社会人3年目の春、適応障害になり、休職することになった。
これまでの人生、周りから見れば順風満帆な人生を送っていると自分でも思う。そこそこ有名な大学を卒業し、第一志望の企業に就職し、仕事で何度か表彰され、昇進スピードにも満足している。そして、若くして結婚もしている。毎年振り返りを書いており、ごくたまに読み返すことがあるが、いつも勇気づけられる。これまで多少壁にぶち当たることもあったが、必ず乗り越え、成長してきた。
とはいえ、学生時代に一度、メンタルがやられ、しばらくPCが触れなくなった時があった。その時は、無茶なスケジュールで徹夜も短期間で何度も繰り返し、結果、身体が壊れてしまった。あの時は、本当に死ぬかと思ったが、それでもしっかり睡眠をとって休息をとることで復活できた。その経験から、無茶をしすぎると身体が壊れることを学び、仕事と休息のバランスを保つ重要性を学んだ。なので、もう壊れることはないと思っていた。
しかし、また壊れてしまった。ただ、あの時とは壊れ方が違う。特に激務でも無茶をしていたわけではない。むしろ逆で、残業はほぼしていないし、休日はしっかり休んでいた。それでもなお、心身が長期間に渡り蝕まれ、ある日突然、仕事に行けなくなってしまった。
休職してからしばらく「なぜ頑張れなかったんだろう」と強い自責思考に駆られていた。周りの人はこんなにも頑張って成果を出しているのに、自分はこの程度の困難で、立ち上がれなくなってしまったんだろうと。
そんな中、「心の休ませ方」という本と出会い、自分がなぜ再び壊れてしまったのかを理解することができ、立ち直るきっかけになった。

この本の内容と感想については、こちらに綴っている。
本当は年度末に振り返りを書く予定で、実はドラフトも書いていたが、メンタルがやられてしまい、出すことができなかった。今は精神的にもかなり安定してきているので、改めてこの一年間を振り返りたい。
振り返り
社会人2年目もなかなかに波乱万丈だった。
ゲーム事業部にレンタル移籍
レンタル移籍の期限を2ヶ月延長
妻が入院。そして同棲へ
メディア事業部に戻り、新規事業チームに合流
年明けに別チームに異動
休職
ゲーム事業部にレンタル移籍
新卒配属でメディア事業部に配属されてから、ずっと同じ部署で頑張っていたが、突然、ゲーム事業部でWebエンジニアを集めているので、ヘルプで行ってほしい旨を伝えられた。当時は、別の部署に異動したいとか微塵も思っていなかったが、せっかくのチャンスなので、二つ返事で異動することが決まった。ただあくまでヘルプなので、戻ってくることが確約されていた。同様にほかの部署からも何人かレンタル移籍してきた人がいた。しかも、ほかの部署で名が知れているようなすごい人たちが集まっていて、まさにドリームチームだった。事業部を超えて、今までとは全く異なる環境だったし、レンタル移籍メンバーはすごい人たちばかりで、その人たちと肩を並べて成果を出すことに重圧を感じていた。しかし、優秀な人材を集めるほどの全社的に期待のかかったプロジェクトに参加できることと、優秀な方々と一緒に仕事できることへのワクワクさが、重圧や不安を遥かに上回っていた。Webでゲームを作るというチャレンジングな内容で、UIUXやパフォーマンスといったWebプロダクトとしての品質を磨き続けることが求められ、まさに「Webフロントエンドエンジニア」としての技量が試されるプロダクトだった。無事、当初の想定通りリリースすることができ、最高のプロダクトができたことに感動を覚えた。
レンタル移籍の期限を2ヶ月延長
