今年読んだ本2025

hinata625141
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公開:2025/12/30

読書記録をつらつらと眺めていると、自分の思考のログのようだなと思う。そのときどうしてこの本を手に取ったのか、自分が何に興味を持っていたのかがぼんやりと思い出せる。

だから今年登場したReadsというアプリを利用し始めたのはよかった。まぁ読書アプリは他にも色々あるんだろうけど、Readsはつくりがシンプルなことと広告がうっとうしくないのがいい。他のSNSの相互さんで利用している人も多いので、どんな本を読んでいるのか知ることができるのもうれしい。そして書影だけが並べられた毎月の読書記録が好き。まぁコツコツ記録をつけるのが苦手なんで溜めちゃって、大した感想も付けずに月末にまとめて記録することもあるんだけど、それでも読書記録として振り返ることができるだけでも続けてて良かったなって思う。

そんなReadsの記録をメインに今年の読書を振り返ってみる。

台湾と沖縄

今年前半は台湾と沖縄に思いを馳せることが多かったなぁと思う。

『台湾文学の中心にあるもの』(赤松美和子)を買ったのはシネマート新宿で『牯嶺街少年殺人事件』のリバイバル上映(池松壮亮くんのゲストトーク付き!)を見た帰りだった。著者の赤松さんは「台湾文学の中心にあるものは政治」であり、同性婚の実現や女性の政治参画など、文学は常に社会を揺るがしてきたという。この本を読み、50年にもわたる日本統治時代の日本語教育によって奪われたものとその影響について考えさせられた。台湾の歴史、ぜんぜん知らなかったなと思う。

そのほかフィクションでは、日本統治下の台湾で日本人女性作家と台湾人女性通訳の楽しくも切ない関係を描いた『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子 著/三浦裕子 訳)、一台の自転車から始まる家族の記憶と台湾の波乱の歴史を描いた『自転車泥棒』(呉 明益 著/天野 健太郎 訳)、こちらも日本統治下の台湾でともに学び植物学を志した台湾人青年と日本人青年が戦争に巻き込まれてゆく『南洋標本館』(葉山博子)、どれもとても読み応えがあった。

沖縄については今年の夏に公開された映画『木の上の軍隊』をきっかけに、原案である児童書『ぬちどぅちから』を読み、それから戦時中に沖縄につれてこられた朝鮮人慰安婦の少女と現代の日本人女性作家の二人の視線が交錯する『翡翠色の海へ歌う』(深沢潮)、新書では『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』(林博史)を読んだ。

インパクトが大きかったのは『宝島』(真藤順丈)だったなと思う。沖縄の本はちょくちょく読んでいる方だと思うのだけど、終戦から復帰までのアメリカ占領期を描いたものを読むのは初めてだった。レイプされても、轢き殺されても、小学校に飛行機突っ込まれても、相手を処罰することさえできないという絶望。コザ暴動に噴出した怒り。今年公開された映画版も熱量の高い迫力ある映像で物語を再現していて引き込まれた。

また『宝島』『翡翠色の海へ歌う』も、沖縄出身でない作家が沖縄の歴史を描くことへの葛藤にしっかりと向き合った誠意と覚悟のようなものを作品から感じられたことも印象に残ってる。

隠されてきたマイノリティの物語

歴史の中で軽視されてきた女性やマイノリティにスポットを当てた作品を読むのが好きで、今年もいろんなジャンルの作品をたくさん読んだ。

生涯女性二人で暮らした女性たちを描いた『ふたり暮らしの「女性」史』(伊藤春奈)は朝ドラ『虎に翼』を思い出すことが多かった。寅ちゃんのような業界内での孤独なファーストペンギンだったり、よねさんのように男装で通した女性、涼子様と玉ちゃんのように女性二人で暮らすことを選んだ人たち。勇気ある彼女たちの物語を読んでいると元気が出る。

今年は国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展でずっと見たいと思っていた「大東亜戦皇国婦女皆働之図」の「春夏の部」と「秋冬の部」を並んで見られたので、『女性画家たちの戦争』(吉良智子)を再読し、女性画家という存在がまず社会に認められてなかった時代に生き、戦争のため国に利用された女性画家たちに思いを馳せた。

また日本の女性科学者の草分け的存在である猿橋勝子さんの評伝、『翠雨の人』(伊与原新)もとてもすばらしかった。第五福竜丸事件を契機に核実験による環境汚染を実証した、被爆国である日本にとって重要な科学者でもある。今、実写化してほしい作品ナンバーワン!

