年明けから度々「しずかなインターネットで日記を書こう!」活動をしたところ、なんと本当に相互フォロワーがぽつぽつ始めてくれた。言ってみるもんだ〜!!ありがとうありがとう😭
が、しかし「いざ書こうとすると、何から書けばいいのやら…」「書きたいことはあるけど、形にできない…」「どうやって毎週+α書き続けてるの?秘訣は?」というお悩みをいただいたので、僭越ながら自分が「書き続ける」ために意識してることをメンタル・テクニック面から合計4つ書いてみた。
※ご注意!
これはあくまで「個人的な日記、雑記、書き散らしを書く」ための、わたしの考え方・価値観です。バズりたい!商業化とか収益化したい!という人には向きません。たぶん。わたしがそういうのと無縁なので。(縁ほしい)
1️⃣メンタル「人の目を気にしすぎない」
読みやすさは気にしても、心の中の批判者を恐れない。
「いざ書こうとしたら、書けないな…」という場合、ほとんどが「ちゃんと書きたい」「せっかく書くのなら、しっかりと…」と、無意識に自分にプレッシャーを掛けている。しかもこれは真面目な人、誠実な人ほど陥りやすい。それは素晴らしい美徳だけど、プレッシャーになっては自分にやさしくない。「あ、いま自分にプレッシャーをかけてるかも?」と気づくことから始めましょう。
メンタルとしては「まぁいいか、どうせわたししか読まんし」という気持ちで、書き出す。広いネットの海、他人はみんな多忙です。自分の文章を好き好んで何度も何度も読んでくれる人は、誰でしょう?そう、わたし。イッツミー。自分自身が心地よく読み返せるなら、それで🆗
「ちゃんと」「しっかり」というのは、基準がかなりあいまいなもの。公募に出すとか作文の宿題、仕事のプレゼンなら話は別だけど、「自分のために、未来の自分が読んでおもしろいものを書く」なら、誰かから見て「ちゃんと」なんて、してなくてもいい。もちろん、自分しか読まないからと特定個人への罵詈雑言を書かない知性と品性があることが前提。
「心の中の批判者」は、だいたい「よく見せたい気持ち」からくる。「上手く書きたい…バズってるあの記事みたいに書きたい…あわよくばバズりたい…そのためにちゃんと書きたい…しっかり……何から書けばいいんだ!」というのは、完全に「人の目を気にして、自分をよく見せようとしている」状態。
書かぬ傑作より書く駄作とも言います。バズらないし、誰にも読まれないかもしれないけど、自分が「そうそう、わたしってこういうこと考えてたんだよね」って読み返せれば、それでよいではないですか。(自戒含む)
それにWEBの文章は、あとからいくらでも微調整できる。こうしてわたしが書いている文章も、とりあえず書いてみて、投稿前に順序なりなんなりを入れ替えたり削ったり足したりしてるので、最初から完成系を書こうと気負わなくていい。
この前書いた『バードケージ』の感想なんて、冒頭からダイヤの話を書きまくってから「いや、これは厳密に言えば読切の感想じゃないな。先に感想を書いてから、後にまとめるか」と構成を変えた。一応読み手の「読みやすさ」を考えるとは、脱線しすぎないとか、タイトル詐欺にしないとか、そんな程度のことです。
2️⃣論理テクニック「書けば書ける」
文章とは補い合うもの、という論理を信じる。
なんのこっちゃ?だと思うけど、これがまさに「文章とは補い合うもの」の論理に沿って書いている。「やればできる!」という根性論ではない。文章はだいたい、不足を補うために書かれている。
例文①「この前の日曜日、買い物に行った。お茶を飲んだ。お風呂で寝落ちた。」
↑こういう文は本当に自分用のメモとして書くならいいけど、読み手にとってはわからないことだらけ。
どこに買い物に行ったの?
お茶は出先で飲んだ?家?買ったってこと?
いきなりお風呂?買い物は??
最初に「なんのこっちゃ?」と思うものを書いたら、その後にはその説明が入るもの。だから一文を書けば、自動的に次に書くべきものが書ける。説明しすぎるのも冗長になるから、「書きたいこと」を中心に考えるのがいい。
例文②「この前の日曜日、買い物に行った。いい天気だったから、散歩がてらにあちこち冷やかしていたらいい感じのカフェを見つけた。そこで飲んだ紅茶がめちゃくちゃ美味しかった!happy🎶しかし歩き回って疲れたのか、帰ってお風呂に入ったら寝落ちてしまった。」
↑自然に書こうとすれば、勝手に補い合う。
この文章は今かなり適当に考えたけど、最初の一文さえあればざっくりこうして書けます。例文①のほうが、補い合わない文を考えるのに時間がかかったくらい。この文章の中の「書きたいこと」は「紅茶が美味しかった」ことと読めますね。
なので「書きたいテーマはあるんだけど…」状態の場合は、まずメモ帳(アプリでもしずみーの投稿画面でもアナログでも)にそのテーマを書き出してみる。
「○○について考えたい」
→まず「なんで?」と自問自答する。なぜこのテーマを考えたいのか。自分の中に何かしらの結論があるから?むしろ、ないから考えたい?結論があるなら、どうしてそこに向かったかを書く。ないなら、「まだ結論がないから、考えたい」ことを書く。結論が見つからなくても、見つからないまま終わっていい。
たくさん考えてるから、まとまらないかも!という場合は、手書きで紙やノートに「書きたいこと」を書き出していくのがおすすめ。下書きだと思って書いていき、矢印とかで「これはここに」「こっちはあとに」「これはいらない」が直感的にできる。
3️⃣小手先テクニック「読みやすい文章とは?」
区切れるところは、区切る。改行する。リズムを作る。
一応これを書くために、ガチの10年前に書いていた雑記やら日記やらを読み返した。長い!一文が!これはファンフィクション小説でも過去、そういう傾向があった。なんとか伝えたい気持ちが先走り、ガーーーッと書いてしまう。仕事でも「文章で説明を伝える」ことが増えたため、一応「区切る」ことは意識するようになった。近年。
それでもたまに、読点だけで句点がないまま何行も書いてしまうけれど。
↑こういう改行が一文を目立たせるのに効果的なことは、みなさん無意識で理解していると思う。こういうのも積極的に使うし、段落も意識して入れる。スクロールで読む場合、段落の塊がデカすぎると「今どこ読んでた??」になるし。
「リズムを作る」というのは、改行や句読点でもそうだけど、テンポを変えるところを作ること。
例えばさっきの例文②
「この前の日曜日、買い物に行った。いい天気だったから、散歩がてらにあちこち冷やかしていたらいい感じのカフェを見つけた。そこで飲んだ紅茶がめちゃくちゃ美味しかった!happy🎶しかし歩き回って疲れたのか、帰ってお風呂に入ったら寝落ちてしまった。」
テンポが変わった箇所は「happy🎶」のところになる。文章においては、こういう「引っ掛かりを作る」ことが「読み応え」になる。事実の羅列の中、突然の英語と絵文字。パッと見ても目に留まる部分になると思う。
しかしこれは、自然に取り入れるのは難しい!ので、慣れてからちょっと意識してみるくらいでいいかも。急に絵文字と英語を入れろというわけではなく、書いてるうちに「なんか単調?冗長かも…」と感じたときに「テンポを変えられるところはないか?」という視点を持つ。
改行や句読点の打ち方だけでも、テンポは変わる!
