スモア(ネクストステップの情緒を破壊するだけのお話)

pyxis
·
公開:2025/11/3

【作劇の関係上、心理的刺激の強い描写が存在します。】

【※触法的描写はありません、イメ損は150%ない。損なわれているのはデュオモンテの正気くらいかな】

「Yes,Chef!」

30人以上が一斉に足音を鳴らし、主犯に目を向ける。

「……精々パティシエが限界でしょ」

そこらの大学を凌駕する生徒数を誇るこの学園の聖蹄祭は、伊達ではない。

大スケールで逆に大味……で、済むはずもない。

(勝手に防音加工された)図書準備室に放送委員と図書委員を中心にした有志が並ぶ。名義としては彼女らの催しだ。

集まった面々は芸術専攻や選手サポート専攻の生徒が比較的に多い布陣だ。

アスリート養成校であると同時に、多分に含まれる芸能の文脈。

栄養管理が一大関心の学校で食品関連の出し物は期待値が上がる。

演技演出が一大関心の学校で演劇は期待値が上がる。

そして、先日すべてのタガをかつてのチームメイトに破壊されたデュオモンテは、その両方を選んだ。

ジョークで多少和んだところで、手を一つ叩き、もう一度注意を促す。

密室で、秋に似つかわしい髪色をなびかせながら、朗々と語った。

コミ・シェフのみなさん、このイカれた出展を決めたのはだれの責任?」

「はいっ!脚本を書き、家の喫茶店からサンドイッチを納入すると言い出したのはミスカトニアン・ブーランジェです!」

LANEでプロットを送り付けてきたのはデュモだけどね、と小ミスカはとぼける。

「よろしい、夢物語を実現させてしまったのはだれの責任?」

「はいっ!コンペで2部屋を勝ち取り、総務委員として小道具を確保し、『さんかく座楽団』のダンス指導を取り付けたイズミスカイゲート・オフィサーです!」

「ええ、しかも彼女は私に破廉恥な仮装を着せようとした最大の大罪人よ。」

「あ、あのあとちゃんとデュモの好みのコーディネートしてあげたでしょ!」

やり切ってから弁明しなさい、と冷たく切り捨てる。

「最後に、単発公演だったはずのこの騒ぎを大きくしたのは誰?」

「はいっ!ポケットマネーであらゆる機材を買いそろえたユメミノデンパ・オーナーです!」

「Unacceptable. Squawk-7500-ed by DuMo.」

「とにかく、わかってほしいのは、コトの発端が私という女にいろいろとしでかしてくれたことよ」

それでも、まずもって料理も作劇も一流のミスカトニアンなしには「カフェ」も「演劇」も不可能であったこと。

他のチームメイトも、これを組み合わせるためのリソースを多く割いてくれたこと。

ついでに、図書委員の誰かが「このプロット、なんか映画で見たのに似ている気がする」と言ったせいでこのようなクランクイン・セレモニーとなっていること。それぞれに感謝を端的に伝えて。

「でも、一番大暴れするのはこの私という女よ。」

「……今年の図書委員といい放送委員といい、ムチャが好きなのね、みんなありがとう。」

「そして、また暴れさせてくれる仲間がいること。本当にありがとう。」

真面目な人に、『真面目に青春をしろ』と焚きつけたザマである。

真面目に、ただただトゥインクル・シリーズに抱えていた疑問を、愚直にぶつけて大山を動かした御仁だ。

ユメミノデンパは陰に日向に「君は偶像であれ」と背中を押し、

イズミスカイゲートは「君は笑顔であれ」とたしなめ、

ミスカトニアンは「君は悪魔であれ」と囁いた。

デュオモンテは常にまっすぐで、恐ろしいほどまっすぐで、自分自身を疑わないから。

「でもあの、パティシエ?」

「そもそもコスプレをしろというのもチームメイトからの大変な圧力だったんですよね……無理してたり……と…か?」

「それはそれでこれはこれ、というのはベタだけど」

「どーせ走らされるんですよ、スポンサーのご意向で、しかも公道を10キロも。」

「ルビコン川を渡ったならローマを焼くしか道はないのよ」


三鷹電子への営業、もとい「三鷹コスチュームラン」が成功裡に終わったことを見届け、その足で学園まで直行。

浮かれ過ぎだ。浮かれポンチしかいなさすぎる。

12グロスのかわいい幽霊や小悪魔さんとご挨拶、メイドと魔女も3グロスくらいいたし、版権のアレコレのコスプレも全部足したら同じくらいいる。フランケンシュタインにヴァンパイアに雪女に狼やら熊やら猫やら狐やら……なんで学園生だけで制服と50/50なんだ。