本当はレンタル移籍は5月末までの予定だったが、延長の打診があり、選択権は自分に握られていたが、まだまだこのプロダクトに関わっていたい思いが強く、残ることを決めた。ほかのヘルプメンバーの大半は延長することなく元の部署に戻っていった。このタイミングで人が大きく減ることになったので、少人数でも低コストで開発できるような整備を進めていった。リリースフローも煩雑でニューマンエラーが起きやすい構造になっていたため、そこも改善した。そして、作っていたサービスの第二弾の開発の話が舞い降りてきて、そこの初期PoCの開発を担当することになった。短期間でWebアプリを構築し、手触り感をひたすら確認してもらいつつ、アップデートを繰り返しながらPoCをブラッシュアップしていった。このサービスの完成を見届けることなくレンタル期限を迎え、もっと残りたかったが、元部署からこれ以上の延長はNGだと言われ、やむ無く元の部署に戻ることになった。ただ、無事リリースができたと報告を受け、自分が作った機能も残りつつ、さらに色々進化していて、本当に素晴らしいプロダクトになっていて感動した。
妻が入院。そして同棲へ
時系列が前後するが、ゲーム事業部でリリースに向けてバタバタしている中、妻が椎間板ヘルニアで緊急入院することになった。入籍後も妻の仕事の関係で、自分は東京・妻は実家という別居状態だった。しかし、春先にかけて、妻が足の痛さを訴えるようになっていた。次第にひどくなっていたため、緊急で妻の実家に向かった。妻の両親がサポートしてくれているため、様子を見たらすぐに東京に帰ろうと思っていた。が、容態が悪化し、深夜に救急車に運ばれ、そのまま入院することになった。そして妻の精神面をサポートするため、そのまま妻の実家に残ることにした。リモートワークをしながら、昼に中抜けしてお見舞いに行く生活をしばらく続けていた。椎間板ヘルニアであったが、症状がかなりひどく、リスクある手術をするかどうかの選択を迫られた。手術に失敗すれば、最悪一生歩けなくなるリスクがあったが、妻・家族・医者と十分に話し合い、九州の大病院で手術を受けることにした。結果、手術は成功し、半年かけてリハビリを行ったのち、今では問題なく歩いたり走ったりすることができるようになった。
妻はしばらく休職していたが、日常生活を不自由なく送れるようになったため、復職しようとしていた。しかし、妻が勤めていた会社で不手際があり、休職最長期間を過ぎてしまい、復職できなくなってしまった。妻はひどく悲しんでいたが、自分は内心、一緒に住めるようになることに嬉しさを感じていた。そして、ついに年明けに妻と一緒に住み始めるようになった。引っ越しはしておらず、引き続き一人で住んでいた狭い1LDKの家のままで二人で暮らしている。
メディア事業部に戻り、新規事業チームに合流
8月頭、元の部署に戻り、新規事業のチームに合流した。そこでは、スマホアプリの開発が先行しており、自分はそこで、Web版の開発を0からリードしてほしいという期待がかけられていた。とはいえ、当時チームはアプリ版のリリースに向けて全力投球しているタイミングだったため、自分はアプリ版の開発を止めないように立ち回りつつ、アプリ版が落ち着いた段階で最速でWeb版を立ち上げられるように先回りで準備を進めていた。しかし、アプリ版のリリースが一向に落ち着かず、ついには大幅な遅延となり、その影響でWeb版の開発そのものが頓挫してしまった。
本当はモチベーション的に、ユーザーが実際に触るアプリケーションの開発をやりたかった。しかし運用する上で必要不可欠な管理画面の開発リソースを全く割けていないことが課題視されており、管理画面の開発にレバーチェンジした。しかもバックエンドエンジニアのリソース不足により、ほぼほぼ一人で着手することになり、フロントエンドだけでなく、バックエンドまで一気通貫でやり切った。さらにリリースにおいてLPも当然必要になるので、そちらの対応も行った。ただ、管理画面の方に開発リソースを割いていたのと、要求としてはシンプルなペラいちの静的サイトであったため、ノーコードツールの使用を提案し、エンジニア不在で配信できる環境を整えた。実際には、アプリ側で広告用のアセットを配信する都合もあり、ノーコードサイトとアセット配信の振り分けする目的でNGINXでリバースプロキシを構築したり、仕事でまともに初めてTerraformを書いたりした。Webフロントエンドの領域を飛び出して、バックエンドやインフラ領域にも挑戦したタイミングではあった。しかし、正直一人で細々とやっているだけの感覚があり、モチベーションはかなり低下していた。本来やりたかった「ユーザーに直接届くプロダクトの開発」とは離れた仕事が中心になっており、レンタル移籍時のような熱量や達成感は得にくい期間だった。
