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サリーの日記―適応できてしまった私の休職

Break the Frame@サリー
·
公開:2026/8/12

二度目の休職

私は今、二度目の休職をしています。

7月末、強い倦怠感や眠気、頭痛に加えて抑うつ状態が悪化し、外出することも、食事を用意することも難しくなりました。

仕事を続けられる状態ではなくなり、診断書をもらって休職に入りました。現在は訪問看護にも週3回来てもらいながら、自宅で療養しています。

つまり私は、今仕事から離れて休まなければならない状態にあります。

それなのに、文章を書いています。しかも、ただ気の向くままに日記を書いている、という感じではありません。

テーマを決め、資料を集め、一次資料まで遡って読み、政治家の発言なら前後の文脈を確認し、複数の資料を突き合わせます。

誰にも頼まれていません。締め切りもありません。給料も出ません。それなのに私は、随分と仕事のように文章を書いています。

最近になって、これは今回の休職について考える上で、重要なことなのではないかと思い始めました。

勿論、休職中に文章を書くことそのものがおかしいという話ではありません。趣味として何かを作ったり、好きなことを調べたりする人はいくらでもいるでしょう。

問題は、私がそれを「休みながら楽しんでいる」ようには、どうも思えないことでした。

もっと調べる。 もっと正確にする。 誰かを取りこぼしていないか確かめる。 出来るだけ良いものにする。そのうち、「出来るだけ」は「出来る限り」に変わっていきます。そして、出来る限りやってしまいます。

会社の仕事を止めても、私を働かせている何らかのエンジンは全く止まっていませんでした。

そのことに気づいたとき、私は自分の十年ほどの職業生活について、少し考え直さなければいけないのではないかと思いました。


額面15万円から始まった

私の職業生活は2010年代半ば、額面15万円ほどの給与から始まりました。手取りにすれば13万円には満たないほどでした。とても東京で一人で暮らしていける金額ではありませんでした。

働き始めたのは、大企業グループの特例子会社でした。当時は精神障害のある社員の雇用について、会社側にも十分なノウハウが蓄積されているとは言い難い時期でした。

私はその職場では、精神障害のある社員としてかなり早い時期に入った人間でした。

何をどこまで任せることが出来るのか。 どんな配慮が必要なのか。 何ができて、何が難しいのか。会社側も、私自身も、手探りでした。

職場では大まかに、障害のある社員を支援する人と、実際のオペレーションに従事する障害当事者とで役割が分かれていました。

ところが私は、そのどちらにもきれいには収まりませんでした。

私は大学では教育学部で特別支援教育について学んでいました。WindowsのOfficeを使ったIT系の仕事も比較的得意でした。

そのため、障害当事者として通常のオペレーションを担いながら、支援者と一緒に業務改善をしたり、他の障害のあるスタッフが働きやすくなる仕組みを考えたりするようになりました。

たとえば、Excelなどで作られた業務ツールを改修して、知的障害のあるスタッフが操作を間違えにくい仕組みにする。

私はそういう仕事が好きでした。

自分が身につけた技術を使うことで、誰かが仕事をしやすくなる。それは単に「会社の役に立っている」という漠然とした感覚ではありませんでした。

自分の労働を、障害のある人の就労や社会参加へ直接つなげられる。そのことに、私は強いやりがいを感じていたのだと思います。


私はうまくやれていると思っていた

仕事は評価されました。褒められましたし、任される仕事も増えました。そして会社も、私のような立場の人間にかなり応えてくれました。

最初は存在しなかった、障害当事者でありながら支援や業務改善にも関わる社員のための職位ができました。その後、私は多くの健常者の支援職と同じ階層の職位までキャリアアップしました。

これは私にとって、とても大きなことでした。風穴を開けるまで、片手の指では足りない年数を数え、長き日々を耐え忍びました。

最初の頃、私は必死でした。手取り13万円で、この先どうやって生きていくのか。障害者雇用のなかで、どこまでキャリアを作れるのか。

私は一人で暮らしていけるだけの収入を得たかったですし、障害者だからという理由で低いところに留め置かれることも嫌でした。

自分のような人間でも、きちんと仕事をして、評価され、職位を上げていけるのだという風穴を開けたかったのです。

会社は、それによく応えてくれたと思います。職位もできました。人事制度も変わりました。 仕事も評価されました。とても誠実な会社だったと思います。こんな職場に巡り合えた自分の幸運を祝福した日もありました。

だから私は、うまくやれていると思っていました。

これは会社を告発する文章ではありません。

むしろ私は会社に恩義を感じていますし、愛社精神もかなり強いです。

私がやりたいと思える仕事を、職場は沢山用意してくれました。近年はアクセシビリティに関する仕事にも関わるようになりました。会社がアクセシビリティを考えようとしていること自体が、私は誇らしかったです。

