私はお前が嫌いだった【03∶三日月宗近】

ひよこひよ
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 私は「三日月宗近」という刀剣男士が嫌いだった。

 これまで「わたしのすき」というタグの日記を読んだ方は、私がいきなりこんなことを言い出すものだから、驚いただろう。これまで私は「遊城十代」と「鶴丸国永」を紹介してきたが、いずれも好意的な書き出しで始まっているからだ。

 今回は「刀剣乱舞ONLINE」との出会いと、「太刀銘三条(名物三日月宗近)」を元に作られた刀剣乱舞のキャラクター・「三日月宗近」にまつわる話を、「ミュージカル『刀剣乱舞』」の三日月宗近のこと、私の本丸のことを交えて、話をしようと思う。

 なお、タグに「たいせつ」が付いている通り、この日記は「私の本丸に三日月宗近が来るまで」の話でもあり、刀剣乱舞というコンテンツに批判的だった頃の話もしているので、そういった話が苦手な方は、今すぐブラウザバックし、他の日記を読むことをおすすめする。苦手なものに時間を費やすことほど、無意味な時間は無い。

 また、原作の刀剣乱舞ONLINEの概要については鶴丸国永を紹介したときに記載してあるので、そちらを参照して欲しい。

三日月宗近という刀剣男士

 ……さて、三日月宗近とのお話は、少しばかり長い昔話になる。おそらくは読み物として面白く出来るだろうから、大丈夫な方は、お付き合いいただきたい。

 その前に、彼のキャラクター設定について、改めて紹介しておこう。

平安時代の刀工、三条宗近作の太刀。天下五剣のひとつで、その中でも最も美しいと評される。刀剣男士としての姿も平安貴族のような優雅さ。器が大きいといえば聞こえは良い、究極のマイペース。

(公式サイトより引用∶https://www.toukenranbu.jp/character/mikazukimunechika/

 三日月宗近は天下五剣――数ある日本刀の最高傑作の中でも、最も美しい刀である。ゆえに、キャラクターデザインも高度に洗練されたものとなっている。髪型は全く奇抜ではないにもかかわらず、絶妙な顔のバランスと、貴族然とした優雅な立ち振る舞いで、他の刀剣男士と一線を画す。瞳には刀にあしらわれた打ち除けの月が浮かんでおり、圧倒的な上位存在としての印象を与えさせる。

私はお前が嫌いだった

 ……さて、一般的なキャラクター紹介は、ここまでにしよう。話を冒頭に戻す。

 私は三日月宗近が嫌いだった。……いや、嫌い、というよりも苦手であった。

 あれは私が審神者に就任する以前のこと。私は、三日月宗近を筆頭とする刀剣男士たちを嫌っていた。

 当時の私は某ゲームに登場する三日月宗近と同じ身長のキャラクターの夢創作をして過ごしてきた。その夢創作を通じて、仲間が増えた。私の周囲はみんなその話をしていた。

 しかし、ある日突然、刀剣乱舞ONLINEがリリースされた。私の仲間は皆、刀剣男士に魅入られてしまった。私は一人取り残された。友だちに別の恋人ができて、私は捨てられてしまったかのような気分になった。ゲームして、創作して、楽しんでいたじゃないか。今思えば、逆恨みも良いところだ。しかし、私はとても寂しかったし、悲しかった。

 そんなこんなで、三日月宗近ら刀剣男士は、ずっと私に嫉妬を向けられていたのである。

 そんな私が刀剣男士に対する遺恨を解消することになったきっかけは、夢に出てきた和泉守兼定が私に優しく接してくれたからだった。夢の中では何もわからない幼女となっていた私に、和泉守兼定は気さくに接してくれたのである。

 私は考えを改めた。そして、初期刀の加州清光の手を取り、本丸の門を潜ることとなる。

 しかし、特定の刀剣男士への遺恨はなかなか解消されなかった。就任一ヶ月以内からずっと居る加州清光や和泉守兼定、刀剣男士の中でも元々嫌いではなかった鶴丸国永らはともかく、そうでない刀剣男士や、遺恨が根強い一部の刀剣男士に対しては、まだまだ大きな苦手意識を持っていた。