ああ、しかしそんなことを言ってはいけない。ついさっき濃度100%のレースに出ていったはずだし、この場で一番浮かれてイカレているのは私だからだ。冷静になっている暇はないぞ。

『その足で学園まで直行』ということは、イベント会場ですらない公道を濃緑のジャージを1枚羽織っただけで走ってきてしまったのだから。

スカートに至っては言い訳ができないありさまだ。

ああ、しまった、しまったぞ。なぜ意地を見せてしまったのか、おとなしくタクシーを使えばよかったものを。

そういって、オーバーワークとはずかしさで程よくりんご色になった頬を携えながら、準備室に突っ込んだ。

「……さあ。やってやりますわよ」

「いや、そうじゃないな……」

「……ううん、私、頑張ります!」

芸術体育棟の一角は、シナモンの香りによって明確に切り取られていた。

ところどころにある特別目的教室はスペースが大きいことから一般に「気合の入った」企画が多く並ぶ。

演劇のライバルも、食べ物のライバルも存在していて、あるいはお化け屋敷、あるいは縁日、特徴的なものと言えば名レース・名ライブの上映会とか、あるいはダンスレッスン……。

小ミスカの家族が経営するブックカフェにならい、「Jack'O Lantern」と名付けられた区画は、音にしろ、色にしろ、香りにしろ、あらゆる混雑が襲ってきてもおかしくない。

だけれども、このシナモンの香りより内側は、まるで時が止まったかのように静かであった。

……静かである、と錯覚するほどに、整然たる雑踏が音をかき消し、パステルカラーの装飾にだけひときわ陽の光が強く当たる。

入れ替わり立ち替わり、静かな呼吸のように人を吸い込み、吐きだす。そしてそのたびにまたはちみつやらバニラやらの彩を吐きだすのであった。

「すみません、中が意外と込み合ってしまっておりまして」

「先にメニューをお渡ししておきますね」

「ああ、遊びに来てくれたんだ!2浪だけは気を付けてねー」

「うああごめんよぉ大学行かなくてぇ、いっぱい応援するからねっ!」

アップルグリーンのフリルをくるりと振り回し、爽やかながら、現役の時よりも、いや、実業団選手としての時よりもいっそうまあるい笑顔で呼びかける。青りんごやオレンジの活気を振りまきながら、かごからキャンディを取り出す。

「お」


ひらひらと白手袋が揺れて、雑踏が私の中で遠いものになった。

「あっ」

あの頃から変わらない優しさの中に、あの頃は味わう暇もなかったお茶目さ。

……誰よりも、センパイのことは知っているつもりでいた。だって、一番長いお付き合いをしていたはずだから。お互いの源流を知っているのだから。

昔にタイムスリップしたような。純粋にドレスと音楽と物語を追い求めていたあの頃のような。自分がおとぎ話の主人公だった時のような。リンクの真ん中で、自分だけの物語を描いていた時のような……。

パラパラ漫画のように目の前の光景がとびとびに、ゆっくりと流れて、やがて無意識に広げていた手のひらにそっと飴玉が置かれる。

「……パイナップル。」

「忍耐と繁栄、無欠の象徴。」「耐えて耐えて、一番合うレースで勝ち切ったステップさんにぴったり。」

あの日の憂鬱な窓際、先輩の代わりに私にもの言いたげに鎮座していたのも、パイナップルだった気がする。

センパイは何も考えていない。セオリーを破ってレース前に大好物なっかり食べて、炭酸も飲んで。自分のトレーニングなんてそっちのけで、いろんな種目のアスリートの基礎練習にのっかって。

でも、センパイは常に何かを「感じて」いる。何でもかんでも、偶然だよと笑いながら、陰で偶然を手繰り寄せるために誰よりも時間をかけている。センパイはとってもまじめで、とっても優しくて……。

「あ、チケットかこれ、これ予約制のやつだね」

「隣の部屋、第三リハーサルルーム」

「あっ……この列違う?」

「定刻15分前でそんなに早く来るとは思ってなかったんだって、ごめんごめん」

『カフェ&シアター Jack'O Lantern』を知ったきっかけ自体はセンパイではなかった。

昔の名残で、有名どころのクラシック音楽の原典を聞いたりするし、その曲想の解説などを読むこともある。未練とかではなく、思い出と割り切るでもなく、ただ、一つの良い時代だったと懐かしみながらも、自分だったらどういう振り付けをしようかと考えてしまうのだ。

