2025年6月8日にXのスペース機能で開催した音声配信「眞鍋せいらのぐうたらジオ」の文字起こしです(読みやすさなどのため適宜編集しています)。
Dr.ギャップはゲストとしてお邪魔し、同月プライド月間に合わせて発行した同人誌『いるよの話』のことなどお話させていただきました。
全体で26,000字程度あるため、三分割で公開しています。
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目次
#1の内容
自己紹介&導入
『いるよの話』制作について
二人の出会い
用語の確認
言葉の選びかた使いかた
#2の内容
「当たり前」でなくしていく
マシュマロへの応答
違うまま連帯することとフェミニズムをめぐって
#3の内容
短歌の話
〆のご挨拶など
*接続トラブルがあったため、開始3分後くらいに仕切りなおしを行いました。その後からの文字起こしになっています。
自己紹介&導入
Dr.ギャップ
自己紹介をしたほうが良いっていう。
眞鍋せいら
あ、そうですね、お願いします。
Dr.ギャップ
えーと、さっきご紹介いただいたとおり短歌のご縁で知り合って、かれこれ5年以上くらい?
眞鍋せいら
そうですね、びっくり。
Dr.ギャップ
びっくり。
それで、自分は恋愛や性愛において誰にも惹かれませんよっていうことで、アロマンティック・アセクシュアルだろう、あとそもそも恋愛感情ってよくわからんなっていうのでクワロマンティックだろうと思っています。
で、去年のプライド月間に、そういう自分のことをエッセイみたいな文章にしてインターネットで公開するという企画をして、今年のプライド月間に合わせてその時の文章や書き下ろしをまとめて『いるよの話:クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルの本が欲しくて作るの巻』という本を作りました。クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルについてもっと知ってもらいたいし、恋愛や性愛ってみんなにとって当たり前とは限らないよねっていう感覚が広がったらいいなと思っています。
眞鍋せいら
本についてもいろいろ伺えたらと思いますし、他にも短歌のお話とかも伺えたらなと。
私たちが喋るとお互いの推しとか、二次創作短歌とか、そんな話にもなるかもしれません。どうなるかは見届けていただければと思います。
『いるよの話』制作の話
眞鍋せいら
話したいことたくさんあるんですけど、何からいきましょうかね。
ギャップさん、去年しずかなインターネットで文章を公開する企画をなさって、今回本になったわけですけど、本という形でお手に取られてみて何か思うところとかはありますか。
Dr.ギャップ
もともと本にしたいなって思った理由として、自分がアセクシュアルとかって言葉を知ったときに本が全然なかったっていうのがあるんです。いろいろ知りたいと思って本を探したのに見つからなくて、しかも国立国会図書館サーチっていう、現代の刊行物がおおよそ全部探せるはずのところで見つからなくて、不安みたいな気持ちがありました。だから「ある」ようにしたかったんですね。
ネット記事だけじゃなくて、本っていう物質にすることでより長く残るとか、手に取ったりしやすくなることはあるだろうと思っていて、それが実際に形になったっていうのが嬉しかったです。言い方はあれなんですけど、国立国会図書館の納本制度っていう「作った本は国立国会図書館に納めなきゃいけません」っていう仕組みに乗っかって本を送りつけることができるのも、形があるものにしたからこそかなと。
眞鍋せいら
もうちなみに送られたんですか。
Dr.ギャップ
はい、送りました。
眞鍋せいら
素晴らしい。じゃあ国会図書館のサーチに入る日も近いんですね。もう入ってるのかな。
ちなみに本になさるなかで大変だったこととかありますか?
