やたら本数増えたよなぁ、とか作画崩壊増えたよなぁ、とか海外発注増えたよなぁ、とかそういう制作面の問題じゃなくて、主に見る側(つまり私)の問題。
アニメを見る目が変わってきました
まぁ、割とこれって当たり前ではあって、アニメに限らず、主観的に何かを見るのであれば、その時の状況や立ち位置、人間関係によって感じ方、見え方なんて変わるもんだよなぁ、と。
それを自覚し始めたのが、ここ最近、と言うだけであって。
きっかけは何だったんだろう
よくわからんです(マテ
それで終わると、正直、話が進まないので、無理矢理進めます。
振り返ってみたら、リコリコかなぁ
たぶん、コレ。
『やりたいこと最優先』、この時は割と疲れ果ててて、やりたいことを成し遂げるために、優先順位を付けて、切り捨てるモノは切り捨てなければ、やっていけない状況にあったと思います。割と追い込まれていた、と思ってもいいかなぁ。
ぶっちゃけ、追い込まれているのは今も全く変わらないので、『やりたいこと最優先』の精神は今でも生きています。
リバイバルの楽園追放はかなり来た。
たぶん、リコリコ以来のインパクトを与えてくれたのは、楽園追放。と言っても楽園追放自体は10年前の劇場版アニメであって、リコリコより前のアニメなんですが。
まさにこれが今回のキモで、当時も面白かったです。劇場見た直後に円盤を買いに行ったぐらい、面白かったです。
でも、去年、リバイバルを見たら10年前に見た時よりぶっ飛んで面白かったです。たぶん、長年アニメ見てきたけど、一番ぶっ飛んだかなぁ。
SFとしても面白かったし、精神が電子データ化された新人類、荒廃した地球上で肉体を持って生きる旧人類、そして進化して人格を獲得したAI、人間の定義とは何なのか、と言うのは当時の自分にとっても非常に興味深いテーマでした。
ですが、10年後に見た自分がもっとも心に来たのは『仁義』と言う言葉。この言葉自体が、楽園追放の大きなテーマだった、と実はリバイバル時の舞台挨拶で知ったのですが、まさに私に刺さったのはコレでした。
今の私はタイヤ館石神井さんに愛車のスイスポを見てもらっています。そして、そこではお金で買えないプライスレスな恩義を受けています。その恩義を返すことがモチベーションになっています。
まぁ、そんな自分に酔っている、と言う見方が正しいのかもしれませんが、酔っているなら酔っていてもいいし、雨の中、傘も差さずに踊る人間がいてもいいと思います(話が飛んだ
今の自分の状況に、あまりに楽園追放はハマリ過ぎていたのです。
もともと、私はガノタでした。
いや、今でもガノタですがw
アニメを見始めるきっかけになったのもガンダムです。そこからマクロス、パトレイバー、エヴァ、攻殻機動隊、とだいたいの話題作は網羅してきたかなぁ、と(SFばっかだな、ヲイ
多様性の時代が色々変えたのかも
やたら本数が増えて、多様性も増えた、と思います。コアなファン向け、わかる人向け、と言うアニメも増えたと思います(まぁ、正直な話、エヴァからしてコアなファン向けのアニメだろ、と言うツッコミは少々入れたくはなりますが……マニアックと言うのとはちょっと違うと思います。
まぁ、それはともかく、多様性の時代となったことで、『あるべき論』が失われつつあるのかなぁ、と思うところもあります。あるべき論がなくなったため、アニメを客観視することが減ったのだと思います。誰が見ても面白い、名作だ、そんな考えはここ数年、すっかり消えてなくなりました。主観で面白いかどうかでバッサバッサ切っています。もっと言えば、私は『見ないで否定するのはよろしくない』と思う派です。このため、多少面白くなくても、物申したければ、最後まで見る、と言う人でした。
最近は時間がない、と言うこともあり、自分に合わない、面白くないものはあっさり切り捨てて、その代わり、見なかった作品については何も言いません。何か言え、と言われたら『私には合わなかった』としか言わないでしょう。
たぶん、客観性を失ったことで、アニメの見方が変わったんだと思います。まぁ、私は作り手の側ではなく、消費者なので、このスタンスが許されるのだろうな、と思うところはあります。