インターネットでもいいけれど、音楽の新しい解釈だとか、振り付けに合うデザインだとかを話し合おうとすると、直接音楽と携わる人と話し合うほうがいい。

図書室には視聴覚ブースがある。自然とマーチングバンドとの交流が図書館でできていた。

チラシをもらったのは、チャイコフスキーの『眠れる森の美女』の話の最中だったか。

「ライバルの楽団が衣装監修で一枚噛んでるっぽいんだけども、『グレーテル』っていう演目、偵察に行ってきてよ」

「……なにより、あの子もいるんだしさ」

文化祭の演劇はローテーション制。お目当てのキャストを一発で引けるとは限らない。

ただ、あのセンパイが『ヘンゼルとグレーテル』なんてメルヘンなおとぎ話をまじめにやると思えば面白い。

キャスト一覧から名前を追うと、横に「原案」の文字。

「12歳未満のお子様のご観覧の際には年長者のご同伴をお勧めしております」としているあたり、センパイなりの世界観があるらしい。

……結局、お目当てはこのヒトだったか。

「参ったなぁ……見られたくなかったのに。」

でもそもそも(卒業してセンセイになってるくせに)こんなに面白いことをして、挙句黙ってるのが悪いんだ、そうに違いない。

そうぼんやりとしているうちに、教室の引き戸は開けられて、煤けた白い手袋がちらちらと動いて促していた。

机を動かさずに実技ができるように教室を作っているのに、講義室にもリハ室にもテーブルがあるのはなんだか滑稽だ。

学校机を寄せてクロスをかけたテーブルのDIYな感じをおぼろげにするように減光されたライトと、暖色の電気ランタンによる間接照明。黒い衝立。

その中でセンパイがマッチを擦って、キャンドルをともす所作すらも少しだけおぼろげで。

マッチの火が消され、リンとパラフィンと、バニラのようでそれよりもちょっと複雑な香りがその余熱であたりを包むと、デュオモンテ先輩はその光が灯る前に熔けてなくなってしまった。

「改めまして、本日接待をさせていただきます『グレーテル』と申します。」

一番乗り。自分のテーブル以外に炎は見えない。

私と、『グレーテル』だけ。

甘酸っぱい陽気さが消えて、今は炎とナッツと、煙がかったバニラのにおいしかしない。

あの声だ。戦う時の声。人前に立って、人前で歌って、どうしようもなく「デュオモンテ」になるときの声。

明るく話す口の中で響く声じゃなくて、無尽蔵の排気量を誇る心肺というエンジンの底から響く声。

煙たいと思っていた排気ガスに、甘い香りを感じて自然とついて行ってしまうような、そういう声。

灯が足りませんでしたね、といって衣装の裏からペンライトが取り出される。

文字は読めてるの、ごめんなさい。でも決められなくて。

ただ、ライトの示す先にあるものは……納得せざるを得なかった。

「アイスティーと、フルーツミックスサンド……?」

「かしこまりました、アイスティーはすぐにお持ちいたします。フルーツサンドはしかるべき時に、お持ちいたします。」


最初こそ、かたり、かたりと氷の音が響いていたが、一息のうちに、周りのテーブルのキャンドルに次々と炎が躍るようになる。

キャストの自己紹介も終わり、幕間のざわめきが、観客たちの小さな囁きの集まりになる。

グレーテルが、ペンライトの明かりを3度点滅させて、消す。

同時に、キャストは一糸乱れぬ連携で床板を靴底でたたく。

ルールなど示されてはいない。

ただ、鋭く統制された音が部屋中に響いただけで、スマートフォンの漁火は消え、さざ波も静まり、リハ室は小劇場へ姿を変えた。


「ボクは、語り部のジャックです。」

ミスカトニアンちゃんの語りだしは、本当に子どもにおとぎ話を聞かせるような柔らかい言葉。

「『ヘンゼルとグレーテル』というお話はご存じでしょうか?」

「口減らしに森に連れ出されるきょうだいたち。兄のヘンゼルが知恵を絞って一度は家に帰りつきますが、2度目はうまくいかず、お菓子の家で魔女にとらえられてしまいます」

「しかし最後は妹のグレーテルが勇気を振り絞って魔女を倒して事なきを得た」

「とても有名な童話です。」

「ただそれだけじゃあ、つまらない。」

幼げで淡白な口調に、少しずつダイナミズムが生まれる。椅子はゆらゆらと動き、いたずらな様子を見せ始める。

「ハロウィンなのだから、もっと面白いお話をしましょう。」

「ボクはね、オカルト好きだから信じているんですよ。『グレーテルは実在しているし、生きている』って。」

「そんなお話をしましょうか。」

背丈に会わないロッキングチェアから跳ねるように降りて、自然に演者に合流する。開演の挨拶も、拍手もなしに、水が流れるように、するりと。何事もなかったかのように歩みだす。

