リストランテ・ヴァンピーリのバックヤード (ネタバレなし)

洗われるたこ
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公開:2025/3/26

おれの身に何があったのか?

あなた方のおかげで、リストランテは大繁盛している。まったく景気の良い話だ。どうもありがとう。

さて、約束通り、今回は『リストランテ・ヴァンピーリ』の裏舞台の話をする。

執筆中の思惑や作品の内容についてはもう少し時間が経ってから明かすとして、刊行までにこんなことがあったんだぜ、という記録を兼ねて。

それでは、厨房の中を案内しよう。


【謎の電話と選考会】

2024年 夏。手元の携帯端末に着信があった。

この電話が選考会の結果を知らせるものであると、おれは誰に伝えられるより先に気付いていた。

リアルタイム (といっても予選通過作の公式発表がされてから) の日記はここに残している。人生で最も正気を失っていた時期だ。

そして最終選考会当日。

もう二度とこんな思いをすることはないし、したくないと思う。

【怪しくない仲間たち】

前にもちらっと話したかもしれないが、『リストランテ・ヴァンピーリ』の担当編集者の2人のことを、おれは勝手に (「相棒」シリーズの) 杉下右京と (「X-MEN」シリーズの) クイックシルバーだと思っている。見た目というよりも雰囲気的に…。

このブログは (公開していますよ、という話は度々していたが) 非常にアンオフィシャルな性質のものであるから、デビュー後も隠れてやっていくつもりだったのだけれど、ついに先日、書名で検索していたらしいクイックシルバー氏に見つかってしまった。彼は「読まないほうが良いかと思って開いてないですが」というようなことを言っていたけれど、絶対に見ているだろう。やあ、ごきげんよう?

その上で書くから、べつにこれを擦り寄りと捉えられても構わないのだけれど、2人はとても親切で懐が深い。こんな訳のわからない新人の生意気な拘りや方針を尊重してくれ、一方で作品についてはシビアで、おれは明確に2人のことを信頼している。

【迷惑な新人と連発するNG】

受賞が決まり、出版社に挨拶へ。猛暑の平日だった。

おれは一時期 何よりも即時性が求められる仕事をしていて、(たとえば問い合わせが発生したら5分後には緊急会議のスペースを確保して着席していないといけないような) そのテンポ感に毒されていたがために、「いつ打ち合わせします? 今日の午後?」というような勢いで関係者の人たちを追い立ててしまい、いま思うと本当に迷惑を掛けていたかもしれず、反省している。

担当編集者である右京さんとクイックシルバー氏と初対面。小説新潮の編集長・西麻沙子さんも駆けつけてきてくださる。大変に優しく温かい方だった。

おれはこのとき西さんから受賞作について掛けていただいた言葉を宝物にしており、だけどこれは自分だけのものにしておきたいので、しばらくは内緒にしておく。何年か経ったら言うかもしれない。

スタジオ的な場所に移動して写真撮影。

おれはカメラが大の苦手であり、たった2パターンを撮 (られ) るために ありえない数のNGを出す。数百回のシャッターが切られ、薄目でモニターを確認。後にプロが何とかしてくれたが、それでもおれがトリッキーな見た目 (長髪・グレーのカラーコンタクト・スーツにマーチン) をしているせいで、皆のことを相当に混乱させたことだろう。

会議室に戻り、今後の作業やスケジュールの説明を受けていると、伊坂幸太郎さん、道尾秀介さん、米澤穂信さんらと伴走してきたというスーパーエディター・新井久幸さんが登場。

おれは新井さんの著書『書きたい人のためのミステリ入門』が大好き (というと語弊があるかもしれないが、他に適切な表現がない) で擦り切れるほど読み信仰してきた者であるから、変な話だけれど、どんな有名人に会ったときよりも衝撃だった。生まれて初めて「お会いできて光栄です」と発音する。

感激のあまり、予想外にフランクに接していただき「この距離で!?」と思ったこと以外、全部忘れてしまった。

その日はそのまま、右京さんとクイックシルバー氏にかなりお洒落な創作中華の店に連れていってもらったのだけれど、緊張と不調 (全く酒を飲まないのは失礼かと思い 1杯だけアルコールを頼んだのだが、これが非常に良くなかった) で全然物を食べられなかった。

