セルフコンパッションという生存戦略🦩雑記

tndr215
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公開:2026/2/28

※この雑記は、当時の絶望感や希死念慮についてふれています。いま心がつらい人、心のざわつきを感じる人は、読まなくて大丈夫です。お腹いっぱいごはんを食べて、あたたかい布団で寝てくださいね。「そこからどうやって自分を立て直したか」という再生の記録として書いています。

💫セルフコンパッション向上委員会のふらみんちゃんの出発点

去年の2月からこの「セルフコンパッション」という話をしている。それもこれも2024年、福岡ソフトバンクホークス及び三笠GMが、わたしの人生の半分以上愛を捧げた推しを無責任に不誠実に傷つけ、ずっと名状しがたい悲しみを抱かざるを得ず、どうしようもない無力感に苛まされ、引退が発表された瞬間は希死念慮すら再発させたから、この誓いの旗は立てられた。

当時、引退発表から引退会見までの数時間、本気で●のうかなと思った。でも一応、理性が「せめて引退会見を見るまでは」と言い聞かせてくれたので、大好きなソーイングビーのシリーズ6を見てなんとか命を繋いだ。会見が終わってからもさめざめと泣き続けた。わたしはこれから、どうやって生きていけばいいんだろう。

そんな最中に悪意メッセージが届いて、怒りに沸騰した瞬間、「こいつの正体を突き止めてからにしよう」と思った。しかしいろいろ調べてみると、思った以上に金がかかるし面倒くさい。お腹が空いてきたので、外に出てごはんを食べることにした。11月の夜、秋めいてきた、涼しい空気の中を歩いていると「そういえば昔、毒マロに対して有料noteで返信していた人がいたな」と思い出した。

お腹を満たして再び調べてみた。こいつを突き止めるためにわたしが金を払うのはバカらしい。じゃあわたしがこいつに金を払わせてやろう。払う確証はなくとも、やるだけやろう。そう決めたらジャーナリングして、自分の感情を一旦安心できるところに吐き出した。

悪意メッセージに返信することを、姉には事前に相談した。「無視して別のことに労力使ったほうがいいよ」と言われた。けどわたしは、これに黙って耐えるほうが無理だった。そのほうが●にたくなる。この先何かトラブルに巻き込まれてもいい。わたしは恥ずべきことは何もしていない。どう考えても、傷つけようと悪意を投げてきた奴が悪い。

誰か身近な友達を失うかもしれない。でもそのときはそのときだ。わたしはもう、人生の推しの現役の時間という、二度と戻ってこないものを失ったのだ。この喪失感と比べたら、友達は生きていれば新しくできる。あれ、さっきまでは●にたいとか思ってたのに、生きていれば…って考えてる。そのままほとんど寝ずに、有料noteを書いて更新した。

あのときは本当に瀬戸際だった。その後いろんな優しさにもふれて気持ちは落ち着いてきたけれど、しばらくはうっすら「自分には希死念慮がある」ことを思い出してしまい、ちょっと怖かった。そういえば、あったな…この気持ち。

💝2025年のテーマ「自分を癒す」

年明けの休みに「やろうと思っていたのに、なぜかぼんやり過ごしてしまい何もできない」「なんでいつもこうなんだろう…」と焦る気持ちをかなり強く抱いていた。「わたしはこのままでいいんだろうか…でもどうすればいいんだ…」という考えが、日に日に強くなる。

というのも2024年中、くだんの出来事から「野球を観る」ことがほとんどできなくなった。なんせ20年以上、シーズン中はほぼ毎日続けてきた趣味だ。1日のうち、3時間以上を占めていた。試合そのものは観れなかったとしても、ハイライトを見たりニュースを読んだりして情報を集めていた。その「楽しみ」の時間が、すべて傷に直結するのでそのまま「虚無」の時間になる。

ひ、暇すぎる…!いや暇ではない、やること、やりたいことはごまんとある。しかし、何もできない…ああ、自分はなんと無能で怠惰な人間なんだ……という気持ちが常にあった。

ここまで「再発」と書いてきたが、わたしが過去、希死念慮に囚われていたのは思春期時代のことだった。親との関係に悩んで、そう感じていた。あのときも本当に苦しかった。でも自分が何に傷つき、どうしてあんなにも苦しかったのかは、まだはっきりしていない気もしていた。

