▽前回はこちら
・・・
葛藤と決断
母との未完了を完了した後、ふと「いつ私は仕事を辞めるんだろうか」と思った。人や環境には恵まれていて、仕事は辞めたくない。職場まで自宅から片道1時間だったので、長年の通勤疲れと数年前までの過労でなんとも言えない疲労は感じ続けている。
そしてその疲労は少し休むだけじゃ抜けないことは分かっていた。「あ、このままじゃ長生きできないな」と数年前から直感していたけれど、それ以外は満足していた。仕事も好きだし向いていると思っている。
そして、「そっか、私は来年の1月20日に仕事を辞めるのか」と撮影を終えた後に感じた。降ってくるように感じた。私はここでの役割が終わったんだなと思った。けれど、「直感を信じていいのか?」と、それは本当に本当に、めちゃくちゃ悩みながら決断した。長い間お世話になった会社に対して、とても心苦しく感じた。
感謝と退職
けれど、最後の一押しとなる出来事があり、退職を決めた。絶対に感謝の気持ちで退職をすると決めた。最後は応援してもらいながら、また遊ぼうねって言ってもらいながら送り出していただいた。
10年間ものすごくお世話になった会社。優しい先輩と上司、頼りになる後輩に恵まれた。チームでたくさんの苦楽を味わったことを思い出し、毎日通った通勤の道も今日が最後だと思うと自然と涙が溢れた。
誰かを支える
まだ短大生だった頃、就活に難航していた。自分がやりたいことも明確になっていなくて、10社くらいは落ちたと思う。短期のアルバイトしかしたことのなかった私は、世の中にはいろんな仕事があることや、働いている人の裏側を知った。「目には見えなくても多くの人に支えられているんだ。今度は私が誰かを支えられる立場になりたい。」と思った。
それから1週間後に内定が決まった。こんなに苦労したのに、最後はあっさりしていた。入社当初は、ここが私の「誰かを支える」をさせていただく場所なのだろうと思っていた。
10年後にようやく気づくこと「私の役割と家族」
けれど、今突然役割が終わった感じがしたのはなぜだろうと振り返った時、家族の問題を解決するために、この場所から離れたくても離れられなかったのだと分かった。家にいることが私の役割だった。
家族との未完了を完了しなければ家から出ることができない仕組みだったのかもしれない。28歳にもなって家族とあんなにぶつかると思ってなかった。どの家庭もそうだと思うけれど、家族の問題はどこまでも根っこでついてくるんだなぁ(笑)家族全員との未完了が完了した。
仕事を辞めた当初は、“職場での”役割が終わったのだと思っていたが、違ったことに1年後に気づいた。10年経って気づくこともある。
今何のためにこの会社にいるのか、ずっと問うてきた。何百回も問うてきた。10年後に足跡を振り返り気づくこともあるのだと知った。
少数派が認められない義憤
それから仕事を辞めてしばらくしたあと、自分のやりたいことがじわじわと、明確にやってきた。それは「会食恐怖症の方の支援をしたい」という思いだった。正直、支援をする側になるとは全く思っていなかった。できれば隠して生きていきたいと思っていた。
退職を決断したタイミングで、300人以上が集まる会場で自分のことを話す機会をいただき、テーマに悩んだ。筆が思うように進まなかった。最終的に、学生の課外活動の撮影での出来事を話した。会食恐怖症と向き合ってきたことを話した。
その後、あるニュースから、少数派の人が悩み苦しむことが本当に嫌で義憤を感じ、何か力になりたいと強く思った。それからすぐにカウンセラーの資格を取れる段取りがついて、会食恐怖症の方の支援ができるカウンセリングの資格を取った。
SNSでは初めて自分の症状を打ち明け、支援を始めた。
支援をしたい・経験を言葉にしたい
退職当初、やっていきたいこととは別に、「自分の経験を伝えること」が私の使命なのだろうなぁとうっすら感じていた。使命は向こうから舞い込んでくるのだなと仕事を辞めたあとに何度も感じた。退職してからもいろんな体験をし、たくさんの記事を書いた。
・・・
▽続きはこちら