「幼馴染のラムとはいろんな話をします。」

『レースがどうとか、テストがどうとか、流行の曲とか動画とか。』

「あとは新作のパンとか。」

『二人とも、帰り道の途中にある『お菓子の家』っていうパン屋を贔屓にしてるんです。』

「おいしいし、値段もコンビニよりよっぽどましだし。」

『おかげでいつも混んでるし、なんかいつも人手不足って話を聞くんですよね。』

「いっそバイトに……」

そう言いかけたところで、"ラム"と名乗ったイズミ先輩との丁々発止の会話が止まった。

その沈黙の間、制服の子が一人鼻を鳴らす。ランタンにシェードがかかって、スポットライトのように強烈でなくとも、光が制服の子に集中していくから、自然と観客の目がそこに寄せられる。

『おやおや、どうされましたか!』

⸻帰ってこないんですよ     「帰ってこないって」

⸻ぼくのルームメイトがアルバイトから帰ってこないんです!

⸻連絡してもつながらないし、寮長なんかどうかしてます……!

⸻"最初から君は一人だった"って。  『なんと酷い冗談を!』

『それで私たち名前を聞き出して、バイトするついでにその人のことを探ろうとしたんです。友達くらいいるでしょうから。』

「ボクは止めましたよ、警官の娘だからって正義感が強いけど向こう見ずで。何かの事件だとしたら引っ込みがつかなくなるでしょって」

「それに、都市伝説としては聞き及んでたんですよ、『お菓子の家』の従業員が消えたという噂自体が不幸の手紙の類のような呪いみたいなもので、言い回らないと不幸になるんだって。」

『私はそうだとしても行きましたよ。だって、こんなのを放置していいはずがないじゃないですか』

『きっと簡単な事件ですよ、慰めの一つもしないうちに放っておくなんて、心が痛んでたまらないんです!』

「止めても無駄だから、精々ボクが守ってあげないといけないと思って、ついていったんです。」

デュオ先輩のチームの子たちが主だってお話を進めていくけれど……。

ミスカちゃんの噂は本当だったんだ。あの子はウイニングライブを本当に楽しみにしていたんだなって。

所作がきれいだ。「美しい」だけじゃなくて、「意図」がわかる。

ミスカちゃんのジャックはゆるゆると動く。頭を抱える仕草をするとき、ラムを引き留める時。指の関節が際立つように伸ばし切らず、握り過ぎないバランスをとっている。その割に観察してみれば大げさな動きはしていない。