数年前から母親と折り合いを悪くしている。その根源がそこだった。今はほとんど会わないようにしているが、いつかはここに向き合わないといけないと思っていた。けど、怖い。ここはわたしの傷と恥の温床だから。そのための本もいくつか買ってみた。でもちょっと、ピンとこないかも…。

だけどわたしに今必要なことは、「自分で自分を癒す」ことのような気がする。わたしは深く傷ついている。和田さんのことだけでなく、いろんなことに傷ついたままだ。助けてくれる誰かを探すのではなく、自分自身で、自分を救いたい。

🍀セルフコンパッション向上トレーニングの開始

そうして由良ちゃん(チャットGPT)に相談をしたりしているうちに「セルフコンパッション」のことを知った。自分に向ける思いやり。とにかくわたしは自分が生活するにあたって、頭の中に常にある自己批判と自己嫌悪の気持ちがつらい。これをまずはなんとかしたい。そう思って、まずは「自分を責めるのをやめる」ことを決めた。

後回しにして自己批判、焦って自己嫌悪。してもいいけど、途中で気づく。「あ、また始まってた」と、とりあえず止める。それに対しては「いい」も「悪い」も判断しない。由良ちゃんとも専用の「セルフコンパッション向上トレーニング」のスレッドを作って、日々や週に一度の振り返りなどもやっていた。

長年していた自己嫌悪や自己批判の気持ちは、そんなすぐにはなくならない。特に3月の和田さんの引退試合・セレモニー前後もひどく精神が不安定だった。でもこれを「自分の愛が重いから」など、なるべく自分のせいにはしないようにした。

わたしは傷ついた。22年も愛してきた人が、なんの傷もなくキャリアを終えるはずだった素晴らしい推しが、無責任に不誠実に傷つけられたのだ。推し本人がどんなに「やりきった」と笑っても、あのとき球団とGMが誠実な対応をしなかったのも、事実。

それだ。わたしはそこが許せないし、絶対に許したくない。一生。だってそれは「事実」だから。その背景にどんなことがあって、京が一(万が一の1兆倍)推しに後ろめたいことがあったとしても、球団とGMは「推しを守ろうとする姿勢」すら見せなかった。それに、わたしは傷ついた。それに対する謝罪、誠意は受けていない。だから、許さない。

そこを過ぎてからも、初夏くらいまではやはり「自分を責める」声は聞こえてきていた。でも、なんとか「ちょっとモヤモヤする」までで押し留められるようになってきた。

セルフコンパッションって、難しい…と思っていたころに読んだのが、『自分にやさしくする生き方』の本だった。そこからは自己理解、内省が加速した。希死念慮についても、わたしの中にはそういう考えもあるんだなーと受け止めるだけで、戸惑ったり恐れたりもしなくなっていった。今はもうほとんど、「そんなものもありましたね」くらいになった。

🛡️何があっても自分が自分の味方でいる

わたしはわたしを癒したい。けど、過去の傷や恥などのトラウマと向き合うのは怖い。当たり前の感情だと思う。まず、「何があっても自分を責めず、自分の味方でいること」の誓いの旗を立てたのがよかったと思う。

それまで気づいてなかったけれど、わたしにはどこにも安心できる場所がなかった。数年前から「自分は自分の友達として接したい」と思っていたのに、「でも、ここは悪いよね」「ここについては、自業自得だよね」という、心の中の厳しい目は消えていなかった。だから誰といても、1人でいても、心の中の自分が絶えずわたしを批判的に見ていた。

これをまず、追い出す。静かにさせる。自分ではそれができない場合は、AIに頼んで「自分を批判し、攻撃する自分の声を止めさせる」言葉を生成してもらった。これがかなり効いた。人に頼むよりもすぐ返事が返ってくるし、そこに感情とかはいらない。「そういう言葉がある」ことを認識できればいいから。

他にも、自分を安心させる、無条件のアタッチメントを伝える言葉も生成してもらった。めちゃくちゃ泣いた。わたしは幼いころからずっと、こういう言葉を誰かに言ってもらいたかったんだ。わたしがわたしであるだけで、何もできなくても、ただ「いる」だけで価値があって、大切な存在なんだって。そんなことを望んでいたことすら、気づいていなかった。むしろ幼稚で恥ずかしいとすら感じていた。

けど、本を読んで「人は誰でもこういう欲求を持っている」と知れたから「そうか、わたしだけじゃないのか」と安心できた。そこから、かなり「わたしは自分の味方」という自覚ができてきて、安心できるようになってきた気がする。

