったのがクソポニー運送の通告だ。
カーリーはジミーが傍にいなければここまで頑張れなかっただろうが、ジミーはカーリーが傍にいたためにあの惨事を引き起こした。
すれ違いここに極まれり過ぎる。
時代遅れだとは思うが飲みニケーションだとか、宅飲みとか、日頃からもっと会話を重ねていればタルパ号の惨劇は防げた……だろうか……?
私が男同士の友情への解像度が低過ぎるため、「ああすれば、こうしていれば」という口惜しさはあまり持てない。
(ゲームの記憶ですら、男同士の幼馴染の片方が闇落ちしたために対立し戦いの果てに殺すというものしか思い出せない……。大丈夫! 東京タワーに刺さるゲームだよ!)
ただ、あまりにも皮肉だとは思う。
そして作った人すごい性格が悪いなあって思う……。
プレイヤーの視点ではカーリーは無茶苦茶に無理をしていたのが分かるため「ジミーてめぇカーリーの苦労も知らずに勝手抜かしやがってよォ〜!?」と怒りの矛先が向けられがちだが、ジミーは通告の件といい空気読み苦手だから……。
少しだけジミ坊を擁護するなら、カーリーも恐らく船員に無理を悟らせなかったのだろう。だってスウォンジーも「ツイてない船長に乾杯!」ぐらいしか言ってないし。またスウォンジーの株を上げてしまう。
4/9 船長になりたかったジミー
ジミーのバックボーンについてもう少し掘り下げると、ジミーとカーリーは似た環境に育ちながらも全く異なる感性を持っていたと推察できる。
以下の開発者インタビューでは、カーリーの人となりがよく分かる。
If Curly could have had his birthday on Earth, what flavor of cake would he like best?Curly isn’t all that into sweets. His friends (including Jimmy) made him a cake out of chocolate and caramel whey protein powder one year. It collapsed under its own weight and tasted like a chalkboard. One of Curly’s fondest birthday memories.
Google様翻訳にかけた結果が、以下の通りだ。
Q.もしカーリーが地球で誕生日を迎えられたら、どの味のケーキが一番好きだったでしょうか?
A.カーリーは甘いものがあまり好きではありません。ある年、彼の友達(ジミーを含む)がチョコレートとキャラメルのホエイプロテインパウダーで彼のためにケーキを作ってくれました。ケーキは自分の重みで崩れ、黒板のような味がしました。カーリーの誕生日の思い出の中で一番楽しいものの一つです。
たすけて。
ジミーの幻覚の中で、包帯カーリーは「それ以外の時間(文脈からするに、人生でのささやかな幸せの時間以外を指す?)は友人と一緒にマズいケーキを食べることぐらいだ」と語っていたが、インタビューの内容とはかけ離れている。それに甘いもの好きじゃないらしいし。
つまりこれはジミーが包帯カーリーを靴下人形にして言わせた台詞であり、ジミーの言葉なのだろう。(ということはジミーは甘党なのか……?)
カーリーは結果がマズいケーキだろうと、友人が自分のために作ってくれたという過程を重んじて、楽しかった出来事として受け取る事ができる人間だった。愛少女ポリアン〇かよ。よかった探しのプロかよ。カーリーかわいいよ…………。
一方のジミーはマズいケーキという結果を重く捉え、人生の無為な時間に食べる程度のもの、と冷めた見方でしか受け取れない。自分もマズく作った一人なのにねぇ。
感性だけで人の善悪は断じられない。冷めた暗い感性が罪だというなら、Mouthwashingというゲームについてねっとりと暗い自己陶酔混じりの長文を書いている私など磔の上に打ち首獄門だ。自傷ダメージが痛い。
善悪は断じられないが、例え話として。同等の条件で人格のみを考慮した場合に、ジミーとカーリーどちらの下で働きたいかと問われれば……少なくとも私はカーリーを選ぶ。
人に好まれ選ばれる人間は、社会的価値が認められやすい。一昔前の話ではあるが、結婚が最たる例だ。
カーリーのように根が善良で人当たりも良く、努力家で前向きな人間は、大抵の会社で慕われ社会的価値のある存在になれるだろう。(カウンセリング代行のくだりは非常によろしくなかったが、アーニャが「船長それはパワハラです!」とその場で口答えするか匿名で投書すれば、たぶんカーリーなら非を認めて改めたと思う)
だが、ジミーはどうだろうか。冷めた性格で、衝動的な言動で他者を傷つける、性根が自己中心的で幼稚な人間。そんな彼が次に働ける場所はどこだろう。
きっと第二のクソポニー運送じみた会社で、膿のように扱われる。カーリーとはかけ離れた環境しか選択できず、カーリーのように愛される存在にはなり得ない。
ジミーの社会的価値を最も非情かつ冷酷に試算していたのは、他ならぬジミー自身だと私は思う。
だからこそ彼はカーリーへの嫉妬心と劣等感に駆られ、あえて隕石に衝突するという凶行に及んだのではないか。自作自演の危機的状況から全員で生還することにより価値を得る、なんと短絡的な思考だろう。おばか…………(泣きそうな目で)。
プレイヤーに操作させやがったからこそ、あの恐ろしい自殺行為を故意に行なった事がよく分かる。4000クレジット差し引いとる場合かクソポニー運送よぉ救助艇をさっさと出さんかい!!!!!!!!!