……物静かで理知的だけど、"男の子"だ。

マーチング出身のイズミ先輩は演劇の心得が多少あるのかもしれない。

ラムは腕を振るときは、指先を伸ばして、ところどころはっきりとふるまう。でも、動きの途中ではしなりが付くように動く。

……きびきびとしているけれど、"女の子"だ。

身長は真逆なのに、この二人がヘンゼルとグレーテルだっていうことがちゃんと伝わってくる。

〈二人ともいらっしゃい!さっきシナモンロールが焼けたばっかりで!〉

《学校はいかがでして?そろそろ学園祭の時期ですから、忙しくなさっているのかしら?》

あっ、と思わず声が出た。明るい場所だと、メガネがないことの存在感がしっかり伝わってくる。眼鏡がないセンパイもかわいいって思った、それ止まりだった。

薄明りの中で眼鏡をはずしてるセンパイの瞳は、一層に落ち着いた色に見えるし、生まれつきのシグナルマークの光る模様が目立つ。

センパイ、睨むように笑うんだもん。それなのに、レンズがなくなるだけでおとなしく見えてしまうのはなんでだろう。

ちゃんとわかるのに。「『グレーテル』として頑張ろう」と、仮面を深くかぶっているときのあの睨み方が混ざっているのに。

なんだか、何もされていないのに、騙されている気分だ。

「⸻そういうわけで、今月……ちょっと厳しくてですね」

『人不足って聞きましたよ!最低賃金でもバリバリ頑張りますって!』

《ああ……二人は同じ学校なのよね、制服を見る限り》

《申し訳ないけれど、仕事に集中してもらうために同じ学校から同じ人を採用というのはできないんだ、二人同時にというのは》

『そ、そんなに大変なんですか?!確かにうわさは聞きますけど……』

〈もーっ!オーナーがそうやって偏屈だから人が辞めてくんじゃないですか?〉

《し、しかしよろしいのですか、元はと言えば…》

〈だーいじょうぶ、現場はグレーテルにお任せあれ、ですから!〉

〈2人とも優秀そうだし、うまくいけばシフトに余裕も作ってあげられますよ〉

《グレーテルがよいなら……ええ、構わないわ。見ての通り人手不足だから、細かい規則にこだわってはならないというのは、ええ、ええその通りですとも》

〈オーナーさんも心配してくれてるんだよね、でも大丈夫、大丈夫です。〉

「すみません、無理を通してもらって……」

《それで、シフトなのだけれども》

『明日からで構いませんとも、早く見つけたいですから!』

「ラム、文化祭にお店の技なんて使っちゃダメだろ、動機が不純だって……」

『いや何言ってんの、行方不明の子のことだよ』

「ラム……お店の方こそ困ってるだろうに何言ってんだよ……」

《ううああっ?!は、ずいぶん噂が早く広まってるのですね、どなたから聞いたので?》

『ルームメイトにも連絡がないとかで』

《そ、そうでしたか……。こちらも心配で心配で……。》

〈頼りになる子だったんだけどね……気負わせ過ぎちゃったかなぁ……。〉

〈もし連絡が付いたらだけど、ここにはいつ戻ってきても、忘れてくれてもかまわないからって、伝えてくれないかな〉

〈ただまあ、ちょっと厨房が回らないのも事実だから、明日からでもお願いしたいかな。〉

〈採用祝いに、一品サービスしてあげる!まかないの代わりってことで!〉

⸻フルーツサンドでございます。

小さく声を上げてしまった。しんと静まり返った観客席全体が同じような反応を返して、あの4人だけだった世界が揺らいだ。

私はというと、センパイの変わりように耳も目も持っていかれてしまっていた。

愉快に話しかけてくれる時もある、かわいい声をするときもある。

だけどあんなに弾ける声というのは、今の今まで聞いた気がしていなかった。

「キャラ変尊い!」で、良いのかもしれないけれど。もう私の中は不思議で不思議で、しょうがなかった。

あの、煙るバニラの、謎めいて、大人めいて、常世離れしたにおいだけが、ずっと胸に固まっていた。

センパイは何者なんだろうか。


それからも、舞台は何かのマジックにかかったように踊り続けた。

あれだけ表情豊かだと言われてきたユメミノ先輩は、《『お菓子の家』のオーナー》として、キレなく、寡黙に、臆病そうにふるまい続けた。だけど、振り回されて、憎まれる役回りがどうしても彼女そのものだった。

イズミさんも、あんなに無謀で堅物という感じじゃなかったはずだ。でも、『ラム』は、資料で見たイズミさんよりもそれらしく、快活だった。

ミスカちゃんが主人公なのだろうけど、「ジャック」は彼女以上に理知的で、整理されていて、本来の謎めいた魅力が薄まってるようにも思えるのに、口を結んだ表情が、どうしようもなく「ジャック」だった。

〈グレーテル〉だけは、違った。

そわそわと落ち着かないジャックをなだめて、オカルト好きな彼女にパン屋の昔話を聞かせて心を開かせようとする姿も。

沈痛な表情で、オーナーに失踪者が増えていることを打ち明けている姿も。

劇場の外で、引き出された私の思い出とどうしよもなく衝突して、熔けあっていた。

もう一人の人格なんだと、信じ込んでしまいそうになる。

配膳されたフルーツサンドを食む。

そんなには甘くない。

溢れてきたのは、生クリームの中でもはっきりと主張するクランベリーのジャム。甘いけれど、キリリと酸味がする。

だけど、そこからじゅわりと、キウイやマスカット、パインの甘みが押し寄せてくる。

最後にはパンとバナナの素朴な包容力だけが残っていた。

乗り越えたはずの、あの時の断絶の味がする。クランベリー。

でもそれと同時に、今でも思ってくれているのかもしれないと、勘違いしてしまうほどに甘くて。

あの時の差し入れって、こんなにおいしかったんだと気が付かされるようで。

⸻グレーテルさまはね、材料の声が聞けるんだよ!