同じ女性科学者物としては評伝でなく現役の天文学者のエッセイだけど『天文学者は星を観ない』(シム・チェギョン、訳/オ・ヨンア)もとても面白かった。この本の中で初めて韓国初の宇宙飛行士イ・ソヨンさんのこと、彼女が韓国社会から受けたバッシングのことなども知った。イ・ソヨンさんへのリスペクト溢れる文章が胸熱だった。

朝ドラ関連として『小泉セツとハーンの物語』(三成清香)、そして次期朝ドラ原案の『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる)を読んだ。小泉セツと大関和は全然違う人生を歩むけれど、明治に没落した武家の娘として若いころ苦労したという経験は共通している。さらにその関連書として読んだ『生きづらい明治社会』(松沢裕作)も明治時代の解像度が上がったのはもちろん、壊れつつある社会の中で自己責任ばかり求めれる現代との共通性を感じた。

そして名前を残した女性ではないのだけど、社会学者でもある著者が移民である母親の人生を家族の記憶とともに描いた『戦争の味がする』は今年一番印象に残った一冊かもしれない。大日本帝国に朝鮮人として生まれ、戦後は朝鮮戦争に翻弄され、米軍相手の売春で糊口をしのぎ、やがてアメリカの白人しかいないような田舎町で孤独に、そして果敢にコリアンとしてサバイブし、ゆっくりと心を壊してしまった人。一人の人間の中に複雑に存在するインターセクショナリティの丁寧な言語化と同時に、なににもカテゴライズさせない母への敬愛に満ちた一冊だった。「基地の女」問題としては『宝島』とも響き合う物語だった。

ハンセン病患者として隔離されたまま23歳の若さで亡くなった北條民雄の評伝『無意味なんかじゃない自分─ ハンセン病作家・北條民雄を読む』(荒井裕樹)もとても素晴らしかった。わたしは著者の荒井裕樹さんの作品がとても好きなので三茶の本屋twililightさんで行われた刊行イベントにも参加したのだけど、そのときの対談相手だった木村哲也さんの編まれた『どこかの遠い友に 船城稔美詩集』も気になってその場で購入した。セクシャルマイノリティでありハンセン病患者でもあった船城稔美さんの詩には、社会への怒りも疎外されるさびしさも恋の瑞々しさも切なさも全部ある。そして痛みを抱えて生きる人を一人にしない力があった。手放したくないと思える詩集に出会えるのは幸福だなと思う。

パーソナルな記憶や傷が物語とどう響き合うか丁寧に解きほぐす『養生する言葉』(岩川ありさ)、20年前から同性婚が法制化されているカナダをクイア当事者でもある水上さんが見つめた『クィアのカナダ旅行記』(水上文)も今年読めて良かった本。水上さんにはユーロスペースで行われた『セルロイド・クローゼット』のトークショー付き回で、面白かったですと直接ご本人に伝えられて良かった!

日本と韓国をつなぐ人たち

韓国小説の翻訳家である斎藤真理子さんの『「なむ」の来歴」』、韓国小説を出版するクオンの社長である金承福さんの『本を作るのも楽しいですが売るのはもっと楽しいです』、韓国のニュースや文化をわかりやすく伝えてくれる伊東順子さんんの『わたしもナグネだから 韓国と世界のあいだで生きる人々』。韓国の小説や文化に興味のある人にとってはおなじみの、この三人の御本がほぼ同時期に出るのも不思議だなぁと思いながら追いかけるように読んだ12月だった。

三冊ともに印象に残る文章ばかりでとてもうまくまとめきれないのでそれぞれの本から印象に残ったところを引用する。

(ちなみに今年使い始めたアプリbiblogはスキャン→テキスト化が手軽にできるので少し長めの文章でもメモとして残せるようになったのがよかった)

大きな木は 

そのままで歴史の本だ。

ページはすなわち葉であるが 

毎年書き直すので 

毎年あたらしい。 

風がいちにちそれを読んでいる 

ときどき、 アンダラインする。 

これは私が二十三歳のときにささっと書いた詩だ。いま読み返してみて、落葉樹のことしか目に入っていなかったね、と思う。それからまたふっと思う。与えられた本を読み終えて死ねる人がどれほどいるのだろうかと。 

読書量の話ではない。つまり、自分が一冊の本だとして、それを読み、理解し、納得して最後のページを閉じるということが、ありうるのかどうか。その本には目次もない、ノンブルもない。でも、すでに与えられ、開かれてしまった本だ。なぜ私にあんなことが起きたのか。あれらのできごとや体験にはどういう意味があり、つまるところこの本は何を示しているのか。本自身である人にはついに読みきれず、わからずじまいのまま終わることがほとんどなのではないか。半生記や自伝のような本を書いた人にとってすら、そうなのではないか。 