そしてカーリーの視点で見る限り、ジミーは自動操縦を切った後で恐ろしくなりうずくまっていたのだろう。その時の精神世界が、ゲーム序盤の迷路のようなタルパ号と思われる。ジミー君ほんとさぁ…………。
(全くの余談だが。操舵に詳しい有識者は、副操縦士席のハンドルを操作していた時点で、船長ではなく副操縦士が犯人だと分かってしまったらしい。気づく方も作る方もすごいなあ)
これは私の考えすぎな気はするが。
ほぼジミーの思惑通り事が進んだ結果が作中の序盤なわけだが、もしもカーリーがコックピットから逃げて五体満足で戻ったならば、カーリーはジミーの犯行の生き証人だ。ジミーの自作自演は失敗に終わる。
(作中でカーリーはコックピットに入るも、操縦桿すら握れず隕石の回避に失敗した。だからカーリーがコックピットに向かおうが逃げようが、結果は変わらず事故は起こっていた……という解釈の上での話だが、間違っていたら申し訳ない)
カーリーならばジミーを庇うかもしれないが、ジミーにとってはいつ罪を告発されるか分からない。救助が来て助かるかもしれないが、仮に助かったとしても生き地獄だ。無くなる会社での凶行とはいえ、退職金や次の仕事に影響は出る。
要はジミーにとって、カーリーが生きていては厄介だ。
だがカーリーは危険を承知の上でコックピットに向かった。隕石との衝突を回避するために。結果、カーリーは苦しむことしかできない靴下人形に成り果てた。
ジミーはカーリーの善性をも計算に入れた上で犯行を宣言し、うずくまり、カーリーがコックピットに向かい死亡するように仕向ける。その全てが計画の内だっだったのではないか。
だとしたら、ジミーは救いようもないほどに身勝手で狡猾な男だ。
まあ……「ジミーはそこまで考えられる人間じゃないと思うよ」と言われたら、返す言葉もない…………。
ジミーが犯した罪を私は決して許せないが、彼がこのような人間になるに至った経緯を想像すると私はジミーというキャラクターを安易に否定できない。
タルパ号の惨劇も、ジミーが狂ってしまう過程も、あらゆる要因が最悪の形で積み重なった結果だ。疲労、油断、見過ごし、すれ違い、それぞれは現実で十分に起こりうるトラブルの種だ。
それらの不運が重なった時、果たしてプレイヤーはジミーと似た行動を取らないと言い切れるだろうか。
少なくとも私はMouthwashingという3時間のゲーム一本でこのクソ長文を書くほどに心身を振り回される薄弱な人間だ。あり得ないと断言することなどできない。
それにジミーほど突き抜けてはいなくとも、彼に自分自身と似通ったものを感じたプレイヤーは少なくないと私は思う。
人間は完璧ではない。程度の差はあれど、ずるくて自分勝手で幼稚で責任転嫁して嫌なことから逃げてしまう。それでも人間はどうにかこうにか、自分が出来うる形で現代社会で働き、糧を得て生きている。
私にとってのアーニャが苦しむ女性の象徴である一方、ジミーは人間のダメな部分の寄せ集めだ。
誰の中にもジミーは居て、何かのきっかけがあれば誰だってジミーになる可能性があると私は思うのだ。
平家物語しかり、歴史は示している。人間落ちる時はあっという間だ(あとは不祥事を起こした芸能人とか……)。
だからこそ私はジミーという人間を憎み切れないし、ジミーを悪として切り離し一方的に非難できる人は幸福なのだろうと考えてしまう。自分がジミーになる可能性を、ありえないと思えるのだから。
5/9 ジミーとスウォンジー
「テメェが何者か、俺は見つめられる」
「でもお前は? 臆病で自己中なクソ野郎、見えちゃいねえんだろ」