会食の場での立ち回りが下手なのは いまに始まったことではないけれど、それにしても酷い状態で、思い出すだけで具合が悪くなる。料理は美しく、味もとても好み (温かいイチジクの何かや、グレープフルーツの乗った冷やし中華的なものが素晴らしかった) であったために、自分の振る舞いにだけ悔いが残る。いや、各方面に申し訳ないことをした。

【リストランテの看板を巡って】

タイトルがどうにも…という自覚はあった。

何でもいいと思っていたわけでもなくて、当然熟考して付けた上で投稿したのだけれど、当時の題名は『悪徳を喰らう』だ。

選考会で多く口に出してもらえることを優先して語感重視&短く妙な (日常生活で使わわないような) 語の組み合わせを考えた結果である。特に予備選考では1人の下読み担当者が何作も読むと聞いていたから、評価リストをぱっと見たときに、タイトルを見て中身を思い浮かべられるように、という (正しかったかどうかは別として) おれなりの戦略だった。既に本を読んでくれた人は何となくニュアンスがわかるだろうか。

でも、やはりエンタメミステリー小説の名前としては超バッドということで、本にするなら改題しましょうね、という流れに。おれも『悪徳を喰らう』は嫌だったので、変えるチャンスを貰えて助かった。あわせて章題も修正。

なかなかしっくりくるものが見つからなくて、『リストランテ・ヴァンピーリ』に決まるまで3ヶ月くらい掛かっている。しかし、まあ、いまのタイトルのほうが絶対に良いよな。

(確定した後に聞いた話であるけれど) 選考委員のお一方は、自分だったら 作中の主要人物である金髪の男『ルカ』をタイトルにする、と言っていた。最初の生命が誕生する直前の生物の名称でもあるらしい。そうなのか!

【加速するパーティー】

もはや本編に関係ないが、冬にはこんなこともあった。ここで披露したおれのスピーチは、クイックシルバー氏に「70点」と言われている。

【発売日】

午前中におれが好き勝手喋っているPR記事が公開になる。いよいよだ。

午後。有難いことにサイン本を作らせてもらうことになり、出版社へ。「えっ、そんなに」と思うほどの冊数。

新井さんと西編集長もわざわざ出てきてくださって、右京さんとクイックシルバー氏、営業担当の方と一緒に作業開始。

今回のサインにはヴァンパイアに因んだ極めて簡単なイラストが含まれているのだけれど、たまに加減を誤って人相の悪い奴が出来上がってしまう。書き終えた本を渡しながら「いまの可愛くなかったですね」と言うと、右京さんは「そんなことないですよ」と励ましてくれるが、クイックシルバー氏は「確かに」とウケており、…働くおれのショットでも見ていくかい?

秘密をバラすと、これは全部書き終わった後に綺麗に撤収してしまい、写真を撮るために一度詰めた段ボールからいくらかを並べ直して 再びペンを握って「振り」をしているところだ。

そんなこんなで、無事に全冊サイン終了。

サイン本は、ときわ書房様で取り扱いがスタートしている。WEBショップにも置いてあるらしいぞ。

これから『リストランテ・ヴァンピーリ』を読もうかな、という人は、是非ともサイン本を手に入れてみてほしい。イラストは今作限定の予定であるから、プレミアが付くこと間違いなしだ。

(※追記:2025/4/1 (火) 初版のサイン本は完売した。ありがとう)

帰り掛け、右京さんが編集部のオフィスを案内してくれる。

普段は会議室のある区画にしか行かないので、初めて編集部のデスクを見た。どうやって積み上げたんだ? というくらいの崩落しそうな紙の束! 机の上に資料を載せた、というような次元の話ではなく、印刷物の隙間に机がある、という感じ。ひえ~!

…と圧倒されていると、新井さんが再登場して「これでも最近綺麗になったんですよ。昔はもっと凄かった」と、どこからともなくデスクのビフォーアフターの写真を持ってきて教えてくれる。滅茶苦茶に嬉しい。新井さん、そのビフォーの写真が撮られた頃、おれはあなたの本を読んでここに来ることを夢見ていたんですよ。

だから、自分はすべてのエンターテインメントに通じる道を走っているのだ、と胸を張り、臆せず、果敢に、持ちうるすべてを原稿に投じるのだ。

そして自信作に仕上がったら、是非とも「新潮ミステリー大賞」へ。次は、選考の場で会いましょう。

(新井久幸『書きたい人のためのミステリ入門』より)

