#85 『人間失格』現象(勝手に命名)🦩週刊ふらみんちゃん

tndr215
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公開:2026/3/15

今週はたっぷりあるよ。和田さんの引退セレモニーから1年か…。(特にその話題はない)

①人生初胃カメラ

年明け早々に予約を入れられていた健康診断を、鎮静剤あり胃カメラに変更したら3月に予約が延長されたため行ってきた。結果、なんと…………検査中ほぼ意識、あり!!!嘘やろ?!?!

しかも採血ついでにされた鎮静剤を入れる準備も、両腕に針を刺された。もともとアトピーの後遺症で皮膚が硬くなっており、採血の際は血管がなかなか見つからない傾向にあるふらみんちゃん。左を確認…右を確認…「右でします」と言われて刺されたが、なかなか終わらない。痛い。いつまでするの??と思っていたところ、担当者がかわり左で実施された。

そもそも注射も大嫌いだから、この時点でダメージが大きい。この病院は医師も看護師もスタッフも全員女性で本当に皆さん優しく、代わった方も「痛かったよね、緊張した?ごめんね」と優しい言葉をかけてくれたけれど…つらいものはつらい。

鎮静剤投入用の器具を固定され、「痛みが強くなったり違和感があったら近くのスタッフに」と言われて胃カメラの順番を待っていたが、痛いのは痛い。違和感もあるといえばある。でも我慢できないほどでもない。待ち時間が長かったのもあって「早く帰りたいよ~😭さっさと終わってほしいよ~😭」になっていた。

そしていざ胃カメラ!!鎮静剤を投入!!(その前に飲んだ発泡剤が笑えるほどマズかった)ん、…ん?意識、いつなくなるんだろう??うぇっ!喉が苦しい!ぐぇぐぇ言ってる気がする!あ、これいまカメラ入れられてるのか!?え?!意識いつなくなるの!?苦し~~~!!早く意識途切れてくれ~~~!!

と、苦しんでいるうちに終わった。悲しすぎる。確実にぼんやりはしていたけど、そのあと安静にしている間もべつに寝ることもなく「なんか…めっちゃ意識あったな……これに1万……」という悲しみに浸っていた。歯医者で麻酔されるときも別に効きにくいと言われたこともなかったはずだし、採血のときからあった「こんなに痛い思いをしたんだから、さっさと楽に”なーんだ!”というあっけなさで終わってほしい」という期待を裏切られてしまったのがとてもつらく、悲しかった。別に誰が悪いとかもないんだけど。でもバリウムで終わったあとのあの不安、面倒くささと比較すると…どうなんだ…??かなり迷いどころではある。

事後説明を受けるときに「なんかほとんど意識あって…」と伝えたら「初めてで緊張したからかも。もし次回も選んでくれるなら、そのときは先生に言えば麻酔の量も調整してもらえるからね」と優しく教えてもらえた。が…苦しいつらい記憶が残ってしまった。そしてこの病院の健康診断はよく「緊張したからかもね」と宥められる。

てか酒に強い人は麻酔効きにくいとか言うじゃん??それかも。ほとんどお酒飲まないけど、飲んでもべつに酔っ払っていい気分🎶とか酒で現実を曖昧にするぜ~!😵‍💫とかそういう状態にならないので、必要性を感じてないから飲まないのであって。でもそう考えると歯医者では結構強めの麻酔されてたのか…?最近麻酔してもらうような治療してないから覚えてないけど…。

かわいそうなふらみんちゃんを労うため、そのあとはたくさん紅茶を買って、コメダでメタモンのシロノワールを食べて帰った。その日の夜はしっかり耳栓して11時間寝た。ここで寝るんかい。

メタモンシロノワールの写真。フラミンゴのぬいぐるみも添えられている。
ルピシアで買ったサクラロゼの紅茶、白桃煎茶、カルディで買ったアップルティー、カルディブレンドの紅茶、デカフェ紅茶

②人生初『人間失格』

前に家族チャーハンのラジオホームランのアーカイブを聞いていた時、読書の話になった。

江頭さんは学生時代に「順調に拗らせた」結果、ドエトフスキーの『罪と罰』や太宰治の『人間失格』をちゃんと読んだ。という話題。特に『罪と罰』は拗らせゆえにそういう厨二っぽい文学に手を出し、結局挫折する人のほうが多いけど、自分は読んだぞ。ということで、大石さんも『人間失格』は「俺の話だと思いながら読んだ」とのことだった。しかし江頭さんはそれに対して「あれは中高生くらいなら特に、読む奴がみんな"俺のことだ"と思うように書かれてる。だから今も読まれ続けている」と語っていたのが興味深かった。というか『人間失格』について、そんなふうに語られているのを初めて聞いた。(ポピュラーな批評なのかな?)

