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「食べたい」のに、視線が怖くて「食べられない」
ある日、席の都合で2ヶ月間、からかってくる男子と正面で向き合って給食を食べなければいけなくなった。自分の手が震えていることが分かり、「これから毎日笑われて、ご飯が食べられなくなるかも…」と「食べたい気持ち」よりも「震えを隠すこと」を無意識に優先するようになった。
口に運ぶときにどうしても手があからさまに震えてしまう。
給食が一番辛い時間になった。食べやすいのはパン。飲み物はギリギリ。その時危機すぎたのか、独自の対処方法を編み出した。「息を深く吐ききってから食べると震えが出にくい」と気づいた。(のちに呼吸でメンタルが安定することもあると知ったけど当時は知らなかった)
男子が給食に夢中になって目が合いそうにない時に、呼吸によって震えを止めて食べた。でもこの方法も「絶対」とは言えなかったので、目が合うと分かると試せなかった。対処療法的な方法でなんとかやり過ごしていった。
お腹が空いて集中できない、成績がガクッと落ちた
箸を使って食べるものは1口2口、ほとんど食べられなくなった。特に困ったのは午後からの授業。すぐお腹が空いて勉強に集中できなくて、その場にいるのも苦痛で本当に困った。
家ではご飯は普通に食べられていたけど、教科書を開くと学校を思い出す。重く、つらい。勉強は好きなのに、家でも勉強ができなくなった。何かを考えるとつらいこともセットで思い出してしまうから、考えること自体を丸ごとやめた。成績は学年の半分以下まで落ちた。
負けたくない!将来のため!
学校は休みたかったけど、「自分のこれからを潰されたくない!」という気持ちが強く、皆勤賞並に学校に通った。今考えるとすごすぎる。本当によく頑張った。その後、友達の前で感情を出せたことで、友達が先生に伝えてくれた。先生が厳しく注意し、収まっていった。心底安心した。今でもたまに会う保育園からの幼馴染。本当にありがとう。
けれど、「人との食事=危機(緊張)」というのを身体や脳が覚えてしまったせいか、この後も、家族以外との食事では症状が出続けた。
14歳から変わらない症状
それから何年も、症状と付き合い続けることになった。何に頼ったらいいのか分からず、相談もできなくて、悪くなることもなければ、良くなることもなかった。会食以外の場面では緊張しても視線はさほど怖くない。けれど、会食場面では異常に緊張してしまうことや、会食へ行く前から不安に感じることが続いた。
高校生になるとお弁当を持参する形になり楽になった。けれど相変わらず緊張で手が震えて、周りから変だと思われることが怖かった。本当は食べたいけれど、無理そうだったら残して、帰宅後に食べたりしていた。
人を楽しませられるようになった
そんな中変わったのは、自分本位な理由ではあるけれど、「喋るのが上手になった」こと。視線が怖いので、相手に私自身よりも会話に集中してもらえるよう、質問をしたり楽しませるようになった。気づけばそうしていた気がする。
でも毎回緊張しながら食事をし、会話もし続けるのは結構疲れた。小学生の頃から変わらず、「我慢をする」という選択をし続けた。進学も就職も、手に入ったものはあったけれど、症状は一向に良くならず、どこか苦しいという思いと疲れが積み重なっていった。
自分の好きな過ごし方をする
大学は芸術系の短大に入学し、デザインの勉強をし始めた。高校までと違い、毎時間授業を受ける場所が変わり、陶芸やデッサンなどの実技も多く楽しくなった。症状は相変わらずだったけれど、しんどい時は好きな場所でご飯を食べたり自由に過ごした。
ありのままの自分でいられる友達もでき、学科全体に褒める文化があったり、自分の弱さを見せられる人が多く、より自然体でいられた。心地よく過ごすことができた。
誰かの喜びになる商品の企画とデザインがやっぱり好きだということに改めて気づき、2年生になるとデザインにのめり込んでいった。心地良い環境で過ごせていたおかげか、学業でも結果を残すこともできた。
卒業制作では山口県のお土産を提案し、先生のサポートのおかげもあり学長賞を受賞した。褒める文化のある環境で表現することがとても楽しく、気づくと首席で卒業していた。とても居心地が良く楽しい2年間だった。
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