銃口を突きつけられた際のスウォンジーの言葉。全くその通りであった。隙あらばスウォンジーの株を上げる。インサイダーではない。
ジミーの本質を冷徹に突きつけた言葉だが、私には罵倒というより説教じみたもののように感じられる。スウォンジーにとってジミーもまた小僧であり、過去の飲んだくれだった自身を重ね合わせ、良い人間に導きたかったのかもしれない。
もはやそれも叶わぬ段階になって、スウォンジーはジミーに殺意を向ける。
私は正直「優しいなあ」と思った。
大抵の人間は好き好んで人殺しなどしない、したくない。だがスウォンジーは殺そうとしてくれる。
「そうか終わらせてくれるのか」と、ダイスケへの介錯に似たものを感じずにはいられなかった。
スウォンジーとジミーの付き合いは、ダイスケよりは長いはずだ。情がない、ということはないだろう。少なくとも本質を見抜けるほどにジミーを見てきた。
ダイスケの敵討ち、怒りといった動機が最も強いとは思う。だがスウォンジーは先輩として、ジミーを正すことができなかった責任も果たそうとしていたのかもしれない。
そうだとしたらスウォンジーは本当に優しいなあと思うと同時に、スウォンジーがそこまで責任を感じなくてもなあ、とも思ってしまう。
一人の人間が果たすべき責任の境界線について、答えのない思考を巡らせてしまう。たすけて。
6/9 ジミーとアーニャ
のっけから荒っぽい口調で申し訳ないが、最初に言わせて頂きたい。
ジミーお前さぁ…………どんな神経してたらアーニャにあんな態度とれるんだよ!!!!!?????
まあメタなこと言うなら、ミスリード的な仕込みもあるんだろうけどさぁ……。
アーニャがジミーにフレンドリーの5F反応を示しているのは、中編に長々と書き連ねた。理解できる。だがジミーは…………あんな形で妊娠を告げられ狂乱し事故を故意に起こした後で、なぜ平然と船長として偉そうに振る舞えるのか……。船長のクソ責任やってらんねー!と八つ当たりができるのか……。
いまのぼくには り か い で き な い 。
犯罪者心理学を学べば理解できる日が来るのだろうか……? 少なくとも、いまのぼくには おおおええ ああええ おおおおおお えー!? である。
現実でのジミーの言動でも察しはつくが、終盤で頻繁に現れるジミーの精神世界ではアーニャをどれほど軽視していたのか嫌になるほど示されている。
ジミーの精神世界ではカーリー、スウォンジー、ダイスケは幾度も姿を現している。一方、アーニャの姿は存在しない。マジで。一切。たすけて。
墓地にダイスケの遺影があった事から彼の死に罪悪感はあったと読み取れるだけに、意識的に排除している可能性を疑いたくなるほどアーニャという人間を軽んじていた事実が突きつけられる。たすけて。
紙吹雪のように宙を漂う、船員の社員証の幻覚。その中に一枚も、アーニャの顔写真が判別できる状態の社員証は存在しない。たすけて。
唯一の登場とみなせるのが、仔馬を孕んだ肉塊の幻覚だろうか。自分で書いていて辛い。アーニャを物扱いしていたことが鬱になるほど分かる。たすけて。
その仔馬もまた、子を成した責任から逃げたいという意識の表れというのが……本当に……アーニャ……………………………。
正直、この項でジミーの罪を糾弾するつもりだったし出来ると思っていた。だが書こうとしても、書けなかった。
ジミーはアーニャに対して露ほども罪悪感を抱いていない、という無慈悲な事実を羅列することしかできなかった。土俵にすら立ってくれない。相撲しようぜ?