年明けに別チームに異動
今のチームのままでは、Webエンジニアとしての自分の価値を発揮できないと感じ、年末に上長に相談し、チームとミッションを変えてもらうことになった。そして年明けに同じ部署内の別のチームに異動することになった。このタイミングで隣のチームも解散することになり、その人たちも一緒に移ってきた。今まで新規事業を中心に渡り歩いてきたが、ここで初めて歴史の長いサービスを担当することになる。ここのチームはwebサービスが中心であるため、ようやくユーザーに向き合えると思い、ワクワクしていた。しかし、蓋を開けてみれば、結局、管理画面の担当になっていた。というのもユーザー面の方は一年かけてやってきた施策の集大成というタイミングということもあり、入り込む余地はなかった。一方で、管理画面の方はこれまで完全に放置されていたが、このままでは運用に耐えられないという課題感もあり、一月にジョインしたメンバーを中心に管理画面の刷新プロジェクトを担当することになった。自分としてはユーザー面の方をやりたい気持ちでいっぱいだったが、事業的には管理画面の改修の方がインパクトを出せるので、気持ちをグッと抑えて、事業のために頑張ろうという気持ちでいた。管理画面刷新プロジェクトでは、インフラ刷新とライブラリのアップデートを行った。インフラ刷新では、もともとJavaで構築したコンテナ(ECS)からReactアプリケーションのビルド生成物を配信する構成をとっていた。そこでReactアプリケーションをフロントエンドのリポジトリに移管し、ビルド生成物をS3から配信する構成に刷新した。さらに開発環境を保護するために、PrivateLinkを用いて、前段のOIDC認証を被せたALBを必ず通過させるようにすることで、セキュアな構成にした。さらに、ライブラリのバージョンが9年前で時が止まっており、このままでは新規機能の開発が困難であるため、依存パッケージの整理とバージョン上げを行った。ライブラリの脆弱件数が多数報告されていたが、最新のバージョンに上げ切り、0件にした。そんな中、さらに人員整理があり、チームの人数が減ってしまった。しかも、管理画面刷新プロジェクトで連携し、隣の席でよく話していた方が異動になってしまった。僕は毎日出社していたが、残されたメンバーは基本リモート勤務であったため、このタイミングで再び孤独感を感じるようになってしまった。
そして体制が変わり、1月からの新規メンバーを中心に進めていた管理画面プロジェクトを僕と元から在籍されていた方と二人で進めることになった。しかも上長からは、管理画面プロジェクトのリードをしてほしいという期待を寄せられていた。しかし、自分はまだまだ新参者で、ユーザー面の開発も全くやっていないし、管理面の刷新しかやっていないので、システムはおろか、事業の全体像すら、正直掴み切れていなかった。一方で、一緒にやる方は、ユーザー面の開発をこれまで行っており、少なくとも自分よりは事業に関して理解はあったと思う。そんな自分にリードとして何ができるのだろう。ずっと悩んでいた。しかも管理画面が現状有効活用できていない課題感に対してどうしていくか、要求が曖昧な状態で決めていく動きを求められていた。しかし、事業に対して理解が浅い自分に進めていく力はなかった。そこで、エンジニアの責務は、システムに責任を持ち、堅牢なシステムを構築することであると悟った。そして良いシステムを構築する上で、現状のシステムの全体像を理解することがマスト要件である。しかし、事業が扱っているプロダクトの性質上、Webだけの見える世界だと全体像を理解するのは困難だと感じた。