だれか代わりに読んでください④マイケル・キーン&ジョエル・スレムロッド『課税と脱税の経済史』(中島由華 訳/みすず書房)

b_lighthouse
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公開:2025/2/23

「支払い? ぜんぶこいつが払います!」と言っているように思える。


どう考えてもこの時期にとりあげるべき(ではない)1冊として、そして明らかに暇であった今週の締めくくりとして書かねばならない……。

マイケル・キーン&ジョエル・スレムロッド『課税と脱税の経済史』(中島由華 訳/みすず書房)


 なぜ、そこまでして確定せにゃいけんのか、なんで、そこまでして、自分の収入を見せつけなきゃいけんのか、俺にはようわからんが、すごい、それは、素晴らしいことだ、かもしれなせんね、SAMURAI。(出典

 私はSAMURAIではないのでようわからんが、「稼ぎてえ」と言ってナンバーガールを再結成した向井秀徳なら、確定申告についてはこう言ってくれるのではないか。俺はそんなちっぽけな俺の収入を申告する必要はない。NUM-AMI-DABUTZ

本書でとりあげるのは数千年の期間に生まれた物語の数々である。シュメールの粘土板、カリグラ帝の奇抜な税制から、パナマ文書で暴露された狡猾な租税回避や、ブロックチェーン技術で可能になる税務の仕組みまで。…とはいえ、この本は税金の歴史をまとめた歴史書ではないし、税金の原則を教える入門書でもない。その両方の要素を少しずつ持っている。

 確定申告とは言い得て妙である。そもそもの時点でアナキストの端くれとしては承知できないのだが、収入額を確定させることの意義がわからないうえに、確定させた収入額を申告までせねばならない、そしてそのような理不尽かつ事実上拒否ができない要求であるにもかかわらず、「確定(する)」「申告(する)」という能動的な行為であるかのような表現となっている、それが気に食わない。腹を切るのも実際には強制的≒受動的な振る舞いであり、そのようにして見せつけられたプライド、あるいは切腹という行為に潜む本質は、トキシックマスキュリニティの一種ではなかろうか。収入額が高ければ支払った税金の高額さとともに裕福さ≒豊かさを見せつけることができるし、収入額が低ければ支払える税金の少なさとともにある種の恥をその者に植えつけることが可能になる。それが徴税というシステムなのかもしれない。

 この、権力機構にとって有利なシステム、事実上強制であるにもかかわらず行為者の自発的な選択であるかのようにカモフラージュが可能な徴税システムは、確定申告という名称によってさらにその本質を隠蔽される。支払う余裕のある者はそれを誇示することが可能になり、余裕のない者は前者によって「(怠惰や無能の結果として)批判」される対象になる。私は確定して申告しましたよ、あなたはしないんですか、なるほど税を支払いたくない、と……でもそれはあなたの問題ですよね、だって私はこんなに納税したし、それは私ががんばったからですよ、あなたはどうなんですか。うるせえ。俺はそんなちっぽけな俺の収入を申告する必要はない。というかちっぽけな収入でなにが悪い。脱税どころか節税するメリットもない程度の収入を、“同情の果ての冷笑を無視”して私は見せつける。

 そう、見せつけてしまっている。いまのところ毎年、収入を確定させ申告までしてしまっている。そもそも税を納めること自体には反対ではない。適切に使われるのであれば、つまり相互扶助の一環としての活用がなされるのであれば、むしろ積極的に納めていきたい。自発的な行為として納税することができれば(少なくともそのように感じられれば)なおよい。支払いたいから支払う、というシンプルな状況が作り出せれば、助けて「あげた」/助けて「もらった」という感情も生じにくくなる。実家から野菜が送られてきたんだけど、食べきれないからだれか持ってってよ。そういう感じの、税金の納めかた。

 といったことが書いてある気がする。書いてあってほしい。だれか代わりに読んでください。


これまでの回

だれか代わりに読んでください①エヴァン・ダーラ『失われたスクラップブック』(木原善彦 訳/幻戯書房)

だれか代わりに読んでください②アラン・コルバン 編『雨、太陽、風 天候にたいする感性の歴史』(小倉孝誠 監訳/藤原書店)

だれか代わりに読んでください③F・B・アルバーティ『私たちはいつから「孤独」になったのか』(神崎朗子 訳/みすず書房)

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