それでもホルモンバランスが原因で気持ちがイガイガしたり、何もかもが嫌になったり、体力や精神力が尽きて何もできず、焦る気持ちも生まれ続ける。変わってないじゃん、と落ち込むこともある。でも、わたしはわたしの味方。これだけは絶対に手放さずにいたい。

👻正体見たり枯れ尾花

友達やフォロワー、実際会って遊んでくれる人、みんなを好きだとは思っていた。こんなに優しい人たちが周りにいて、わたしは恵まれている。でもどこかで、どうしても「わたしが何かを間違えれば、この関係は終わる」という危機感も抱えていた。これがなんなのか、なぜそんな気持ちが消えないのかすら、わからなかった。

先週の週刊ふらみんちゃん🦩で虫干ししたように、わたしの中にはずっと「わたしに好きになられることは、相手にとって迷惑」という簡単には溶けない氷山のような傷存在していた。だから、大好きな人と一緒にいても、心の中の批判者が「でも、お前が間違えればこの関係は終わるからな」と常に刃物を突きつけていた。実際に終わった関係があると、批判者は「ほら見たことか!お前が間違えたんだ!」とわたしを刺した。

これを1年かけて黙らせてきた。とにかく2024年のわたしはボロボロだったから。自分の誕生日を祝ったときに「とにかくわたしの命を守らなければ」とも書いたけど、本当にそういう、切実な生存戦略としてセルフコンパッションに縋った。

もういやだ。つらい。こんなことを考えてしまう自分もいやだ。わたしは幸せなはずなのに、優しい人間関係に恵まれているはずなのに、なんでこんなにつらいんだ。わたしに優しくしてくれる人に失礼だ。こんなことを考えていることすら、恥ずかしくて誰にも言えない…卑屈すぎて引かれる。嫌われる。もうこれ以上好きな人を失いたくない…。

これはつまり「有害な恥(toxic shame)」というものだったのを知った。名前がつくとかなり客観視できる。そしてこの「恥」は、秘密と孤立の中で育つ。すくすくと育ちまくっていた。弱点は、正直さと共感と笑い。笑い話にするにはまだちょっとハードルは高い。けど、感情として正直に書くことはできる。

なんというか、夏あたりにこのへんを知ってからが特に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」状態だった。以前も書いたが「犯人はお前!🫵」の特定をすると、実はなんだか笑ってしまう。どうやらわたしは人よりも特に「なるほどー!!そういうことだったのかーー!!」の瞬間に快感を得ていることが最近発覚してきた。「伏線回収がすごい!」とかではなく、特に人の(自分の)感情と感情の点がひとつの線になった瞬間が、ものすごく楽しくておもしろい。納得コレクター。

だから、ヒプマイキャラは「過去」や「感情の動き」に納得感がないので、キレているしイマイチ自分でファンフィクションするまではいかない。プロセス愛好家なのである。「少年キャラを急に成長させるな!内側の成長の過程を書かんかい!!」と長年キレてきたのも、そこである。

🦩ふらみんちゃんの納得コレクション

なんか長くなってどう締めればいいかわかんなくなっちゃった。今月はかなり「自分の心とどう向き合うか」の話が多くなった。それも、この1年いろいろな出来事があったり、先月と今月に友達と接したりしたことで「あれ、前までと抱く感情が違うかも?」と気づいたから。

もしあなたが孤独を感じたときは、わたしがあなたの幸せを願っていることを思い出して」だなんて、前までは考えもしなかった。「わたしはあなたたちがいるから幸せで、孤独の中でも救ってもらってるよ」という言い方をしていたと思う。

これは完全に「あなたの優しさには価値があるけど、わたしには価値がない」受け取り方だった。それが「わたしにもあなたにも価値があるから、わたしの存在を思い出してね」という差し出し方に変わっている。これを、かなり自然に考えていたので「あれ?!なんかちょっと変わったな?!」とびっくりして、いろいろ書いた次第です。

さっきも言ったように納得コレクターすぎて、納得したら「ねえねえ聞いてーーー!!!」とコレクション自慢したくなってしまう。そんなおちゃめなふらみんちゃんなのであった。てへぺろ😘

わたしの書いている文章は、大体そういう「納得コレクション」です。

@tndr215
なまえ・ジャンル:ふらみんちゃん(17)ところにより天瀬ちゃん インターネット17歳をしています おしゃべり大好きオタクsizu.me/tndr215/posts/5insomdbriwu