興味深く感じたのは、『言語化するための小説思考』に書かれていた「いかに読者へ自分の話だと思わせられるかで、いい小説、おもしろい小説かが決まる」の体現のような会話だと思ったから。

ということで(?)これを機に昨日初めて『人間失格』を青空文庫で読んでみた。

読み進めるにつれて、「こんな話を"自分の話だ"と思いながら読むやつが、そんなに多くてたまるかよ?!」と思った。若いとき(ふらみんちゃんは17歳!)の倫理観ならまた違ったかもだけど。年上の女にキスしてやったら盛り上がって部屋に連れ込まれ『朝まで大騒ぎという事になり』という表現がアホらしくて笑えた。

(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

のあたり、別の小説でも引用されていたのを読んだ覚えがあり、あ!と思ったのだけど、どこで引用されていたのかを忘れた。こんな明確に「どこかの小説で読んだ」と思うのであれば、おそらく一穂ミチ先生の小説だと思ったけど…いや、嶽本野ばらか?思い出せない。

この『読者にいかに「自分のことだ」と思わせられるか』、というのは、わたし的には「サービス精神」だと思っている。

しかし太宰治は決してこの小説を「読者に「自分のことだ」と思わせるために書こう」とは、思っていないだろう。知らんけど。むしろ「お前らにこの地獄がわかってたまるか」という自己憐憫に感じた。どこまで創作なのかはわからないけど。(自叙伝と確証されてはいないから)どちらにしろ「わかりませんねぇ、わたしには…」という感想。女をなんだと思ってんだこいつ。性加害を受けた描写については暗澹とした。こんな令和に『人間失格』の初読感想を書く。

実は先週号を書いた時点で、この『人間失格』が「自分のことだと思わせるように書かれている」と言われていたことについて書こうとしていた。(先週号への感想レター💌ありがとう😊)けど時間がなかった。

太宰だって現代の読者が「俺のことを言語化してもらった」とか思いながらこの小説を読んでるのを知ったら「お前のことじゃねーわ!」とせせら笑うんじゃなかろうか。

「誰にもこの地獄をわかられてたまるか」という自己憐憫と自己陶酔、同時に自己嫌悪と「誰かわかってくれ、頼む」と神に縋るような気持ち。本当に誰にもわかってほしくない人は、たとえ創作でも言葉にして残そうなんて思わないはずだし。でも文豪がそうして緻密に書いたサービス精神のない(はずの)「地獄」が、時代を越えて「わかる」ものとして読み継がれている逆転現象の発生が、ちょっとおもしろい。

わたしも共感はされたい。わかってほしい。でも「言語化してもらった」「言語化してくれてありがとう」は、嬉しくない。こんな昭和の文豪と自分の話を重ねるのも、ちゃんちゃらおかしくはあるけど。

わたしはわたしの言葉を奪われたくない、という気持ちが強すぎるのかもしれない。好きな人が使ってくれる分には嬉しいんだけど、知らん人が勝手に(本来、言葉を使うことに勝手も何もない)使ってたら嫌だと思う。

自分自身は「この表現、わかりすぎる!」って思ったら取り入れてるのにね、心が派手とか。でもそれは元ネタを提示するようにしてる。それも逆に「勝手に奪いたくない」気持ちなのかもしれない。あと昔フォロワーさんに白河勝之を「打てば芍薬守れば牡丹走る姿は百合の花」って言ってもらったのも、最高すぎてずっと使ってる。最近は「春のポカめき」を使いたい。はやくポカめいてほしい、春。

③言葉は真実の二次創作

「言語化」という言葉の価値は今、猛烈に暴落している。「考察」も。さらには「あなたのモヤモヤ、こういうことじゃないですか?この僕が言語化します!」みたいな発信者までいるじゃないか。それを有り難がる世の中が、侘しいのかもしれない。『人間失格』の中で、唯一「侘しい」という感情は心に残った。「そうか、日本語には"侘しい"という表現があったな」という再発見として。

「言語化」という行為は大変だ。苦しくて、どれだけ言葉にしても「まだ足りない、近づいてない」「そもそも全て言語化しようとする試み自体が傲慢なのでは?」という焦燥感も伴いながら、続けてきた。

美しく書かれた他人の文章を見ては打ちのめされ、他人が書いた自カプ小説は「読みたいけど、上手い人の言葉にふれると影響を受けてわたしの言葉がわからなくなる」と怯え、孤独を感じながらずっとやっていた。わたしが1番下手くそで、誰もがわたしよりも優れた書き手に見えた。