Dr.ギャップ
ワープロソフトとの格闘というのは置いておくとして。どういう文章を収録したらいいんだろうっていうのは迷ったところでした。
自分が「こういう本が欲しいな」と思ったはじめに想像していたのは、自分と同じように恋愛や性愛が当たり前じゃない人に向けて、そういう人が他にもいるんだって伝えられるようなものでした。
でも同時に、この本の土台である「いるよ」は、そういう人がいるってことを今は知らない人に向けての面もあるよなって思ったので、じゃあそういうそれぞれのためにどんな文章があったらいいのかなと考えました。
具体的には、アロマンティックとかAスペクトラムといった言葉について説明する単語帳のようなパートを本の最初に置いたのは、普段こういう言葉や話題に親しんでいない人にも届く本になるようにと考えたからです。あとは、自分だけじゃなくて他の人の話も聞きたい読者がいるだろうということで、次に読む本につながるように紹介コーナーを作ったりとか。
他にもこういう文章やコンテンツがあったらいいよなというのも本を作りながらいろいろ思ったので、今後もしずかなインターネットで書いたりしたいなと思ってます。
眞鍋せいら
なるほど、じゃあまだいろいろ今後とも発展というか、道の途中ということかもしれないですね。最初の一歩になりつつあるという。
Dr.ギャップ
そうですね。この間せいらさんと通話したときにも喋ったんですけど、身も蓋もないこと言うと、自分が書くだけじゃどうしようもないっていうか、いろんな人の声があったほうがいいっていうことを思ってるんです。
「自分と似た人がいる」って、恋愛や性愛がどうというだけじゃなくて、ジェンダーとか居住地とか年齢とかの属性とか、パートナーが欲しいとかそうでもないとかいう恋愛や性愛に関するスタンスとか、いろんなところに引っかかってくると思うです。だから、同じ性的指向・恋愛指向の人どうしでも「思ってた一緒じゃなかった」っていうのはいろんな部分で起こりうると思うんですよね。自分も覚えがあります。
だから、限られた少しの人の話しかないと、「この属性の人たちってこういう感じだろう」っていう典型的なイメージから外れた部分がどんどん取りこぼれていっちゃう。だから、たとえば手記やインタビューが集まる形でいろんな人のそれぞれの声が見えるといいなっていうのは強く思います。それが自分にできるかはまた別なんですけど。
ただ、「パートナーがほしいAスペクトラムの話」は、自分はその当事者としては書けないけど、小説みたいなフィクションの形なら作れるのかなとかも思います。
眞鍋せいら
確かに今回の本でも、小説という形であったり短歌であったり、あるいは短歌の引用であったりと、いろいろな形でアロマンティック・アセクシュアル・クワロマンティックをめぐる思いなどを書かれているなというふうに感じています。
Dr.ギャップ
すみません、今日のラジオでタイミングがあったら言おうと思ってたんですけど、本の目次の次ぐらいに短歌を入れてるんですね。でも、あれが短歌ってことを本のなかに書いてないから、自分が短歌を作っていることを知らない方からしたら「なんだこれは?」になるだろうと思って。なのでここで説明させていただくと、目次の後に一行書きのものが2ページにわたってぽんぽんぽんと並んでいるのは短歌です。
眞鍋せいら
そういえば書いてないですね。私は普通に短歌だと思って読んじゃったのですが。
Dr.ギャップ
小説の冒頭に「なんとかに捧ぐ」とか、他の小説なんかから引用した文章をポンって置いてあるイメージで置いちゃったんですけど、引用じゃないから出典も書いてないし謎になっちゃったなと。
眞鍋せいら
ぜひお手に取られた方は短歌なんだなと思っていただければ。
Dr.ギャップ
短歌だと思って読むというよりは、ああこれって短歌なんだなと思ってもらえれば。
二人の出会いの話
眞鍋せいら
ラジオ冒頭で「ギャップさんとは短歌つながりで~」と言ったように、短歌つながりのお友達なんです。私が出したちっちゃい歌集にご感想くださってみたいな、最初マシュマロでお話ししてくださってたんですよね。覚えてますか?