私が携わっていたアクセシビリティのお仕事はWEBに関するもので、グループ会社のWEBサイトを障害のある人にも使いやすくする、というお仕事でした。

障害のあるスタッフが働きやすくなる仕組みを考えることにも意味を感じていましたし、アクセシビリティを通じて社会の公正さに資する仕事が出来ることにも、やりがいを感じていました。

つまり、仕事の過程でもそこで働く障害当事者の働きやすさ、大げさに言えば社会参加の足場を作ることに貢献出来、かつ、業務のアウトプットでは社会の障害者のアクセシビリティに資することが出来る、この二重のやりがいに、私は掛け値なしの喜びを感じていました。

それは至福と言っても過言ではなく、私はこの仕事を天職だと思っていました。

だから、この話はややこしいのです。嫌な仕事を無理やり押しつけられて壊れた、という話ではありません。

意味のある仕事でした。 愛してきた仕事でした。 評価されました。 職場も応えてくれました。そして私は、それに応えようとしました。

あまりにもうまく噛み合ってしまったのだと思います。


「出来る」が「やるべき」に変わっていった

私には、昔からかなり強い責任感があります。ただ、それを単に「真面目な性格」と呼ぶだけでは、最近は足りない気がしています。

私の中では、

  • 出来る。 だから、やる。

  • 気づいた。 だから、改善する。

  • 任された。 だから、期待以上に返す。

  • もう少し出来る。 だから、ここで止める理由はない。

という変換が、殆ど自動的に起きます。「出来ること」と「私がやらなければならないこと」の境界が、とても薄いのです。しかも非常に厄介なことに、このやり方は職場ではしばしばよい成果を出します。

頼まれた仕事について、少し先まで考えます。 不便なところを見つければ改善します。 あとから使う人のことを考えて仕組みにします。 必要なら資料も作ります。そうすると仕事の質は上がります。当然、評価もされます。

そして評価されると、「このやり方でよかった」と学習します。

これは非常に燃費の悪いエンジンなのですが、短期的にはものすごく高い出力が出ます。だから止まりにくいのです。

私は十年近く、そのやり方で走ってきました。


一度目の休職

最初の休職の前、私はキャリアアップしたばかりでした。仕事そのものに加えて、ジョブコーチの育成研修や、社内の育成研修などもいくつか重なっていました。

一つ一つを取り出せば、どれも意味のあるものでした。会社から期待されている証拠でもありました。私自身も燃えていました。でも、全部を足すとオーバーワークになっていました。

私は一度、休職しました。そのときすでに、支援者から「頑張りすぎる」「自分に求めるものが大きすぎる」という趣旨のことは指摘されていました。

私自身にも自覚はありました。

休職中にはセルフコンパッションについても学びました。これは苦しんでいる自分にも、他者に向けるような思いやりを向ける考え方・実践のことで、健常者と比較し遮二無二になっていた自分を、そのまま愛す手掛かりを私はもらいました。

セルフコンパッションについては日を改めていつか詳しく書きたいですが、下記の書籍がおすすめです。

復職後、会社も仕事の範囲を調整してくれました。それまで担っていた、生活面まで含めた難しい職場定着支援についてはオブザーブする側になり、私は業務場面での支援を中心にすることになりました。

つまり、何も対策しなかったわけではありません。本人も分かっていました。 支援者も分かっていました。 職場も配慮してくれました。

それでも私は、また休職しています。


仕事を減らしても、私は自分の中で仕事を増やせた

復職した私は、以前のようにフルに活躍できないことを、少し悔しいと思っていました。同じだけの職責を担っておきながら同僚より負担が少ない引け目もありました。だから、こんなふうに考えました。