4️⃣メンタル「自分の感情、感想を大切に」
自分が考えたことを書いた文章には、価値があります。
クソが!SNSにはセンスのねぇ意見ばっかり!どう見てもここがカプだろ!!原作2億回読んでこい!!……というようなことを考えたことはありませんか?ありますね、わたしです。イッツミー。(2回目)
ふらみんちゃんがマイナーと(不本意ながら)言われるカプにハマった結果、そのカプのどこがいいのかを言葉にし続け、言語化能力を向上させた…というのは有名(?)な話。
しかし、自カプの人口が増えたら今度は「人のファンフィクション小説が読めない」ジレンマに苦しんだ。なぜかというと、人の自カプ小説を読んで「これが正解だ」と感じる表現に出会ってしまったら、わたしがやってきたことがすべて無駄になるんじゃないかと怖かったから。
このあたりの詳細はいろんな要因が関係しているので省くけど、とにかく定期的に長く書き続けるには「自分の感じたことを手放さない」のは意識していきたいところ。
しずみーで書いてきた『悪役令嬢の中の人』に対する批判的な感想も、『有栖川帝統くんのこと』も、「周りは喜んでいるが、わたしは喜べない」という「自分の感じたこと」を言葉にしておきたかったから、書いた。そうでなければ、他者の感情・感想に流されて消えてしまう。わたしはそれを最も恐れている。
「わたし」という存在が見たこと、聞いたこと、思ったこと。それは「わたし」でなければ感じられないことだ。共感や理解はあっても、「わたし」が考えたことと一言一句同じことは、「他人」からは出てこない。
日記として「○○に行った。楽しかった。」と書くとしても、なぜ行ったのか?なぜ楽しかったのか?楽しくないことは何もなかったのか?どのタイミングで楽しいと思ったのか?などなど、「自分の感情」を深掘りする。
それがオリジナリティのある、あなただけにしか書けない日記・雑記につながる。そうやって書かれた文章には、絶対に価値がある。
✍️おわりに「その文章は誰のため?」
「テクニック」の2つは本などから学んだこと。その中でも実感があるものだけ厳選した。メンタルの2つは、無意識にしていたことに気づいて言葉にしている。
「書けない」気持ちは、本当によくわかる。今のわたしも「書けねぇな」と思いながら、メモアプリに週刊ふらみんちゃんのナンバリングを書いて、手帳やジャーナリングを振り返りながら「今週はとにかく政治の話が目に入ってへとへと」と書き出し、そのあと適宜整えている。(#80)書けば書けるのを知っているから。
「心の中の批判者」は、時に自分の文章に対してとても酷いことを言う。「こんなの書いてなんの意味があるの?」「誰も読まないのに書く意味あるの?」「下手だから誰にも伝わらないよ、才能ないんだから」「こんなこと書いたら嫌われるよ?引かれるよ?」「繊細(笑)気にしすぎ(笑)厄介オタク(笑)」とかなんとか。
わたしはわたしの文章の1番のファンのはずなのに、何かを書くたびにこういう声に押し潰されそうになりながらもずっと書いてきた。今でもこういう声が、自分の中から聞こえてくる。
それでも書いているのは、「わたしが考えて形にして残さなきゃ、いったい誰がこの気持ちを言葉にしてくれるというの?」という切実な気持ちがあるから。もしどこかに、わたしと似たようなことを考えている人がいるなら、「ここにいる」って伝えたい。わたしが誰かに伝えてほしかったから。
そんな過去のわたしの文章に、未来の自分が救われる、という経験を何度もしてきた。
だから20年以上(ふらみんちゃんは17歳ね!)、バズりとは縁遠い文章を書いてはWEBで公開するという、ある意味狂気の趣味を続けている。わたしにとっての最大の報酬は、わたしがわたしの好きな文章を書き続けてくれているということ。いろんなつらいことに負けず、今日まで文章を書いて生きているということ。
未来の自分へ「今の自分はこんなこと思ってるけど、未来ではどう?」とタイムカプセルを埋めるような気持ちで、書いてみてね。