#03 家族との「未完了」と、自分で自分を守れないわたし

よし
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母へのモヤモヤ

大人になり、半ば会食恐怖症が治ることは諦めていた。お正月に親戚の人の前でも食べられることに気づいたり、たまに小さな発見をしていった。でも完治することはない。口にするほどではないけど、前へ進もうとする時に会食への不安が付き纏い、心のどこかでモヤモヤしていた。

「お母さんがちゃんと助けてくれたらこんなことにはならなかった」

中学生の当時は父が単身赴任で、母も入院したりと、きょうだいで協力してやっとの形で毎日の生活が成り立っていた。4人分の食器と弁当箱、水筒を毎晩洗うのが私の担当だった。そんな中、母は小学生の弟と中学生の私、高校生の姉の食事の準備を毎日してくれた。

母はPTA役員に選ばれ学校に行ったり企画を考えたり、病院勤務だったので深夜に職場から何度も呼ばれることが日常だった。当時中学生の私は母へ相談したけれど、泣いたら嫌われると思い込み、泣かないで話せる範囲のことしか話せなかった。

だから、母は私の気持ちを全て理解することは難しかっただろうし、寄り添うような言葉をかけてくれることもなかったように感じた。医療に関わる母は、昔から笑顔が素敵で温かく、冷静で、辛いことがあっても人前では決して泣かなかった。

もっと寄り添って欲しかった

母が、「どうしてほしい?」と聞いてくれたのはよく覚えている。事態が悪化するのが怖くて、「何もしないでほしい」「先生には言わないでほしい」と伝えた。それから友人が助けてくれることで、事態は終息した。

母には「人との食事が苦手」と伝えたことはなく、28歳になった。家族でいる時は症状が出ることはなかったので、伝える機会がなかった。伝えなくても大丈夫だったから、これからも伝えないだろうと思っていた。

家族との「未完了」

この頃、家族への長年のモヤモヤや怒りが我慢できなくなっていた。家族の仲はとてもいいし大好きだけれど、家庭内の私の役割としてどうしても納得のいかないことがあった。同時期にコーチングに出会い、「未完了の完了」という言葉を耳にする。試練が目の前にある時に、未完了を完了しなければ前に進めない状況に直面することがある。

大人になって大泣きしながら、声を出して怒りながら、父、姉、弟への未完了を完了していった。我慢しがちで自分の気持ちを伝えるのが下手な私がちゃんと言いたいことを伝えられるよう、母が横で背中をさすって応援してくれた。

優しいけれど、「いけ!」と言ってくれているようだった。弟は声を出して泣き、ハグをしてくれた。つらさを同じように分かり合えた気がした。父にも姉にも言いたいことを伝えた。何度も伝えた。

自分で自分を守れない私

私の「無理して自分を犠牲にしてでも人のために動く」という考え方や行動の癖が今の状況を作っていたことを知った。自分の選択に自分で責任を取る覚悟や、たとえ人に嫌われても自分の意思を貫くことや、自分を守ることができない自分がいることを知った。そして、長年離れて住んでいてお互いに知らない苦しみがあったのだと知った。

何事も、当事者にならなければ伝わらない苦しみはあるけれど、それでも諦めず話し続ければ分かることもたくさんあるのだと知った。家族への未完了は完了したと思っていた。

けれど、母へのモヤモヤは残っていた。

「このモヤモヤはなんだろう?」

母との「未完了」

「お母さんがちゃんと助けてくれたらこんなことにはならなかった」

頭では母を責めることは間違っていると分かりながらも、どうしても気持ちが晴れなかった。母に時間を取ってもらい、14歳の頃の話を、28歳になって改めて話した。母に気持ちを分かってほしかったし、親に謝ってほしいと願うことは間違っていると直感では分かりながらも、どうしても謝ってほしかった。

伝わらない。

日を変えて、二度に渡って話した。

コーチングを学ぶ中で、自分の内側とたくさん、痛いほど向き合ってきた。今の私なら、感情を乗せて、涙に圧倒されず、伝えたいことを伝えられる。母の話も怒ることなく、諦めることなく、聞ける。