Dr.ギャップ
覚えてます。マシュマロを送って、後からDMで「あのマシュマロは自分です」って名乗った流れと、それとは別に二次創作短歌の歌会でご一緒したのとあって、どちらが先だったかとかの時系列がちょっとあやふやですが……
眞鍋せいら
どっちだったかしら。で、なんかいろんなところで「あなただったのですね」というのがマシュマロとDMでもあり、二次創作短歌でもありみたいな感じで。懐かしい。
当時は『おそ松さん』の二次創作短歌をやっておりましたね、我々。すごい丁寧なご感想を毎回くださって、嬉しいと思って仲良くさせていただいているという感じです。その後ギャップさんは《ツイステッドワンダーランド》のほうに、結構長いですよね、ずっと。
Dr.ギャップ
ゲームがリリースして1周年経たないうちに始めたから、そろそろ4年ぐらいかな。
眞鍋せいら
でも4年なんですか。
Dr.ギャップ
ゲーム自体がこの間4周年だったので、それより長いことはないですね。
眞鍋せいら
そうなんですね。なんか息がすごい長いと勝手に思ってました。長いんですけどね、4年も。
Dr.ギャップ
そうですね。
眞鍋せいら
そうなんです。私はヒプマイ(ヒプノシスマイク)のほうにはまったり、《魔法使いの約束》にはまったりして、ジャンルはあんまり被らないんですけど。
でも、私とギャップさんが喋っているのを聞いたことがある別の友人には「違う言語で喋ってるのに話が合って、すごい楽しそうにコミュニケーションをしている」みたいに言われて、そう見えるんだと思ったりしています。そんなこんなで5年くらいですね。
単語の確認
眞鍋せいら
『いるよの話』の本についてたくさん聞きたいなと思うんですけど、アセクシュアル・アロマンティック・クワロマンティックについて説明があったほうが親切かもしれないので、さっきのお話にもあった『いるよの話』の最初にある単語帳の部分を読み上げてもいいでしょうか。
Dr.ギャップ
お願いします。
【性的指向(セクシュアリティ)】
・性愛の領域でどんな人に魅力を感じるか、あるいは感じないかということ。「ゲイセクシュアル」や「パンセクシュアル」など、「○○セクシュアル」の形で具体的な形が示される。「アセクシュアル」も性的指向の一つと言える。
・性愛と恋愛を切り分けずに一体化した形で「性的指向(セクシュアリティ)」や「○○セクシュアル」の言葉が使われることもありますが、この本では性愛の領域に限るものとして使っています。
【恋愛指向(ロマンティックオリエンテーション)】
・恋愛の領域でどんな人に魅力を感じるか、あるいは感じることはないかということ。「ヘテロロマンティック」や「ホモロマンティック」など、「○○ロマンティック」の形で具体的な形が示される。「アロマンティック」も恋愛指向の一つと言える。
・「性的指向(セクシュアリティ)」が性愛だけでなく恋愛も含むものとして使われることがあるのに対して、「恋愛指向(ロマンティックオリエンテーション)」は性愛と恋愛を切り離して(必ずしも一致するとは限らないものとして)扱う場合に使われると感じます。
【アセクシュアル(Ace)】
・性愛の領域でどんな相手にも惹かれないという性的指向の形。
・「性愛と恋愛双方の領域でどんな相手にも惹かれないこと」の意味で「アセクシュアル」を使う人もいます。ただし、自分が「アセクシュアル」という言葉を使う場合は「性愛の領域でどんな相手にも惹かれない性的指向の形」を指し、特定の恋愛指向は含みません。
【アロマンティック(Aro)】
・恋愛の領域でどんな相手にも魅力を感じないという恋愛指向の形。
【クワロマンティック(Quoiro)】
・「恋愛の領域で魅力を感じる」ということそのものがわからないという恋愛指向の形。あるいは、恋愛の領域で誰かに惹かれるということが自分にとっては意味を持たないと感じる在り方。
【Aスペクトラム】
・性的指向、恋愛指向いずれに対しても使う言葉で、「惹かれなさ」の傾向やその人のこと。アセクシュアルやアロマンティック、クワロマンティックに加え、「デミセクシュアル/デミロマンティック(基本的に性愛/恋愛で他者に惹かれないが、強い感情的なつながりを覚えた場合に惹かれることがある)」、「リスセクシュアル/リスロマンティック(性愛/恋愛で他者に惹かれることはあるが、相手に同じ感情を返してほしいとは思わない)」などの性的指向、恋愛指向がある。