与えられた役割の中では、ベストを尽くそう。

今振り返ると、そこにも同じものがいたのだと思います。私のエンジンが駆動したのです。

仕事の量を減らしてもらっても、一つの仕事にどこまで責任を負うかは、自分でいくらでも増やすことができます。

頼まれたことをやる。 そこで終わってもいいはずです。

でも私は、もっとよい方法はないか。 他の人にも使える形にできないか。 根拠まで調べたほうがいいのではないか。 ナレッジとして残せないか。と考えます。

仕事の数だけが責任を増やすわけではありませんでした。一つの仕事の中に、自分で責任をいくらでも増殖させることができたのです。

これはやはり非常に厄介でした。しかも、そうして作ったものはしばしば質が高いです。また評価されます。また、「このやり方でいい」と学習します。

外側から仕事を減らしてもらっても、自分の中の出力は下がりませんでした。

そして、二度目の休職になりました。


仕事を休んでも、私は止まらなかった

二度目の休職をしてから、私は文章を書くようになりました。政治や社会問題について調べ、資料を読み、自分なりに考えたことを書いています。

これは仕事ではありません。誰かから頼まれているわけでもありません。締め切りだって、本当はありません。

それなのに私は、もっと調べなければ。 この当事者をこぼしてはいないか。 この言葉の背景まで確認しなければ。 一次資料を読まなければ。と考えます。

そして先日、自分が書いた記事のあとから別の当事者の声を知り、「ああ、この人を拾えていなかった」と酷く落ち込みました。

そこでようやく、少し分かってきました。

これは職場だけの問題ではないのかもしれません。私を働かせ続けているのは、仕事の量だけではありません。

「出来ることは、やるべきことだ」 「気づいたことには、応答する責任がある」 「役に立てるなら、役に立たなければならない」

というエンジンが、私の中にあります。

仕事を取り上げても、その規則は別の対象を見つけます。会社の仕事がなくなれば、文章を書く。そこでもまた、最大出力で走ろうとします。

休職しているのに。

私は仕事を休んでいましたが、エンジンは休職していなかったのだと思います。


適応できない障害者と、適応できてしまう障害者

障害者について語られるとき、「社会に適応できないこと」はよく問題になります。

長時間働けない。 コミュニケーションの規範に合わせられない。 求められる生産性を出せない。 職場の環境に適応できない。

その結果、働く場所を失ったり、十分な所得を得られなかったりします。

これは重大な問題だと思います。私はそれを軽く扱いたくありません。

まして、「自分は適応できたから苦しかった」と言って、適応できない人より自分のほうが大変だったと言いたいわけでもありません。

ただ、私は自分の経験から、別の危険もあるのではないかと思うようになりました。適応できてしまうことにも、危険があります。

私は社会が評価する働き方に、かなりうまく適応しました。仕事を覚えました。 改善しました。 責任を引き受けました。 期待に応えました。それによって収入も職位も得ました。

それは私が望んだことでもありました。

でも同時に、私は、「役に立てば、ここにいていい」 「もっと役に立てれば、もっと認められる」 「役に立てるのに役に立たないのは、怠慢なのではないか」という感覚も強めていったのかもしれません。

最初は、生きていくためでした。手取り13万円未満では、一人では暮らせません。だから、もっと働ける人間になろうと思いました。でも、健常者の支援者と同等の職位まで上がっても、その証明は終わりませんでした。

どこまで行けば、「もう十分です」と言えるのか、私は知りませんでした。

役に立てない人を社会の外へ押し出す規範と、役に立てる人から際限なく役割を引き出す規範は、もしかすると別のものではないのかもしれません。

同じ「役に立つこと」を中心に据えた価値観が、違う人に違う作用をしているだけなのではないかと思います。

私は、その後者の場所で壊れた一人なのだと思います。

ついでのように吐露すると、私のようなケースはあまり身近になく、孤独を感じています。


原動力を捨てるのか

では私は、責任感を捨てなければいけないのでしょうか。

仕事への愛着を捨てるのでしょうか。 人の役に立ちたいと思うことをやめるのでしょうか。 社会の公正さについて考えることもやめるのでしょうか。 文章を書くとき、誰かを雑に扱いたくないという気持ちまで手放すのでしょうか。

私は、それも違うと思っています。

私は仕事を心から愛してきました。

障害のあるスタッフが働きやすくなる仕組みを考えることが好きでした。私が支援に関わる以上、決して障害のある他の皆につらい思いをさせたくない、ハッピーに働ける職場づくりを心掛けてきました。アクセシビリティの仕事も好きでした。社会が少し公正になる方向へ、自分の労働を接続出来ることは、今でも大切にしたいと思っています。

文章を書くことも好きです。

言葉の使われ方を調べることも、政治家の言葉と市民が受け取る言葉の「間」を見ることも、これからもやってみたいと思っています。

だから原動力そのものを捨てたいわけではありません。

ただ、

  • 「出来る」 と 「私がやらなければならない」のあいだ。

  • 「気づいた」 と 「私が引き受ける」のあいだ。

  • 「誠実である」 と 「自分を使い切る」のあいだ。

そこには、本当は距離があるはずです。私はその距離を、あまり持たずに生きてきました。

これから覚えられるのかは、まだ分かりません。

一度休職して、問題も分かっていて、それでも二度目の休職をしています。だから簡単ではないと思います。

十年近くかけて、生きていくために身につけたやり方です。しかも、そのやり方は実際に私をここまで運んできました。

収入を増やしました。 仕事を覚えました。 信頼を得ました。 職位を得ました。 やりがいのある仕事にも出会いました。

失敗した戦略ではありません。成功しすぎた戦略なのだと思います。だから手放すのが難しいのです。

ただ、今回の休職で少なくとも一つ、考え始めたことがあります。

役に立てるときだけではなく、役に立てないときにも、私はここにいていいのでしょうか。何かを改善していなくても。 誰かを支えていなくても。 よい文章を書いていなくても。 仕事で成果を出していなくても。

そこまで含めて、自分の権利として理解することが出来るのでしょうか。

たぶん私は、その練習をこれからしなければなりません。

……と、ここまで書いて、また「しなければならない」と書いていることに気づきました。

練習してみたい。

そのくらいから始めたいと思います。


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@sallypenguin
サリーといいます。普段はBlueskyに生息しています。 bsky.app/profile/sillysallypenguin.bsky.social