そこで、システムの理解を深めるために、管理画面の外を超え、バックエンドの開発に入り込み、実際にいくつか施策を進めていくことが最短ルートだと思い、上長に提案した。しかし、上長はバックエンドの開発をやることに難色を示した。管理画面刷新プロジェクトのWebのリードとしての経験を積むことに重きを置いてほしいということだった。言いたいことは理解したつもりだが、じゃあ何をすればいいんだ。具体的なアクションが見えず、ますます泥沼にハマっていった。しかも、管理画面プロジェクトで一緒にやっていた方は、別のプロダクトも兼務で担当することになった。管理画面プロジェクトは一向に前に進まず、他の方は別のプロダクトの開発を着手しているという状況下で、一人ポツンと残された感覚だった。この心の不調は体調にも影響するようになった。頭痛と腹痛に悩まされ、イブクイックと正露丸をほぼ毎日飲んでいた。そして、ミーティング中、急に耳がこもって聞こえなくなることもあった。
AI活用推進の横軸活動も同時にやっていたのだが、メインの業務がうまくいかず、それに引っ張られる形で横軸活動の方も進め方がなあなあになっていった。どちらの活動においても目に見えた成果を出せず、どちらも考えることに忙殺されてしまったため、全てが中途半端でうまくいかない状態だった。完全に集中力が欠落してしまっていた。
人生のどん底にいるような感覚で日々過ごしていたが、このタイミングで気づいたら新卒のトレーナーを任されることになっていた。ただ自分の仕事も満足に作り出せていないのに、新卒の成長機会を作り出すことができるのだろうか。正直全くイメージが湧かなかった。
こんなにうまくいかないのは、考え過ぎて疲れているからだ。脳のメモリを解放すれば、この悪い状況を全て解決してくれているだろう。そう信じて、ゴールデンウィークは長めに休みを取り、仕事の情報を全てシャットアウトし、心身の回復を図った。GW前半は仕事を完全に忘れ、休みを楽しむことができたと思う。ただ、GW終わりを迎えるにつれ、仕事のプレッシャーを感じるように、気が気でなかった。
GW明け、もちろん問題が解消されることはなかった。金曜には新卒が来てしまう。なんとかしなければ。焦りで逆に精神を疲弊させていた。精神がかなり不安定であることは自覚していたので、それを誤魔化すように、毎朝・毎晩、ランニングするようにした。多少リフレッシュにはなるが、問題が解消されるわけではない。
金曜に新卒が来た。オンボーディングを行った。少し話しただけでもわかる、その子はすごく優秀だった。そんな子を自分が潰しているのはダメだ。さらにプレッシャーが。土日、何もする気が起きなかった。
月曜日、朝早くに目が覚めたため、ランニングをしに行った。帰宅後、急に涙が止まらなくなった。妻に心配され、今日は休んだ方が良いと提案されたが、休んだところで何も解決にはならないと思い、頑張って出社した。しかし、何もやる気が起きず、同期に相談したところ、マネージャーに相談して、周りを気にせず、ちゃんと休んだ方が良いとアドバイスを受けた。全くその通りだと。早速、マネージャーのスケジュールを抑え、話すことにした。忙しい中、2時間も話してくださって、結論、休職することになった。
休職
心療内科に行き、「適応障害」と診断された。
生きることに疲れ、何もする気が起きなかった。一日中、ベットの上でただ天井を眺めたり、寝たりを繰り返していた。そして、大事にしてしまったことに対する後悔と、ここで頑張れなかった自分に価値はなく、社会人として二度と復帰できないのではという不安に襲われ、毎日涙を流していた。
また、Webフロントエンドとしてのキャリアにも悲観し、こんな思いも綴っていた。今まで自分が育ててきた武器が使い物にならないのではと思うようになり、絶望していた。