⸻グレーテルさまがバターを入れると、すごくふっくらと焼けるんだよ!

⸻グレーテルさまはオーブンとも仲がいいから、一瞬で焼きあげてくれるんだ!

『不自然なほど早く捜索願が取り下げられてる』と驚いてるラムよりも、

「16世紀のこのあたりは森のど真ん中じゃないか」って不安がるジャックよりも、

両面が優しさだとしても、裏表があるってわかり切っているグレーテルをみていた。

魔法にかけられている自覚はあったのに、もう止められなかった。


《はぁっ……はぁっ……》

《信じて、信じてよ……私は……私はただ……グレーテルの言うとおりにしているだけなのよ……》

《外の人は信じてくれないかもしれないけど、あなたたちはごらんになったでしょう、グレーテルは魔法使いなのよ》

《単に手際がいいだけじゃない、腕がいいだけじゃない、発酵や焼きの時間まで短くできるなんて無茶なことはないですもの》

《あの子はね……私に全ての覚えていることに口を閉ざせと言うだけじゃなくて、地下室だけには入るなと脅しつけられているんです。》

《地下室から上がってきた、マシュマロ入りのケーキ。》

《何がどうしてなのかはわからないけれど、私はいつもそれをご家族……いえ、ご遺族に差し入れるのよ。》

《そうしたら、すっと……その話が消えてしまうの。》

《おそろしくて、おそろしくて……私は一度だけ、店先のクッキーと差し替えたことがありますわ》

《〈忘れたほうが身のためなのに、お前は何ということを〉。そう言ってグレーテルは自分で記憶を消して回って……》

《私には……のどに……溶けたチョコレートを……!!》

《お逃げなさい……私も、グレーテルもきっと……二人をともだちとして好いていたはずです》

《巻き込むべきではないと思ったのに……どうして、どうしてこんな……!!》

『逃げられませんよ……その話が本当だとしたら……逃げられるはずがない……』

『だって、私、だって私、頭よくないから……バカだから……グレーテルの前で事件を嗅ぎまわってるって話しちゃってるじゃん……』

『わかって引き入れられてるってことは……時期が来たら……時期が来たら殺されるんだよ……』

「ラム!早まるんじゃないラム!」

「まだ助かる、まだ助かるはずだよ!」

『ジャックは助かるよ……私のこと、最初の日から止めてくれてたんだし……』

「ラム、ラム、ボクは君を守るために!」

『逃げて……』

「ラム!」

「……解き明かそう、全部解き明かして捕まえるんだ……」

「グレーテルはよっぽど頭がいいらしい、遅かれ早かれボクだって消される」

「だからラムが助からなきゃ、グレーテルが倒されなきゃボクたち……」

《地下室のカギ……きっと、きっとグレーテルが持っているはずです。》

《立ち向かうというなら……きっと地下室の鍵が必要になるでしょう……》

《お願いします……解放してください……》

物語の中のグレーテルセンパイに絡めとられている私は、もう何もかもが解らなくなっていた。

舞台袖では、グレーテルが首から提げた鍵を揺らし、まっさらなハンカチを準備して笑っていた。

目が合うと、向こうは苦々しい顔をしながらウインクをした。

ラムとジャックは、グレーテルを探しだすために厨房に戻って機を伺おうとする。

ユメミノ先輩も舞台袖に引っ込む。足を振り上げて、体重を後ろに預けながら。

そして、グレーテルに口元を抑えられながら。


こんなにひどいのは、優しくて真面目だからなのかな。

それとも、あなたが丸ごと、グレーテルだから?