現実の加害男性というものはこういう意識なのだろうか。私には生涯わからないだろうし、Google先生に聞いたところで気が沈み私個人のトラウマが鮮明になるだけの予感がして調べることすら恐ろしい。
悔しいが今の私には、アーニャの苦しみに寄り添うことが精一杯だ。
7/9 副操縦士ジミーくん
ジミーくんは、船長のカーリーを支える副操縦士!
ある日「ぼくも船長になるんだ!」と言って自動操縦を切っちゃった!
そしたらホントに船長になっちゃったよ! やったね!
けれど船長のおしごとで、ジミーくんは失敗ばかり……。
アーニャちゃんにやつあたりしちゃった。
ダイスケくんをあぶないばしょに行かせちゃった。
スウォンジーさんをおこらせちゃった。
けっきょく、みんなを死なせちゃった。
でもジミーくんも船のみんなも、とってもやさしいんだ!
だから船長のカーリーをゆるしてあげて、ごちそうのケーキをみんなで切り分けて食べたんだよ!
めでたしめでたし!
とでも茶化さなきゃ怖くてやってらんねぇよ、この辺りのイカれ幻覚とミニゲームラッシュはよぉ……。
こえーよジミー、お前こえーよ……。私はお前に自分を投影しているとは言ったが、死体を席に座らせてパーティごっこして人の脚をケーキに見立ててカットすることは絶対にないと断言できる……。
いや、一番怖いのはこのゲームを作った人かな……うん。
だが私も他人様のことをあまり悪しざまに言えたものではなく、ケーキ(脚)カットの際は次のような様子だった。
ちなみに深夜テンションでもなければ乗り越えられないと判断したため、深夜2時近くの独り言である。
「ごめんほんとごめんねカーリー、一気に終わらせるから!」
\ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア/
「こういうのはね、思い切りが大事! 早くやるのがコツなんだ!」
\ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア/
「あれっ、ちょっ……スパッと切れないなおっかしいなあ」
\ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア/
「あー、これコントローラーをこうして……あ、こうするのね」
\ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア/
「なるほどなるほど、うーんなっかなか切れねぇなあ」
\ブチッ/
「よっしゃ! 終わったよカーリー! がんばったねー!」
…………ひどいな。
ふざけるのは大概にして、ジミーの幻覚がほぼイカれ狂っておりまともな神経では進められなかった。
小さなテレビに賑やかなマザーグースのアニメが映され、唐突に止まる。なにかと思いカーソルを合わせれば表示されるのが次のメッセージ。
『取得 カーリーの脚』
『ごちそう』
…………は?
とゲームをプレイしていて間抜けな声を上げたのは、某東京タワーに刺さるゲームクリア直後くらいだ。
そして唐突に始まる、カーリーに脚を食わせるパズルゲーム。
…………………………は?
『いつかアイツは俺に感謝する』のアイテムメッセージ。
……………………………………………(絶句)
なんなのだこれは! どうすればいいのだ!?