いるよの話のひと『いるよの話:クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルの本が欲しくて作るの巻』pp.11-13.より引用
※ ラジオでは上記引用部分を適宜補足しながら、せいらさんが読みあげてくださいました。
眞鍋せいら
何か付け足しとか、説明が間違っているとかありますか。
Dr.ギャップ
大丈夫です。『いるよの話』の単語帳も、用語の定義というよりは「自分の文章を読むときはおおよそこんな風に思ってくださいね」のつもりで置いているので、そこだけ皆さんご承知いただければと思います。
眞鍋せいら
なるほど、よかったです。いろいろ捉え方とか人によって違ったりはすると思うのですが、私もこのトークでは基本的にこれに則って話していこうと思います。
言葉の選びかた使いかた
眞鍋せいら
用語の確認みたいなことをしましたけれど、クワロマンティックはそれこそ国立国会図書館に資料がないっていうくらいないですよね。本というか、定義自体がそもそも決まっていないというか。
Dr.ギャップ
雑誌の記事レベルではあるけれど、一冊の本としてまとまったものはない。
眞鍋せいら
いや本当に。私も『いるよの話』でも挙げられている「クワロマンティック宣言」(中村香住, 『現代思想』49巻10号)を読みましたけれども、すっとわかるというよりは結構難しいなというか。
私はクワロマンティックをすごく自分のなかで近いなと思って読んでいたりしたんですが、「いやでもこの言い方とはちょっと違うな」とかしっくりこなさみたいなのもいろんなことに感じたりします。
Dr.ギャップ
自分も同じく「クワロマンティック宣言」がクワロマンティックを知ったり詳しく考えたりするきっかけになったと思うんですけど、書かれていることを100%わかってるとは全然思えてなくて。だから「本当に自分はクワロマンティックなのか」というよりは、「ここで使われている言葉と自分が使いたい言葉が合ってるのかな」とは思いつつ、いったんお借りしてみてという感じでクワロマンティックを使っています。
眞鍋せいら
お借りして。そうですよね、なんかすごくわかるなというか、いったんこれで表してみるけど、他の言葉も探しつつ、とりあえず借りたけどちょっと違うかなとか、その差っていう揺らぎみたいな、しっくりこないっていう感覚ってありますよね。
Dr.ギャップ
あるんですよね。自分のなかでのしっくりくる/こないもあるし、話すときにこれで伝わるかとかも気になりますね。
たとえばせいらさんと話すときだったら「自分はクワロマンティックで」っていう言い方をしますけど、セクシュアリティとかジェンダーとかあんまり知らなさそうだなって感じる相手には、クワロマンティックとかアロマンティックとかの言葉は使わず「恋愛ってピンとこないんですよね」って言うみたいな。いまこの場のやりとりに関しては、そのほうがなるべく正しいところを手っ取り早く伝えられるだろうっていう判断で選択しています。
あるいは、「アロマンティックとクワロマンティックって同時に成り立つんですか」と言われると、これは自分がしっくりくるから選んでいる言葉遣いではあります。人への伝わりやすさとはまた別の軸で。
自分のなかでどう感じるかっていうのもあるし、相手の解像度というか、相手がこう考えてるかなっていうのに合わせて話すっていうのもあるでしょうし、すごく難しいですよね。
眞鍋せいら
ちょうど私もクワロマンティックだなと自分について思うことが結構あるのですが、カウンセラーにその話をするときすごく難しくて。
なんていうか、クワロマンティックっていうことが通じないだろうなと思って。それこそ本とかがあれば「こういうのがあって、これに近いんですよ」とか言えるかもしれないんですけど、自分のなかですら揺らぎがあるようなものかもしれないものを相手に伝えるってなると、また別次元の難しさがあるような気がしますね。
Dr.ギャップ
確かに自分も他の友達、って言ってもいろんな友達に話してるわけじゃないんですけど、自分が恋愛に興味がなさそうだなっていうのは友達にもともと思われてる気がするんですね。
