好きとわたしのはなし 続き

しずむ
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公開:2026/6/25

先日誕生日を迎えた。が、同時に夏風邪のピークも迎えており、ハッピーバースデイトゥー俺!みたいな呑気な記事を書く予定だったんだけれど熱に浮かされていて普通に無理でした。まあ長い?こと生きているとそんな年もあるでしょう。今年のわたしも適度に頑張ってくれたまえよ。

さて。

半年前、いの一番に「もう長いことずっと、好きが嫌いだ。苦手だ、の方が正しいかな。怖いでもいい。」なーんて書いてしまったため、実はずっと冷や汗をかいていた。

そ、そんなこと言ったらこれから好きなもののはなし一切できないじゃん……。

(実際、ここまでの記事において「好き」という言葉は相当意識して使ってきた。あるいは半ば意図的に除かれている)

いの一番に書いとかないと、と思った己の執筆の出発点なので、書いたこと自体を間違いとは思っていないし、事実嫌いで苦手で怖いんだけど!ぜんぶがぜんぶ嫌いで苦手で怖いわけじゃない。そうじゃない好きもちゃんと抱えている。はずだ。

というか、どちらかといえば愛情深い方の人間なんじゃないかと思う。

一度身のうちに抱えたら大切にして二度と手放さない、そういう気概で愛せないのならそもそも好きにはならない、みたいな、愛と誠を地で行くタイプ。人にも物にも愛が深くて重い。あと面倒くさい。

その代わり、そこに至るまでは広く浅くどうでもよかったりする。熱しやすく冷めやすいスピード感で生きている双子座人間のため、多分大切にできないこともよくよくわかっていて、深入りを避けているきらいもある。

そういう重たい好きをこじらせているうちに、わたしも歳をとったし社会も変わった。かつては隠すしかなかった好きを自由に表明できるようになった代わりに、相応の重さも手にした感じ…だろうか。

好きの文脈の裏にある消費行動への嫌悪感と罪悪感、対象のすべてを必ずしも肯定する立場ではないこと、わたしの好きにさほどの価値はなくとも、そこに価値を見出す誰かはいるかもしれないこと。若い頃なら気軽に言えた「好き」は、でも決して、軽くて綺麗なばかりの感情でないこと。

わかってる、何かを好きであることは何かを嫌うことではないし、誰と比べて競うものでもない。後ろめたく思う必要もないし、後ろ指をさされる筋合いもない。わかってる、わかってはいるけど、どうしたって考えてしまう。

そんな自分が臆面なく好きといえるものは、だからそこまで多くない。あえて黙っている、隠している好きだってたくさんある。

人から後ろ指差されないのがわかっている好きなら比較的平気だ。自分の中で今後も変わらないだろうと思えると殊に。

猫が好き。植物を見るのが好き。焼きたてのフィナンシェが好き。

でも対象が実在する人間なんかになるともう途端に不安になってくる。移ろう、比べる、相手の気持ちを勝手に推し量る、責任責任責任…………。

でも。だけど。

ここで半年ぶりにまたマッキーかよではあるが、「好きなものは好き!」と言える気持ちは抱きしめてたいのだ。それに近い目的で始めたのがこの書き散らしだから。

ということで、一つ歳を重ねて心機一転…とかではないのだけど、今後は言えそうなときは普通に言うし、書けそうなときは素直に書く、と思う。ので、もし今後「好き」って言葉が出てきたら、これは大丈夫なやつなんだな、譲れないんだな、と思って眺めておいてほしい。「ほしい」についてもどうか同様に。

迷いつつ、頭を抱えつつ、それでもそうとしか言いようがなくて選んだ言葉だったりする。それに、好きという感情を抱くこと、それをあらわすことは、これで案外好き、なのだ。

@blueish
すなおなきもちでいたいけど、多分たくさん嘘もつく