(「なむ」の来歴 | 斎藤真理子)

自分が一冊の本だったら、と考えるのは少し怖い。これまでのページにアンダラインしたくなることなんてあっただろうか、本当にこのままでいいんだろうかと、不安になる。だけど生きてるかぎり新しいページがあるなら、取り返しがつかないことはないだろうと思いたい。

一九七〇年に光州で生まれ八歳まで暮らしたハン・ガンは、「何があっても人間であり続けるということは何なのだろうか」と自問自答しながら小説を書いてきたと、ノーベル文学賞受賞記念講演で語った。 

これは私自身もずっと前から自分自身に投げかけてきた問いでもある。人間であり続けるとは何だろうか。ただ人間であり続けるのではなく、「何があっても」という切実な前提がついた質問。人間であり続けるということは、結局、その問いかけ一つを手放さないことなのかもしれない。

(本を作るのも楽しいですが,売るのはもっと楽しいです. | 金承福)

光州事件や済州島四三事件らあまりに厳しい自国の歴史に身を削るように向き合ってきたハン・ガンさんや金さんの言葉だからこそ、重みのある「何があっても」だと思った。問いを手放さないことって大事なことだな、というのは今年見たアニメ映画『羅小黒戦記2』でも思ったことだった。安易な答えを出して忘れてしまうよりずっといい。

一九八〇年代、世界中で強権政治に反対する運動が起きていた。その中で韓国や台湾のように民主化を実現させた国もあれば、ミャンマーや中国のように民主化の夢が踏みにじられた国もあった。弾圧から逃れた人たちの一部は日本に、また民主化後の韓国にもやってきた。

第二次世界大戦後、アジアで曲がりなりにも民主主義的な制度を許されたのは日本だけだった。たとえ米占領軍から与えられたものだとしても、それが不完全な民主主義だったとしても(そもそも民主主義に完成形はなく、いつだって途上にある)、私たちには言論と表現の自由があった。そこに韓国も加わった。 

今、アジアの民主主義にとって日韓の役割はとても重要だと思う。そうだ、私たちはアジアの民主主義のベースキャンプを作ろう。キムさんとそんな話をした。

(わたしもナグネだから | 伊東順子)

これを読んで、日本の民主主義は日本に住む人だけのものではないんだな、と目が覚めるような気がした。日本はアジアの他国に対しては侵略したという負の歴史があるけれど、戦後は自分の政府も他の国も軍事政権の批判することのできる言論の自由を手に入れたし、軍事政権下で弾圧され国外に脱出せざるをえなかった韓国や中国やミャンマーの人びとを受け止めてきた歴史がある。そういうことを積み重ねてきたことには自信を持っていいはずだし、そういう歴史がもっとフューチャーされたらいいんじゃないかなと思った。

エンタメ、純文学、そして来年のこと

推し活ビジネスと男性のケア問題を描いた『イン・ザ・メガチャージ』(朝井リョウ)、面白さを更新し続けるワシントン・ポーシリーズの最新刊『デスチェアの殺人』(M・W・クレイヴン 著/東野 さやか 訳)、現代版テルマ&ルイーズな『銃と助手席の歌』(詩情のある邦題が素敵!)(エマ・スタイルズ 著/圷香織 訳)、コロナ禍の高校生たちの青春を描いた『この夏の星を見る』(辻村深月)(映画も良かった)などエンタメ作品も面白い作品にたくさん出会えた。

また純文学では『女の子の背骨』(市川沙央)のなかの「オフィーリア23号」が強く印象に残ってる。『ハンチバック』もひさしぶりに読み返し、硬質でクールで噛み応えがある市川さんの物語が好きだなぁと改めて思った。

あと今年は夏にずっと気になってた京都の「シスターフッド書店 Kanin」に行けたのも良かった。とても素敵な書店だった。いろんな土地の個人書店に行ってみたいな。

そんなこんなで振り返ってみるといろいろ繋がってるなぁと思える今年の読書記録だった。読書はわたしの生活の中で大きな存在だから、読書ベースで一年を振り返って文章にまとめられたのも良かったなと思う。

今年はトークイベントは荒井裕樹さんの刊行イベントしか行ってないので、来年はもう少し積極的に行けるといいな。そしてまだ行ったことがなかった神保町のチェッコリ(クオン社の本屋さん)に行こうと思う。

来年も素敵な本と本屋にたくさん出会えますように〜

書影を並べたリスト

@hinata625141
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