でもやめなかったのは、わたしの自カプを見失いたくなかったから。わたしが自カプに感じたものを絶対に「ある」と証明したかったから。

これはわたしのプロセスで、ものすごく繊細で傷つきやすく、かなり自分を苦しめながらやった自覚はある。けど、当時のわたしにはそれ以外の方法がわからなかった。よく続けたなと思うけど、それはもう「恐怖‼️巳年蠍座女の執念‼️」としか言えない。巳年の蠍座でよかった〜😊🐍♏️

だから、もう誰も、自分自身を「才能がない」の刃で傷つけないでくれ!その刃で苦しまないでくれ!という思いもあり、「書けない」をどう解きほぐすかっていう雑記も書いた。

矛盾するようだけど、「自分の中に発生したモヤモヤ(考え)を言葉にする」行為そのものは、めちゃくちゃ苦しい。あーーっ?!これなんだ?!なんなんだ?!なんて書けばいいんだ?!どれが適切なんだ?!これで合ってるのか?!伝わるのか?!と何度ものたうち回る。「考えて書いて読んでまた考えて…」を繰り返すプロセスへの耐性は必要。だからそこに「才能がないから」の刃まで振り落とす必要はない、という話。

それと同時に、ちょっと嫌味として「自分の思ってることを誰かが言語化してくれる」って、無邪気に信じられる人生でよかったですね。とも思う。「誰かがやってくれるなんて、悠長なこと言ってる暇はない!!」って切迫した状況まで追い詰められたこと、あらへんかった?よろしおすなぁ。羨ましいわぁ。(イマジナリー京都人)

しかし今や一億総発信者時代。物心ついたときからSNSでリアルタイムに「誰かが分かりやすくきれいに言語化した文章」がそこかしこに溢れているのが当たり前な世代が、「自分の気持ちはもう誰かが言語化している」と感じるのは当然の流れなのかも。

そんな中で鈴木ジェロニモの『言葉は「真実」の二次創作である。』というインタビューを読んだら、めちゃくちゃおもしろかった。ジェロニモは、ここでもたまに話題にするJ-WAVEのGURU GURU!でコーナーを持っており、たまにゲストにも来る。特に年末、水曜GURU GURU!に来たときがおもしろかった。

「言葉は真実の二次創作」って、めっちゃわかる!!インタビュー全体から、多分わたしが感じている「真実」を、ジェロニモが感じたように言葉にすると、こういう二次創作になるんだろうなっていうのが感じられた。それこそこういうときに「言語化してもらった」って言うんだろうな〜😂

――自分の中に浮かんだものを伝えようとする際に、手持ちの言葉では足りないと感じることはありますか?

常に足りない感覚はあります。でも、その足りなさが人間だという感じもするんですよね。

っていうのは、めっちゃ腑に落ちたというか「そうか、そう捉えることができるんだ」って納得した。納得コレクション。励まされるというか、常に「まだ足りない、まだ近づけない」って焦りを捨てられなかった自分を、少し宥めてもらった気がする。

世の中には「言語化できないこと」なんていくらでもある。だから人は音楽や絵など、文章や言葉以外でも表現する。だけど「わたしが感じていることを、読んだ人へ完璧に伝わることを目指さないといけない!」という思い込みを持っていたことに気づいた。

いくら言葉を尽くしても二次創作が原作にならないように、「真実」は言葉で全て表現することはできない。そして、他人から一言一句同じ二次創作が出てこないように、やっぱり「他人」の中からは「自分」が感じている言葉と全く同じものは出てこない。文章は絶対に「誤読」される。自分と他人は違うから。そのあわいに生まれるものこそが、共感や尊重なんだろう。

そして『僕が僕のために発する言葉が、結果的にみんなのための言葉になるという面白い逆転現象が起きていて』というのが、『人間失格』現象だ…!とも思った。(勝手に命名)

「言葉は真実の二次創作」、同人女には実感がありすぎる。ツルネで初めて出したマサ静の本とか、もう二度とこの温度感で書けない解釈で書いてるけど、「ここまで自分のヘキと当時のキャラ解釈に最大限配慮した、一言一句同じ小説は絶対に他人から出てこないから、自分で書けてよかった」って思ってるし。

最後に余談。ラジオホームラン、概ね面白く聞き続けているけれどYouTubeのサムネが変わったあたりからド下ネタがぶっ込まれるタイミングがそれなりにあり、ウ…😐の虚無顔になることがある。そして大石さんは現在療養のため活動休止中。回復をお祈りしております🙏

あとラジオ関連でカベポヤンタンが3月末で終了(パーソナリティ卒業)なのが悲し〜〜😭1番引っ掛かりなく聞けるラジオが〜〜😭😭

@tndr215
なまえ・ジャンル:ふらみんちゃん(17)ところにより天瀬ちゃん インターネット17歳をしています おしゃべり大好きオタクsizu.me/tndr215/posts/5insomdbriwu