普段、温かくも目の前のことに圧倒されない母が、大泣きしながら気持ちを分かってくれた。でも私の心は晴れなかった。心では違うと分かっていながらも「謝ってほしい」という思いが消えなかった。

苦手な場での食事

梅雨が明け、夏になった。少し苦手な場に誘っていただいた。学生の課外活動の写真撮影の依頼だった。学校給食を思い出す場面で食事をしなければならず、不安がよぎった。手の震えや、食べられず気まずくなる状況を想像した。

それでも、「人のために動きたい」という気持ちがあり、行きたかった。以前と違ったのは、「無理して自分を犠牲にしてでも人のために動く」という行動の癖を認識したことだった。

「無理をしない」と「感謝」

無理しない行動を家族と一緒に考えるようになった。

全日程参加はせず、1日だけ撮影に参加させてもらうことにした。「無理をしない」を意識しようと決めた。そんな中でも、「人のためになりたい」という気持ちや「感謝」は忘れずに向かった。

すると、とても心が落ち着いて、責任のある役割の中でトラブルがあっても焦らず、周りへの信頼の気持ちが自然と湧いた。「何があっても頼れるみんながいるから大丈夫」とどっしり構えられた。

食事の時間は緊張しつつ、お盆の上にご飯とおかずとデザートのお皿を乗せた。学生の活動ということで、グループみんなで「いただきます」と「ごちそうさま」をするルールだった。「無理をしない」と心に唱えると少し気持ちが落ち着き、昼・夕と二食、ご飯以外は完食することができた。

コロナ禍だったので黙食がルールだったけれど、同じグループの人たちが、表情で、笑顔で「おいしいね」と表現しているのを見て安心した。その時、私も誰かに安心してもらえるような存在になりたいと思った。

横を見ると、一人食べるペースが遅く少し焦っている後輩が見えた。コロナ禍だったので食べ終わったみんなが次々と黙ってマスクをつけていく。私もマスクをつけようとしたけど、後輩が食べ終わるまで食べているふりをした。以前だったら自分のことで精一杯で気が付かなかったと思う。

今と昔は違う

「無理をしない」という行動を意識しても、並行して、これまでとは違うで、「人のためになることはできる」のだと知った。「感謝」を表現することができるのだと知った。食事中に相手のことを思いやることもできるようになるのだと、嬉しさと驚きであふれた。

あまり話したことのない後輩だったけれど、これを機に仲良くなった。昔のような場面が訪れても、昔と今では、私自身も環境も違うのだと、「今は食べることができるのだ」と体感した。

これまでとは違う「人のためになる」の形

小学生の頃から、「頑張って乗り越える」「やればできる!」をポリシーにして生きてきた。けれど、困難と行動を通じ、「無理をしない」「自分を大切にしていく」という一見自分勝手な選択しても、「人のためになりたい」という気持ちや「感謝」の気持ちを忘れなければ、「自分を大切にすることと並行して人のためになることはできる」のだと知った。

撮影から帰宅途中、母へのモヤモヤが嘘のように消えていることに気づいた。

本当に責めるべき相手は母ではなく、からかってきた当時のクラスメイトであること。母はあれから、私の話を夜遅くでも聞いてくれるようになったこと。母が変わってくれたように、私も変わらなければいけない部分があったこと。

これらの気づきが一気にやってきた。

不思議な体験だった。

私のやるべきことは別にある

クラスメイトの課題である「人を言葉で傷つけない」を自分の課題にして自分の気持ちに蓋をしてきたこと。私のやるべきことは、「無理をしない」「自分の気持ちを自分から相手に伝える」「いつでも感謝の気持ちを持ち続ける」だった。今はまだその歩みの途中。少しずつ少しずつ、自分を磨いていく。

この気づきの過程で、両親や家族にどれだけの心配をかけてきたのだろう。きっと陰で幸せを願ってくれていたに違いない。目に見えなくても、そばにいなくても、いろんな人に支えられているのだと改めて、深く気づいた。でもすぐに忘れてしまうから、言葉にし続けていく。

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