そんなある日、妻が図書館に行こうと言ってくれて、上京して初めて図書館に行った。幼少期、親がよく図書館に連れていってくれたが、昔は本が嫌いだったので、図書館といえば嫌なイメージしかなかった。ただ、久しぶりに行くと、意外と面白そうな本がたくさんあることに気付かされ、何冊か本を借りることにした。休職してから1ヶ月ほど経つが、ほぼ毎日図書館に通っている。これまで読まなかったような本を色々読んだ。心理学、投資、地政学、脳の仕組みなど多岐に渡る本を読んだ。また「読書術」という本を読み、ただ読むだけでなくアウトプットをさまざまな切り口で行うことの重要性を説いていたので、しずかなインターネット上で感想文を書くことにした。
図書館に通い詰めていたときに、「心の休ませ方」という本と出会った。この本がまさにホームラン級の出会いだった。この本がきっかけで、心のモヤモヤが払拭され、それ以来涙を流すことがなくなった。これまで自分は自分を押し殺し、他者に迎合して生きていたのだと気付かされた。そして、自分の願望が満たされず、他者に合わせることに対し、心の葛藤を感じ、生きるエネルギーを消費していた。他の人よりも頑張れていないのに、なんでこの壁を乗り越えられないんだろうと自責していた。しかし、この問いに対し「心の葛藤によりエネルギーを消耗していただけだ。あなたの怠惰ではない。」という言葉につい涙を流してしまった。
「あなたは人に迎合して生きてきた。その結果自分には不誠実に生きてきた。これからは自分に誠実に生きることである。そうすれば自然と人には誠実になる」
この言葉に励まされ、完全に立ち直ることができた。
せっかく与えられた何にも囚われない時間なので、これからの人生、自分に誠実に生きていくために、自分が将来どんなことをやって生きたいかを改めて言語化していきたいと思う。自分はあまり趣味とか無い人間だったので、この機会に自分は何に対して喜びを感じるのか自己分析をし、これからの人生のライフプランニングをしていきたい。
これからの人生、何をやっていきたいか
自分が一番趣味だと思っていることは、「散歩」である。いろんな街の何気ない景色を見るのが好きだった。しかも自らの足で向かうことで、道中の景色を感じられる。もちろん旅行も好きである。ただ、どうしても資産を築かなければという使命感で、節約思考になってしまう。最近、海外旅行系のYouTube動画を観るのにハマっている。日本だけでなく、海外のいろんな街の景色を見にいきたい。そして海外の人とコミュニケーションを取れるようになりたい。(実は一年前からDuolingoを続けている)海外旅行はお金がかかることだが、「毎年、海外に行く」を目標に頑張ってお金を稼ぐというのをモチベーションにしても良いかもな。
あと、この前テレビで「奥多摩に移住し、毎週末、近くの川で火を起こし、コーヒーを沸かして、夫婦でゆっくり過ごす」という生活が特集されていて、すごく憧れを感じた。いずれ子供が生まれると思うが、「休日、子供が遊んでいるのを横目に、直火で沸かしたコーヒーを飲みながら本を読んで過ごす」という生活を送りたいな。
仕事におけるモチベーションはやはり「素晴らしいプロダクトを作って悦に浸りたい」一点な気がする。チームで切磋琢磨して、市場を切り開いて、良いサービスを作り、世の中のたくさんの人に使ってもらう。プロダクト開発チームに所属するだけでは満足しない。明確にプロダクト作りにコミットしているという実感がほしい。昇進や昇給は二の次だ。
反省
心身がやられ、休職するに至ったことに対する反省をしていきたいと思う。