日本橋の丸善に寄り、『リストランテ・ヴァンピーリ』を平積みしてもらっているのを確認して、満足して帰宅。

嘘。何もかもが心配で仕方がない。

【番外編 刊行翌日の作家集会】

サイン本作りの次の日の昼にも、おれは神楽坂を訪れていた。仕事ではない。

グレートな先輩作家でありスウィート・フレンド、歴史時代小説の気鋭・蝉谷めぐ実さんと "Z世代のクリスティー"・荒木あかねさんと会うためだった。

とんでもないキャリアの2人におれが混じっていいのか、と気後れしつつも、この日をずっと楽しみにしていた。

集会の地は、荒木さんが予約してくれた「フロマティック」。

店内に漂うチーズの良い香り。2階席に通される。

テーブルに堂々と置かれる半円。ラクレットのフリーコースは大迫力だ。溶ける様子は見ていて飽きない。

写真の外にも沢山の野菜やパンの盛り合わせがある。久し振りに気分の上がる食事だ。

この日、まだ発売翌日だというのに、なんと荒木さんは既に『リストランテ・ヴァンピーリ』を読んできてくださっていた。自信作ではあるけれど、前が見えず不安な気持ちでいる中「絶対売れますよ!」と褒めてもらい、ちょっと泣きそうになる。

蝉谷さんと荒木さんのファンのために極秘情報を漏らすと (それぞれどちらが当て嵌るのかは内緒にしておくが)、××さんはUberEatsでジャンクフードを頼みまくり、○○さんは椅子の上にしゃがみ込むデスノートのLみたいなスタイルで執筆をしているらしい。意外過ぎる。

…などと冗談を交わし盛り上がっていたら、蝉谷さんがいつの間にか会計を済ませてくださっていた。仰天。大恐縮しながらご馳走になる。こういうスマートな大人の振る舞いを、おれはいったいいつになったらできるようになるのだろう?

ランチは大変に充実していたが、全然話し足りないので、陽気な天気を満喫しながら神楽坂を散歩し、お気に入りのジェラート屋へ。

このときと同じ店、この世で1番のジェラートを出す「ジェラテリア・テオブロマ」だ。

『リストランテ・ヴァンピーリ』で 晩餐会の夜にソニアがエヴェリスを誘って行ったジェラート屋は、実はこの場所をイメージしている。

作中で語られる "ヘーゼルナッツと苺味" というのはメニューになかった気がするが、代わりにピスタチオとフランボワーズのダブルを注文。それからミルクフレーバーのホットショコラも。加えてサービスで胡桃のチョコレートが提供される。最高だ。店ごと食べたい。

各出版社の噂。校正や調べ物の悩み。地元や人間関係の昔話。どこを目指していけばいいのか…という将来の展望。真摯に相談に乗ってくれる2人の、物語に対する姿勢を眩しく感じる。仕事のことを利害関係抜きに話せる相手がいて、それが最高にイカした気の良い小説家たちであるだなんて、いったい誰に感謝をすればいいのだろう。こういうときだけ、おれは都合良く神の存在を信じる。

日が落ちるまで談笑し、ここでも蝉谷さんが「お祝いだから」と全員分のチェックを…。「そうはいきません」と荒木さんと一緒になって食い下がったが、あえなく敗北。早く出世して恩を返したいし、いつか自分にもこんな風にさらっと後輩に奢れる日が来るだろうか、と憧れた。

皆でおれがよく日記に書いているお勧めのビスケット屋に寄り道しながら、次回の集会の約束をして、解散。


隠さずに言ってしまえば、これらは楽しく華やかな部分だけを切り取ったものであり、実際の日々はほぼ倒れて呻きながら原稿と格闘している時間が占めていたのだと、おれのBlueskyやこれまでの日記を読んでいる方々は承知してくれていることだろう。おれは狭く汚い賃貸の巣に1人で暮らしている。

それでも、物語は遥か遠く広い世界へと連れ去ってくれるものだ。どこへも行けない誰かが本を開いたとき、日差しや風を、希望を、どこかに行きたいと感じさせることができたらいい。

『リストランテ・ヴァンピーリ』は、あなた方のおかげで無事にオープンを迎えられた。両手に抱えきれないほどの感謝を招待状に変えて、おれは皆の来店を待っている。

それじゃあ、今回はここまで。

また遊びにきてくれるかい?

@octopus
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