別れの挨拶-トレーニング準備

pyxis
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公開:2025/10/18

13:00。

「Cコート内円」から大急ぎで退散する。

生徒同士の噂の拡散力というのはやはり素晴らしいものがある。

普段は本科との関わりが薄い進学科からでは情報は少しずつしか洩れないが、一方で付き人であったり、ライブ周りの芸術のプロとして付き合いの強いサポート科を巻き込んで話が進むと、途端に話が大きくなる。


正午ちょうど、説明会で私の代理人に置いた鷹谷トレーナーが口を開き始めたところで、すでに陸上部入りが既定路線だった数少ないウマ娘たちのスマートフォンから小気味よいジングルが鳴る。現役のスパート練習みたいなスピードで突っ込んできたことを取り繕いながら一段の前に出てくるころには、多くがニュースに触れて目の色を変えていた。

この先1年は、日本中が君たちに注目するのよ。

「私は来年からコーチに昇任。相変わらず練習にも付き合うけれど、自分自身が選手っていう関係上、どうしてもみんなと同じ目線でやっていくには時間が足りない」

「新入生歓迎の準備とかのために、まずはアスリート部門のキャプテンだとか、クラブ部門の部長だとか、そういう組織づくりをしっかりしてもらいたいんです」

「ずいぶん角を丸くしたし、指導者としてこれからは静かにはするけど、心の奥底の火は消えてないから、近づきすぎると危ないんでね」

ずい、と紫水晶の目を細めると、跳ね上げられたかのようにいくつかの手が伸びる。

「そうだね、貴女がキャプテンで行きましょう。」

「1月までの威圧感、ちゃんと残ってたかな」と談笑しながらも、見やれば、野次ウマがレースコースに踏み入って、自分たちを見つめていた。

噂の拡散力というのはやはり素晴らしいものがある。

「あのウマ娘たちは、まだ奇妙なもの見たさだ。」

「クラブ生のみんなは、取り巻くウマ娘に見せつけるように、思いっきり楽しもう。それが、私の包み隠さない本心。君たちは楽しむ才能があるからこそこの学園にいるのは間違いないんだから。」

「アスリートコースの諸君は、あの群れが『菊花賞』という誘蛾灯に寄せられているだけだっていうことを自覚することね。私のように孤独になる必要はなくても、私よりも孤高でありなさい。脇目も振らずに気張りなさいな。」


そういう経緯で、血が上った私は、いかにも単純で。

真っ先に思い付いた「ライバルたち」が集まっているところに、それはそれは本当に、気品も悟りも何もあるわけのないガキのように突っ込んでいった。

「後輩にハッパかけるつもりで言った言葉に、自分でめちゃくちゃにむかついちゃってさ」

「それで、そういえばって思ったんですよ」

「結局、最後の最後まで、全員で走れたことなんてなかったなって」

全員?

目線の先には、あの日からの気がかりというより、心の傷というより……すがってきたもの。

ライオンを思わせるような黄銅の髪をなびかせる不屈の1マイルに、言わずと知れた我らが「女王」。

そして明確に意識したライバル。どこか私という女に引っかかって、最初のライバルと決めた結果、レース生命いっぱいのライバルになってしまった相手。ひたすらに一瞬の青春を淀に求めて願った、どこか悲願にも似た純粋な使命を背負った私の友人。

半ば私という女のアイデンティティクライシスにもなりかけた、どこでもけなげに頑張る名ジャンパーにも声をかければ、あの日の6人がそろった。

「確かに、たいていこの組み合わせに声をかけてくるのはデュオさんかデイズさんくらいね、それも最近ではめっきりと少なくなっていたけれども。」

発端となる自分が、菊花賞からこちらは方々へ連れまわされ、さもなくば大一番に向けて気の抜けない調整続きだった。もちろん、こうして会いたかった、とは弁解しつつも、"それで……"というあいまいな言葉が誰もの空中に浮かぶ、居心地の悪い沈黙を必死に破った。

「1年前は若かったな、っていうのかな」「可能性が満ち溢れていたかなって。」

「でも、私とハルカは長距離、デイズとブランは潰しが聞くとはいえ本線は中距離、ヘイローさまもセミ・スプリンターで落ち着きそうだし、エルは一番に練習しないといけないのはSCだし」

「エルには朝練で話した気がするけども、良くも悪くも『ライバル』としての結束は離れていった。」

ここで間を取るのはまずい、と思いながらも、どうしてだろうか、言葉がつまる。

「寂しい……とは、思うんだよ」

今になって思う、でも、そこから何をしたらいいかなんて、全く分かったものじゃないことを言いつのっていると、不意に。

「ねえ、みんなアップまだでしょ」

セイリングデイズは早々とシューズを縛って、蹄鉄をゴムに付け替えていた。

"仕方ないわね"とか

"そっか、そうすればいいんだ……あ、あーっと、望むところだぜ"とか

"私も実はそのつもりでしたわよ"とか

"まあ、お出かけですわね"とか。

ブランミストラルには"いつからそんなにお誘いが下手になってしまったの"とまで言われてしまった。

このジャージは小脇に抱えて方々を走りまわったはずなのに、どこか気恥ずかしい化繊のフレッシュなにおいがまだ残る。

「着たいんじゃないの?」とでも言いたげな目線に圧されて、わざとらしくため息を落として物陰に引っ込む。

数秒遅れて、物陰使うくらいならもっと自分を大事にしなさいよ、と抗議のため息が周囲を満たした。


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