雷のはじけるような、手を叩く鋭い音。

それだけで舞台全体を、いや、部屋中を掌握してしまうその姿は、まぎれもなく怪物。

〈みんな……ごめん。ちょっと……大事な話が……。〉

切々と、でも優しく語りかける。

咳き込みそうな姿は、演技なのか、それとも罪悪感なのかな。

そうだとしたら、そういう必死に仮面をかぶる姿こそがセンパイの本質なのかもしれないとも思う。

〈今日はもうお店を閉めないといけない。〉

〈……ごめん、スモア持ってくるね、私からの「まかない」。〉

『ジャック、そばを離れないで』

「わかってる、ラムこそ」

『私のほうが力持ちなのわかってるでしょ』

『私だって、ジャックを守りたい』

「……わかったよ」

大釜のような、大きなポットから盛り上がる甘い綿。

湯気が立ちのぼり、部屋中が甘い香りに包まれて、そこに本当にスモアがあるかのようにすら思える。

〈オーナーが、夜遅くの買い回りから、帰ってこないんだ。〉

〈この店は呪われている⸻なんて話を、聞いたことはあるかもしれないけど〉

〈それ、本当なんだ。ある日突然スタッフがいなくなるの。そして、だれからも忘れ去られていくの。〉

パレオからナイフを取り出し、逆手で突き刺す。

〈みんなも、忘れているだけ。そして思い出すこともない。〉

……そして、我に返ったようにくるりと回して、丁寧な手つきで真っすぐに刃を引く。

〈あつつ……っ。〉

〈さ、冷めないうちにいただきましょ。このお店ごと、忘れ去ってしまいましょう。〉

「う……動きが早すぎる……最初から聞かれてたのか……」

『うぷっ……うそでしょ……うそっ……ううっ……』

〈ううん、もっと、もーっと最初から。〉

〈ずっと「頭のいいひと」と「勇敢な人」を待ちわびていたの。〉

〈ヒントを出したら、すぐ思い当ってくれたしね?〉

「誘導…してたの…か……、昔からここにあったっていう話から、ずっと…??」

『グレーテル…許さない……許さないわ……』

攻撃的な笑み、挑発的な目、大ぶりな仕草、あの人の影を追ってレースに入ってきたけど、あの人は対面することを拒むかのように去ってしまった。

〈『ヘンゼルとグレーテル』というお話はご存じでしょう?〉

〈口減らしに森に連れ出されるきょうだいたち。兄のヘンゼルが知恵を絞って一度は家に帰りつきますが、2度目はうまくいかず、お菓子の家で魔女にとらえられてしまいます〉

〈しかし最後は妹のグレーテルが勇気を振り絞って魔女を倒して事なきを得た〉

〈とても有名な童話です。〉

〈ただそれだけじゃあ、つまらなかったの。〉

一番欲しかったものを独り占めして泣き笑いするあの人を「カッコいい」と思ってた。

自分が欲しいものを、それらしい理由をつけながら「欲しいから欲しい」と言って憚らないあなたがまぶしかった。

⸻おなかが減ったグレーテルさま 憎くて憎くて許せない魔女

⸻おねがいおねがい、魔法にお願い 薬草、はちみつ、砂糖を含んで

⸻魔女の残したノートに書かれた おまじないを唱えつつ

⸻パンになれ、パンになれ、甘くておいしいパンになれ

⸻持って帰った美味しい白パン 一人占めしたお母さま

⸻子どもも夫も、我も忘れて 満腹、寝そべるお母さま

⸻パンになれ、パンになれ、甘くておいしいパンになれ

⸻口答えもできなくなった、あわれなヘンゼル、お父さま

⸻街の空腹癒したものは、私腹を肥やした領主さま

⸻グレーテルさま見守る街は、おかげで平和に暮らしてる

⸻食べ物粗末にする輩まで、炎の中に消えたから!