興味があるかどうかと惹かれるかどうかは別ではあるんですけど、自分もずっと自分に対して「自分は恋愛に興味がないんだ」って思っていて。そこから「興味とかじゃなくてそもそも惹かれないんだ」っていうのって大きな転換点ではあったけれども、もともと近いことは思っていたから引っ越しがしやすかったみたいなのがあって。
だからもしかしたら、自分の場合は周りの人もそうなのかもしれないなって思います。この人は恋愛に興味がなさそうだなと思ってたけど興味とかじゃないんだみたいな。だから逆に自分のことをよく知らないとか、「惹かれないなんてことがあり得るのか!」みたいな人に説明しようと思ったら、めちゃくちゃ骨が折れるだろうなとも思います。
もともと相手のなかにある概念だったら「自分はそれなんです」って示せるんですけど、「こういうものがあって……」から始めるのってすごい大変だから、せいらさんがカウンセラーの先生にどう説明しようか難しくなってしまうっていうのは、そういうのもあるのかなって。
眞鍋せいら
そうなんですよね。なんかこう、うまく言えないんですけど、引っ越しっておっしゃったのがすごい面白くて。恋愛に興味がないって自分で思ったり、周りから思われていたりする場合の、ある意味での引っ越しやすさはあると思います。でもあまりに「普通は恋愛に興味あるでしょ」みたいな前提で話されてしまうと、「いや、ない人もいて」みたいな。説明がそこにプラスされるというか、「自分はこうなんです」の前に「そもそも惹かれなくて」があるみたいな。説明の過程が非常に長いというか、大変ですよね。
Aスペクトラムの場合、さっきクワロマンティックとアロマンティックが同時に成り立つのかどうかというお話もありましたが、そこも説明を求められたり、説明しなきゃいけないのかなって自分で思ったりとか、非常に道が長い。そのややこしさがすごく付きまとうなと、私はAスペクトラムだと自認している者として思いますね。
Dr.ギャップ
お話少し変わるんですけど、自分は惹かれなさを比喩で説明するとややこしくなりそうだからなるべく使いたくないなっていう気持ちがあって。たとえば「○○っていう感情って誰にでもあるものじゃないでしょう。恋愛や性愛に関する感情も同じで」みたいなことを言い出すと、恋愛や性愛で惹かれる感情と比喩に使った感情とが余計なところでも重ね合わされるというか、思わぬ別の意味が付いたりしそうで、あまり使いたくないっていうのは文章を書くときにも思っています。
でもそうすると、なおさら自分が言ったまっすぐの言葉をそのまま受け止めてくれっていう力押しみたいになっちゃって、でもそれも上手くいくとは限らないし。
眞鍋せいら
そうですよね。力押しで言ったところで、齟齬というか、うまく伝わるかわからない、伝わったのかわからないっていうところもありますかね。
Dr.ギャップ
でもなんか、そのあたりを考えてると結局「あなたが私を尊重しようと思ってくれているのであれば、いったん私が言ったことは飲み込んでほしい」っていうところに落ち着いてしまう。
眞鍋せいら
なるほどなるほど。
Dr.ギャップ
だからなんか、めちゃくちゃ相手に体重をかけるような考え方になるなって。
眞鍋せいら
はいはい。なるほど。でもそうですよね。なんか飲み込んでほしいというか、いったん聞いてほしいというか、そこは不問にしてほしいというか。
Dr.ギャップ
いったんそういうものとしてもらわないとっていう。
眞鍋せいら
うん。なるほどなるほど。確かにそうですよね。
本当に、セクシュアルマイノリティであることって問われることと常にセットで来てしまったというか。それがいいことだとは全然思わないのですが。「それは何」とか「どういうこと」とか。川野芽生さんの短歌にもありましたが、今お話聞いてしみじみというか、実感というか、そういう感想を持ちました。でも、なんでしょうね。とりあえず置いといてくださいっていうのもすごく、本来そうなんだろうなっていう感じなんでしょうね。
#2を読む
「当たり前」でなくしていく
マシュマロへの応答
違うまま連帯することとフェミニズムをめぐって
#3を読む
短歌の話
〆のご挨拶など