 三日月宗近も、そのうちの1口(ふり)だった。

 当時のファンが描く三日月宗近の多くは、何かを企んでいる恐ろしい刀だった。今思えば、当時のフォロワーがそういった創作を好んでいたから、そんな三日月宗近の描写が目に入りがちだったのだろう。そして、三日月宗近は「天下五剣一美しい」と称される刀だ。二次創作や一部メディアミックス作品でも存在する、加州清光らと三日月宗近のどちらかがどちらかのための引き立て役にされるような描写も、私は心底気に食わなかった。

 私はそんな三日月宗近が恐ろしくて、怖くて、嫌いだった。

 私は三日月宗近の情報を避けていた。興味を持たないようにしていた。しかし、私の意志に反して情報は流れてくる。当時、三日月宗近は割と人気度が高い刀剣男士だった。私の本丸に三日月宗近は居ないから、出来る限りファンアートなどを見ないようにしていた。しかし、推しの加州清光や、既に気に入っていた鶴丸国永などのファンアートを巡れば、意識していなくとも自然と三日月宗近が目に入ってくる。

 とはいえ、それらの私が嫌悪感を抱く要素すべてが、彼の本質ではないような予感もあった。

 当時の私は、良くも悪くも、物事をうがった目で見ることが多かった。当時の鶴丸国永の「他者を落とし穴に嵌める驚きじじい」という評価や、加州清光に対するメンヘライメージなどにも首を傾げていたくらいだ。ああ、いや、そういった彼らの解釈を否定しているわけではない。そういう解釈もあっても良いとは思うが、あくまで私の中で「彼らは本当にそうだろうか?」という疑問を抱いていた、というだけである。

 その疑問は当然、三日月宗近にも投げかけられることとなった。

 ――三日月宗近は本当に恐ろしいだけの刀なのだろうか?

 そんな折に、私は「ミュージカル『刀剣乱舞』」の存在を知る。

 当時の私は加州清光を贔屓していたため、自然と、佐藤流司氏扮する加州清光に興味を持った。そして、阿津賀志山異聞本公演前の――トライアル公演を、ニコニコ動画の生放送で視聴することとなる。

 そこで、私は驚愕した。イメージとは全く違う「三日月宗近」が、そこに居たのだ。

 出陣前は、ほけほけしていて親しみやすい雰囲気なのに、いざ刀を振るえば優雅に美しく舞う。何かを画策し誰かを貶める様子は全く無い。それどころか、優しい刀であるようにさえ思えた。さも何でもないかのように振る舞いながら、実は仲間を気にかけており、迷う仲間に、言葉ではなく刀で語り掛ける。そして、強く美しく歌い上げる。

 当時はそこまで強い感情では無かったが、未だに覚えている。刀ミュの三日月宗近を見て、三日月宗近という存在に対して、じんわりと、「ああ、いいなあ」と思った。あたたかい感情が生まれた。

 2部の最初の曲である「Mistake」を聴いたとき、この三日月宗近はなんて気持ちよさそうに歌うんだろう、と思った。ソロ曲の「Endless Night」を聴いたときも、この神様の歌は目でも聴いていたいと思った。優しく歌い上げる彼の姿を見て、私は確信した。

 ――なるほど。きっとこれが本来の「三日月宗近」なのだ、と。

 三日月宗近への嫌悪感は、完全に払拭された。私と彼の間にあった暗い霧が晴れ、やっと本物の三日月が見えるようになった。

 私は刀ミュの三日月宗近を見て、「私の本丸にも三日月宗近が来て欲しいな」という、ささやかで興味本位な、淡い想いを抱くようになった。しかし、三日月宗近は希少な刀剣男士である。彼は、なかなか来てくれなかった。そうして、半年くらいが過ぎた。

 刀剣乱舞が2周年を迎えたあの日。忘れもしない、1月14日。私の頭に、天啓が降ってきた。

 今、鍛刀すれば、三日月宗近が来てくれるような気がした。今でもあの不思議な感覚を覚えている。俺を呼んでくれと、強く呼ばれている気がして、急いで本丸の門をくぐった。

 そうして来てくれたのが――我が本丸の三日月宗近だ。

 彼とは、他の本丸ともミュージカルの彼とも違う、いろんな歴史を一緒に歩んでいくこととなるのだが……それは、この後のお話。

 私は、三日月宗近が大嫌いだった。今は――大切な、私の一振りだ。

@trhnmkc
夢を見て絵を描く鳥。なりすましではなく本鳥です。嘘か本当か分からないことや、取り留めもないことばかりを書きます。