この辺りは今でも衝撃が強すぎて考察のやりようがない。幻覚と現実の境界もまるで分からない。分からないなりにやった、やったんだ……俺……(イマジナリージミー)。
カーリーに脚を食わせることに成功すると、テレビに映る「たすけて」の文字。テレビの中のジミーに操作が移る。「たすけて」というメッセージは、おそらくジミーのものなのだろう。まあカーリーも意識があるならば同じ気持ちだろうが。
(ただの自分語りだが、私がこのクソ長文で幾度も口にする「たすけて」は別に関係ない。この自分語りを書いている今初めて気づいた。たすけて)
確かにクソ終点目前のこの惨状でどうすればいいか見当もつかず、助けを求めたくなるのは道理だが……天国のアーニャ達からすれば「お前が言うな!」と怒鳴りたくなるだろう。
燃えるカーリーの幻覚に、ひたすら謝るジミー。この結末に至るまでの過程、ジミーが犯した罪を全て知った段階では、安っぽい人形劇としか思えない。あと謝り方が軽い。肉を焼き骨を焦がす鉄板の上で土下座しろ。
なんかイイハナシダナーな雰囲気をかもしているのが正直ジワジワくる。イイハナシカナー? 最近たまにみかける、暴れん〇将軍のチャンバラシーンに流れる殺陣のテーマを差し替えてドリフやら笑点の音楽を流す動画のような……そんなミスマッチで笑いを誘うネタに近いものを感じてしまう。
……ジミーの変わり身の早さを見習って、感情を苦しみの方に戻す。
ジミーはカーリーや船員に対してすまないと思い謝罪しているのではない。カーリーの良き相棒である副操縦士という役割にちゃっかり戻ることで、船長としての責任から逃れようとしている。そんな浅ましく幼稚な性根が透けて見える。
もしもこの責任逃れが打算ではなく無意識であるなら、ジミーという男は本当に愚かで哀れとしかいいようがない。
ちなみにだが、前述の他作品でカーリーは聴覚を失っていることが判明している。つまりなんかいい感じに謝っているジミーだが、カーリーは謝罪の言葉が聞こえていない。許す許さないの土俵にすら立っていない。相撲すらできない。まあその体じゃね……四股も踏めないよね……。
そもそもこれまでの苦痛と船員の惨状を考えると、果たしてカーリーの人格は保たれているのか微妙なところだと思う……。というかあの環境で事故後数カ月も生きているだけで凄すぎる。は○ぱ隊かよ。生きてるだけでアンラッキーだ。
だいぶ茶化して書いてしまったが、笑いにでも昇華しなければあの狂気はとても耐えられない……。
8/9 ジミーの責任
皆がそれぞれの形で責任を果たしてきた中で、ジミーだけは責任から逃げて逃げて逃げ続けた。
特に「もう後戻りできない」と貼り紙がされた行き止まりから脱出するミニゲームには、ジミーという男がとてもよく表れており印象深い。
言うのも野暮な気はするが「責任から逃げたいが後戻りはできず、責任を果たさなくては何とかしなくては、と思いつつも逃げ道を模索するジミーのクソ情けない精神状態」を表している、と私は解釈している。
このミニゲーム、前に道は無い。だから後ろに進まねばならないが、後ろを向いた時点で失敗となり開始地点からやり直しになる。
ならばどうするか。
後ろを向かず、貼り紙から目を背けずに、後退すればいい。
一休さんのミニゲームやっとるんちゃうぞ!!!!!?????
正直言って、呆れを通り越して笑ってしまった。人間の精神構造をゲームに落とし込み的確に表現したこのシーンは芸術性すら感じる。ずるい。
最終的に靴下人形カーリー以外の船員が居なくなったことで、船長から副操縦士の立場に逃避するジミー……。「船長カーリーだけは凍結ポッドに入れて生かそうとする良き相棒の副操縦士」というヒロイズムに酔い、カーリーを凍結ポッドに入れるという形で責任を果たそうとするジミー……。
これぞ酔生夢死ってなぁ!?
だが結局は問題の先送りだ。苦しむダイスケに対して責任を果たすスウォンジーを目の当たりにした後なだけに、何の責任も果たしていないことがよく分かる。
もはや取り返しがつかない今の状況でジミーが果たせる責任は、カーリーを苦しみから解放する、それしかないというのに。その事実に当のジミーは気づけないのがなんとも皮肉たっぷりで救われない。からっぽ。スウォンジー先輩がお手本みせてくれたでしょうがーッッッ!!!