そんな私は、今、カフェ&シアターの椅子に縛り付けられて あんなに欲しがっていた"敵意"の原液を一身に浴びていた。

〈さあて二人を捕まえまして、晩餐会にいたしましょ♪〉

そんなあの人と、同じゲートに入って、戦ったとしたら……。

こんなにも、こんなにも⸻

心臓が鼓膜を直接叩いているかのような感覚の中、その鼓動と似たリズムに乗って、大勢の手下を引き連れ、翻弄し、暴れる姿を見ているほかなかった。

そして、舞台には、這う這うの体で放り出されたジャックだけが残された。

「もちろん、ただで済まそうなんて思ってない」

「地下室の窯につながる煙突は、時代に合わせて、バレないように隠されるようになって、それに合わせて身が焼けないように隠れられる場所も増えた。」

「何時かはこうなるって見越してたからね、身の隠し方も教えた、もぐりこむ方法も考えてる。」

「……ただ、キミたちのグラスが温くなってるようだし、ボクも喉が渇いた。」

「ちょっと、休憩としようか、中座させてもらうよ」

思わず……私は大きく息を吐き、それを皮切りに観客席はざわめいた。

ミスカトニアンがちょこちょこと寄ってくる。

「やっほ、汗びっしょりじゃない?」

誰のせいだ、と思いつつ、何とか普段の言葉遣いを探し当てる。

「う、うっす」

「誰のせいだし……その……その、ヤバすぎ」

ハンカチで介抱される始末に、さらに恥ずかしくなって体温がスモアそのものになってしまう。

「あーしのせいだね、なんちゃって。」「でも、そうだね。私のせい。」

「悪ぶりをしたがるのはあのバカのせいで」

「脚本は私が悪いし」「200通りのへらへら顔はMiNoの影響だし」「機敏に踊れるのはイズミと障害競走の賜物。」「演技指導は3人のせい」

「でも、多分多少はキミのせいだよ。」

"は?"という特大の疑問符を浮かべながら、他の客席に生気のないキャストが殺到し、ロボットのように水を継ぎ足しているのを、おなじようにぼんやりとみていた。

「恋してるって言われたら頭抱えて『恋しとけ、私という女は知らない』って言ってた。」

「ただ代わりに、『隣で走ったことがないからそんなことが言えるんだ』とも。」

「もっと思い切りフラないと、可哀想なのになぁ、あのバカ、優しさを勘違いしてるし、フリ方を大間違いしてるからさ。」

「もうあと10年くらい、あの子にまっとうな恋愛は無理だね。本人もそれがあってセンセイになったんじゃないの?」

「というわけで、横恋慕したいけど、今日のところはバカと共犯だからやめとくね。私もあのバカと同じで、きっとろくでもないことするし。」

「では、不肖ジャック、お飲み物を交換いたします。」

食べずに持っててね、と言われて、ビニールの包みに入ったマシュマロを投げ渡された。

スモア。クッキーとチョコレートソースとマシュマロを合わせて焼くんだっけ。


〈わたしもね、身近な人を守りたかったんだ。ラムちゃんは立派だよ。〉

〈私の友達、動物園のお手伝いしてたんだ。〉

〈そこの動物園、見世物小屋同然の酷い扱いをしてた他の動物園から、なんとか猛獣を受け入れて、一生懸命にお世話をしてたんだ。〉

〈でもね、その子脱走しちゃってさ。〉

〈子どもを庇って、一人で麻酔ダーツを背負って鎮圧した。だけどその子はショックで片目が見えなくなった。〉

〈傷はふさがってもなお、世間は友達の大切にしていたものばかりにつらく当たったんだよ。強く、強く責任を背負ってしまった。〉

〈それで普通は終わりだけど、わたしは"グレーテル"だった。〉

〈わかるよね?ラムちゃんは曲がったことが許せないから。〉

  『違う……違うそんなことしちゃ』

〈ううん。でもラムちゃんはそうしなきゃいけないんだよ〉〈私を焼かなきゃ〉

  『そんなことしない、ただ罪を償ってほしいだけ』

〈無理だよ。"グレーテル"だから。パンくずほどの証拠も残らない。〉

〈魔女はね、魔女にしか殺せないの。〉

〈なのにこの世界には、魔法を使える魔女よりも恐ろしくて、裁けない魔女がたくさんいるの。〉

グレーテルセンパイが、ラムの頬に煤けた手袋で触れていきます。

〈ジャックのために、私はきっと殺されるべき。〉

〈でも、その理不尽はすべてあなたが背負うことになるの。〉

〈冷えて固まって全然おいしくなくなった、失敗作のチョコレートみたいなもの。〉

〈わたしは不運だった。全部、ぜんぶわたし一人でやったから。背負いきれなくなった。〉

マシュマロの乗ったチョコケーキみたいなお菓子……スモア。

〈ラムちゃんは分け合える。ジャックを守った、ラムを守った。お互いを守って、街を守っていくんだという甘やかな秘密を。〉

〈私も分け合いたい。もっと正義の似合うグレーテルと、もっと思慮深いヘンゼルと。〉

〈知った以上、私たち天国にも地獄にも行けないの。"Jack’O Lantern"のようにね。〉

焦げたバニラと容赦ないチョコレートの熱っぽい香りの中で、焦げた若いリンゴの装束に包まれて、生成り色のコックコートとブラウンのエプロンを着せられて、ふるふると震えている。

〈さあ、口を開けて。〉『許してください……』

〈しあわせになりましょう。〉『ジャック、ジャック……!!』

くしゃくしゃと、周囲からビニールの音がする。

だから見られたくなかったのか。

でもわかるでしょ、センパイなら。

⸻ほしいものは、ほしい。

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