一番は、「自己肯定感」が失われたことに尽きると思う。2年目の夏までは、ユーザーが触れるプロダクトの開発を着手しており、自分の実装したものが世の中に届けることができることで自身の存在意義を感じていた。ただ、2年目の秋頃から、内向けの管理画面の開発がメインになってしまっており、自分のやっている仕事に正直、価値を感じられなくなっていた。同じチームのメンバーが熱心にユーザー向けのプロダクトの開発を行っている横目で、細々と一人で開発している自分に対して、虚しささえ感じていた。それでも当初は、ネガティブな感情を払拭して、前向きに価値を見出し、頑張ろうとしていた。でも、チームメンバーに心配されたり、同じく管理画面の開発をやっていた上長がWebエンジニアがバリューを出しづらい状況に嘆いていたのを聞いて、現実に引き戻され、どんどんネガティブな感情に飲まれてしまった。それからは毎日のように、同期や妻に仕事に対する愚痴を言い続けていた。完全に負のループに陥っていた。愚痴を言う一方で、この状況を打破したい気持ちももちろんあった。いろんなことを試行錯誤したが、どれも空回りし、上長に相談しても、状況を打破するイメージが全く湧かなかった。この状況を変える方法が全く見えなくなり、平日朝起きると、仕事に対するストレスを感じ、動悸が止まらなかった。これからの未来、精力的に仕事ができる自分を想像できず、自分は無力だと思うようになり、最終的に仕事に行けなくなってしまった。
ネガティブな感情を吐き出さず、ポジティブな思考に切り替え続けるべきだったなと今では思う。あと、組織の成果の最大化にこだわり過ぎていたのも良くなかった。自分のやっている仕事が組織に対して大した成果を出せていないんじゃないかと思い、ネガティブになる大きな要因の一つになってしまっていた。他人がどう見ようとも、今やっていることは自分の理想的なキャリアを構築する上で必要不可欠だと信じてやまない気持ちを持つべきだった。一つ一つの目の前のことに対して、自分の能力向上につながると信じ、成功体験として積み上げていくという感覚を持つべきだ。
会社に囚われすぎていたのも良くなかった。会社員である以上、仕事を自由に選べるわけではないし、環境を変えるにも多大なるエネルギーが必要である。個人の能力開発・実績作りを主軸にし、仕事だけでなく記事執筆や読書、個人開発、副業などどんなことでも意義を見出し、成功体験として積み上げていきたい。
エンジニアのキャリアについて
やはりモチベーションの原動力は「モノづくり」なので、最前線でプロダクト開発に居続けたい。コーディングがAIに置き換わっていく中でも、人間としてプロダクトの品質にオーナーシップを持ち、自分の作ったプロダクトが世の中を良い方向に影響を及ぼしたい。ユーザーが求める体験を提供し続けられるためにも、堅牢で保守管理コストが低く、UIUXやパフォーマンスも良い、美しく気持ち良いシステムを設計・構築できる人になりたい。そのためにもひたすらプロダクト開発の経験を積み、幅広い技術領域に日々関心を持ち、エンジニアとして圧倒的な知識を持つことが必要だ。
これまでWebフロントエンドを中心にキャリアを構築してきたが、ユーザー体験に寄与するのはフロントエンドだけではない。プラットフォームビジネスだと、むしろインフラやバックエンドの方がユーザー体験に寄与していることを身にしみて感じた。フロントエンドだけやっていると、見える世界も限られてくるし、理想的なシステムの全体像をイメージすることはできない。なので、システム全体の理解度を上げるための知識習得を意識していきたい。仕事ではバックエンドをやりづらいとかあるかもしれないが、個人開発や副業でいくらでもできると思うので、開発の接点を複数持ち、経験と知識の幅を広げていく動きをしていきたい。とにかく目の前のシステムに愚直に向き合い続ける。
あと、一つの会社に依存することなく、開発の接点を持ち続けられるように、セルフマーケティングも意識していきたい。開発実績を言語化して個人ブログに載せたり、技術に関する試行錯誤や学びを記事として、積極的にアウトプットしていきたい。また、仕事では試せないようなことも個人開発を実験の場にしつつ、モノとして残せるようにしたい。自分のことを全く知らない人でもこれまで残してきたモノを辿ることで、どんなことができるかイメージできるようにしたい。
一度、立ち止まる形になってしまったが、今回の休職は必要な挫折だと思って、前向きな気持ちで再スタートしていきたい。