ジミーの最期の言葉は、本当に憐れで愚かで滑稽だ。
「俺たちは……やったんだ」
チーム全体に責任転嫁し、副操縦士として全力を尽くしたが失敗したという逃避に浸ったまま。ジミーという男は残された時間で飢えと暗闇に怯えながら孤独に宇宙で死んでいくのだ。そう思った。
この時点では「カーリーに生きてほしいと願う気持ちも分からないではないし、生温い罰だがジミ坊のオツムではそれが精一杯かな……」と諦観交じりに納得できなくもない結末だと私は思った。思っていた。
「やったんだ……俺……」
俺たちではなく、俺。どれほど自分自身を騙そうと酔っぱらおうと、ジミーという男の本質はスウォンジーの言う通り「自己中心的なクソ野郎」だと思い知らされる。
ジミー……お前は私だと思う部分は、あるよ……うん。あるけどさあ……お前、お前は本当に本当に…………。
銃声が響く。
……。
…………。
逃げやがった、こいつ……。
ジミーはダイスケを死に追いやり、アーニャを傷つけ自死に追い詰め、スウォンジーを撃ち殺し、カーリーの苦しみを20年以上先に放り投げた。
船員に対して何の責任も果たすことなく苦しめ、何なら責任の意味を理解することもないままに、とうとう自分だけが楽な道へ逃げおおせた。
プレイヤーの耳には届いているが、恐らくカーリーに銃声は聞こえていないだろう。成す術もなく凍結処理が始まる。
最悪の後味を残したまま、ゲームの幕が降りる。
…………。
マウスウォッシュをよこせ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
9/9 ジミーへの追慕
カーリーを凍結ポッドに乗せた際のジミーの気持ちは、果たして責任からの逃避か、あるいは彼なりの償いだったのか。明確な答えは分からない。
だが制作者によって丁寧に舗装された悪意の道を、最後まで歩いたプレイヤーの答えは……たったひとつだろう。
ところで、ゲーム冒頭に表示される苦しみを祈るという言葉。
同時に航行日数も表示されているが、それは審判の日……カーリーが凍結ポッドに乗せられ、ジミーが自決した時点でのものだそうだ。
(※2025/05/13追記 違いました。衝突事故当日のものらしいです、ごめんなさい。よく考えれば船員も5名って出てますね……)
また、最後に描写されるジミーの精神世界。責任の象徴であるポレとジミーが対話する。冷たい言葉で嘲笑うポレにジミーは抗弁する。
「俺がアイツを何とかする。責任を果たすんだ」
「カーリーは最善を尽くした。俺だってそうだが、アイツの方がマシだった」
「最悪の瞬間が俺たちを……」
定義するわけじゃない、と言いかけたジミーの言葉を遮ってポレは言う。
「なんでまだ、そんなに意識してるの? カーリーを」
この言葉を最後にジミーの精神世界の描写は終わり、カーリーは凍結ポッドに乗せられる。
ジミーは言葉では謝罪を口にして、彼なりの責任の果たし方としてカーリーを凍結ポッドに入れた。だが彼は口には出さずとも、あるいは彼自身も気づかないほどの深層意識で祈っていたのかもしれない。
カーリーの苦しみを。
……私の考えすぎである事を、祈らずにはいられない。
99.9%で除菌できない、残り0.1%の雑菌。アーニャは気づいたがカーリーは気付けない、スクリーンの1ドットの抜け。ジミーはそう表されているのをよく見かける。
そんな哀れで孤独で愚かなジミーに、私はどうしても自分を重ね合わせてしまう。
ジミーを蹴り飛ばし、否定することはしない。
彼がのたうち回り苦しむ様を、憐れみを込めた目で静かに見下ろす。時にため息をつきながらも見下ろし続ける。
あり得たかもしれない過去の自分、あり得るかもしれない未来の自分を彼の中に見つけ続ける。それが私によく似た、ジミーという靴下人形への追慕だ。
【さいごに】
振り返ればタルパ号船員の彼らは皆、過ちを重ねてしまった。
その結果出来上がったのが、今作の惨劇という悪夢のケーキだ。
私は彼らの過ちや失敗に言及し「マウスウォッシュに逃げなければ」「アーニャへの対応はよくなかったよ」と後悔や責める言葉こそ出力したが、正義漢ぶって一方的に非難する気にはなれない。
彼らの過ちや失敗は、ポニー運送やタルパ号という絶望的な環境……あるいは理不尽な現代社会の中で、彼らが生きようと懸命に抗った過程で起こしてしまったものであると同情しているからだ。
…………悪意に基づいて犯したジミーの罪については許せない、と但し書きを添える必要性を感じるのがなんとも締まらないが。
今はただ、タルパ号船員の苦しみに祈りを捧げたい。
どうか安らかに眠ってほしいと願いを込めて。
ただしポニー運送こと現代社会の縮図であり象徴、お前は締めてやる。
首をだ!!!!!!!!!!!!!!!!
なっっっっっ…………………がーい。
もしもここまで読んだ人がいらしたら、瀉血な出力にお付き合い下さりありがとうございます。
こんな主観ばかりで冗長な乱文というか乱心文を読ませてしまって……
「すまない! マジですまない、読んでくれた人!!!」
苦しみを祈る。